あれから早いもので一週間が経った。
唯たちはあれから毎日練習に練習を重ねていた。
僕は宣言通りに、練習には加わらず所々でアドバイスをするにとどまっていた。
そのかいもあって、何とか観客に聞かせられるにたるレベルにまで上達することができた。
後は唯たちが本番でその演奏をするだけだ。
「いよいよ今日だな」
「ああ」
放課後、荷物をまとめている僕のところに慶介がやってきた。
「全力で頑張れよ。俺も応援しに行くから」
「当たり前だ。僕はいつだって全力だ。慶介が来ようが来まいがそれは変わらない」
いつだって僕は自分の持てる力全てを発揮し続けていた。
これからもそれは変わることはないだろう。
「そうだったな。それは失礼した」
頭に手を置きながら謝ってくる慶介に、僕は机の上に置いた鞄を手にしながら立ち上がった。
「それじゃ、俺は先に行くな」
「はいはい。勝手にどうぞ」
投げやりに慶介を送り出すと、慶介はそのまま教室の外の方に向かっていった。
慶介と僕の行き先は全く同じだ。
だが、行き方が違うので、ここでお別れなのだ。
「さて。僕も行きますか」
時刻は15時30分。
会場は電車で小一時間、車で4,50分あれば十分に到着する場所に存在する。
会場に到着するのは17時までなので、十分に余裕がある。
とはいえ、前半は僕たちが演奏をするので早めに行っておくことに越したことはない。
ちなみに、唯たちは電車で僕の場合は早めに到着する必要があるので、中山さんの車で向かうことになっている。
何だか贅沢をしているような気分だけど、こればかりは仕方がない。
僕も足早に教室を後にした。
向かうのは、僕の家だ。
本当は校門前に来ようかと言っていたのだが、それだといろいろ目立ちすぎるため無理を言って家の前での待ち合わせにしてもらったのだ。
自宅前には一台の灰色のセダンが止まっていた。
車のことは詳しくないので、それ以上は分からないけれど、それが中山さんの車だった。
僕は急いで運転席の方に駆け寄った。
「すみません、遅れました」
「いいっていいって。十分に間に合うから」
謝る僕に、中山さんは軽快に笑いながら相槌を打った。
「さあ、早く乗って」
「はい」
中山さんに促されるまま、僕は後部座席に乗り込むと少しして車はゆっくりと動き出した。
会場に向かっている間、僕は手早くDKの衣装に着替えていく。
まあ、サングラスをつけて黒のマントに身を包むという感じだけで、黒いスーツに関しては無効の楽屋の更衣スペースで着替えるつもりだ。
「田中さんたちは?」
「彼なら、いつものように車でほかのメンバーを乗っけて向かっているはずだ。こっちよりも早く着くみたいだから」
「そうですか」
他のメンバーの状態を聞いた僕に答える中山さんの言葉で、再び車内を沈黙が包み込む。
「彼女たちはどう?」
「良い状態ですよ。あとは、観客の前でいつものように演奏ができれば十分にうまくいくでしょう」
中山さんの問いかけに、僕はありのまま伝えた。
「そうかい……それは寂しくなるな」
「……ええ」
中山さんの言わんとすることは、なんとなくわかった。
唯たち、放課後ティータイムは今、新たなステップを踏み出そうとしている。
これまではアマチュアに足を掛けただけの集まりだったが、今度はプロに足を掛けたアマチュアという扱いになる。
それは、H&Pとの関係が終わるときでもあった。
「でもまあ、その時はDKがびしっと言わないとな」
「ええ。分かってます。しっかりというつもりです」
それは一種の決意だった。
(本当に、すごいところまで上り詰めたよ。皆は)
僕は心の中で、唯たちに称賛の言葉を贈る。
そして、僕たちは会場へと向かっていくのであった。
「さて、それじゃ行くか」
「ああ」
開演時間である18時3分前となり、僕たちは楽屋を後にする。
皆は言葉にはいい表せない緊張感に包まれていた。
それもそのはずだ。
今回の企画の参加者は、これまでの参加者とは比べ物にはならないほどのレベルなのだから。
「私たちは私たちの演奏をするまでだ。相手が誰であろうと、それは変わらない」
「……そうだな。DKの言うとおりだ。おめえらも気合を入れろ!」
僕の言葉に、YJは頷くと他の皆に喝を入れた。
「さあ行こう。私たちを待ってくれる観客たちのところに」
『おう!』
手を差し出しながら呼びかけると、みんなはそれに応じて僕の手の上に全員が手を置いた。
これで覚悟は十分だ。
後は、いつものように演奏をするだけ。
舞台袖に到着すると、観客たちのエールが聞こえた。
これもまたいつものこと。
そして、ゆっくりと照明が落とされた。
それに反応して観客たちが、待っていましたと言わんばかりの大きな歓声が響き渡る。
そして僕たちは、ステージへと出るのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
H&Pによるライブが始まって、50分が経過した。
唯たちがいる楽屋内に置かれた液晶モニターに映し出されているライブの模様の映像に、唯たちは釘付けになっていた。
「すごい……」
「はい……」
それぞれの表情に浮かぶのは、目の前で演奏をするDK達に対する驚きだった。
「すごいのは分かってましたけど、実際に見てみると本当にすごいです」
ファンであるはずの梓や澪の表情も強張っていた。
「こうして見てみると、難しいよな」
律のその呟きに、反応する者はいなかった。
改めて彼女たちはH&Pの実力を知ったのだ。
「大丈夫だよ」
そんな中、明るい声が彼女たちに掛けられた。
「唯?」
「大丈夫だよ。私たちにもできるよ。絶対に」
それは聞く人によれば喧嘩を売るような言葉。
宣戦布告とも取れる物だった。
だが、唯の言葉は梓達の強張った表情を崩すのには十分だった。
「そうだよな。私たちも負けてないもんな」
「お、あの澪が宣戦布告をするとは、あたしゃ悲しいですたい」
「一体誰なんだよ。それ」
律の言葉にツッコみを入れ、それは周囲に笑いをわき起こさせた。
「あ、はい」
そんな時、楽屋のドアがノックされたので、律が声を掛けるとゆっくりとドアが開いた。
「現在、休憩時間に入りました。10分後から出番ですので、ステージに向かってください」
「分かりました」
スタッフである女性の言葉に、律が返事をすると一礼してドアを閉めた。
ステージへの行き方は会場を訪れた際に、スタッフの人から案内されている。
極度の方向音痴でもない限り、迷うことはない道順だ。
「それじゃ、頑張ろう!」
『おー!』
律の声掛けに全員が応える。
そして、彼女たちは楽屋を後にするのであった。
休憩時間が終わり、会場の照明が再び落とされた。
それは後半の部の始まりを意味していた。
白いスポットライトに照らされたのは、DKとMRの二人だった。
二人はそれぞれステージの端側に立っていた。
「えぇ、今回は私たちのライブを見に来ていただき本当にありがとうございます。まずは、私の方から一言を―――」
「DKは相変わらず堅苦しいな~。皆さん、気を付けてくださいね。DKの一言は本当に長いですから」
DKの言葉を遮るように肩を竦めながら、観客の方に呼びかけるMRにDKは不満そうな表情を浮かべる。
「長くはない。ほんの30分だけだ」
「世間では、それを”長い”と言うんだぞ?」
MRのツッコミに、会場内から笑い声が漏れる。
「………さて! ここからは違うバンドの演奏を聴いていただこう」
そのツッコミにDKは間を開けて話題をそらせた。
「そのバンド名は?」
「バンド名は『放課後ティータイム』だっ」
「何だか優雅に紅茶をたしなむ光景が浮かぶね」
バンド名を聞いたMRが感想を漏らした。
「確かに。このバンドはガールズバンド。個性豊かなバンドメンバー達が織りなす演奏に注目だ!」
「まずは恒例の課題曲から。DK、課題曲は?」
バンドの紹介を終えたところで、MRが演奏曲目の話に移した。
「今回の課題曲は『Colors』。静かだが、それでいて力強い曲調、そして歌声が求められる楽曲となる」
「まさしく、実力を知るのにふさわしい楽曲だね。さあ、それじゃ皆さんご一緒に」
MRの言葉から少しだけ間が空いて、
「せーの」
『ミュージック、スタート!』
会場中に、音楽の始まりを告げる声が響き渡った。
それと同時に、スポットライトが消え再び会場内は暗闇に包まれた。
そして会場内に響いたのはキーボードの音色。
それと同時に暗闇の中、ステージの薄紫色の照明が紬を照らす。
続いて、ギターの音色が産声を上げ梓と唯を照らした。
そして最後にドラムとベースの音が響き渡り、照明はメンバーを照らし出す。
そして1番に突入する。
ドラムとキーボードベースの音色に澪の歌声が合わさる。
所々で、律たちがコーラスを入れていく。
そしてギターの音も加わったところで、照明はメンバーのみではなくステージ全体を照らした。
それぞれが、楽器を譜面通りに弾いていき順調に2番へと入っていった。
すると、観客たちは掛け声を入れ始めた。
それは、彼女たちの演奏が素晴らしいものであるということを示している物であった。
2番のサビが終わり、間奏に入る。
ここからギターの速弾きソロが始まる。
最初は唯だ。
左手をせわしなく動かし弦を抑えていく。
そしてキリのいいところで梓がそれを引き継ぐ。
ムスタング特有の音色が、会場内を包み込む。
そして最後は体をしならせることでサビへと入っていった。
サビが終わり、最後の箇所となる。
それは最初の前奏と同じだったが、ギターの音色を強く出した物となる。
そして最後は全員がぴったり音を合わせて、曲を終わらせた。
そのすぐ後に、観客側から歓声が湧き上がった。
「中々に素晴らしい演奏でした」
「それじゃ、メンバー紹介。行ってみようか!」
ステージのそでから出てきたDKたちによって、彼女たちは自己紹介を始める。
「リードギターとボーカルの平沢 唯です」
「リズムギターの中野 梓です」
「べ、ベースとサブボーカルの秋山 澪です」
「キーボードの琴吹 紬です」
「ドラムでバンドリーダーの田井中 律です」
(ものすごく緊張してるな。ありゃ)
それぞれの自己紹介を聞いていたDKは心の中で苦笑しながらつぶやいた。
「それじゃ、ここは彼女たちにお任せして。私たちは向こうの方にすっこんでいましょうか? MR」
「了解」
僕の呼びかけに応じたMRは観客に手を振りながら、舞台袖に向かっていく。
それに続いて僕もMRと同じ方向に歩く。
「頑張って」
マイクには拾われないように、小さな声で応援の声を掛けた。
それは、DKにとっては一種のけじめだったのかもしれない。
「それじゃ、次の曲。ふわふわ|時間《タイム》!!」
それを受けて、唯は次の曲名を告げた。
こうして、放課後ティータイムのライブが始まった。
「すごい」
「……ああ。これはたまげた」
ライブが始まり既に40分を経過した中、YJたちは驚きの声を上げていた。
「会場の皆がノッテいる」
「こんなこと、今までなかったのに」
ROとRKが口を開いた。
唯たち放課後ティータイムは会場の心をつかんでいた。
「さすがDKだ。確かに、彼女たちはここまで来るかもしれないな。これはすごいな」
「……そうだな」
YJの言葉に相槌を打つDKの口調は寂しげだった。
(僕がいなくても、あそこまでいい演奏ができる。これならもう、思い残すこともないかな)
それは避けられない運命に対する一種の安心感でもあった。
DKには絶対に避けることができないその運命に対して不安だったのは、バンドのことと最愛の人物でもある唯のことであった。
だからこそ、このライブは彼にとって一種の背中を押す出来事になった。
『皆ありがと―!』
「終わったみたいだな」
ステージから聞こえる唯の声と観客の歓声に、YJがつぶやく。
「ああ」
残り時間はあと2分。
終わるにはいい頃合いだった。
だがそこで、予想外のことが起こった。
『アンコール! アンコール!』
観客たちからのアンコールの声。
「訂正する。これは恐ろしいことだぞ」
YJの言っている言葉の意味は、DKには何となくわかっていた。
初めてこういった大勢のライブ会場に出たにもかかわらず、観客たちの心をつかんでいる。
それが、このアンコールにつながっているのだ。
その力はH&Pとほぼ同等……いや、それ以上かもしれない。
「ありがとー。それじゃ、アンコールで”ふわふわ|時間《タイム》”をDKさんを交えて演奏したいと思います!」
「おや、御指名のようだね」
ステージの方から聞こえた唯の言葉に、MRは茶化すようにDKに声を掛けた。
「茶化すな。行ってくる」
そんなMRにDKはそう告げるとステージのそでからステージの方に出た。
「この私を指名するとは、まあなんとも怖いもの知らずだね」
「えへへ~」
DKの言葉に唯は頭に手を当てながら笑った。
一瞬だけ唯に向けたDKの口元は悲しみなのか、それとも喜びか。
そのどちらでもないような表情がうかがえた。
「よぉし。皆、アンコールと彼女たちの要請を受けて、今夜限りの特別編成だ! しっかりと聞いてくれ!」
DKの呼びかけに、会場中が一瞬にして歓声に包まれた。
それを遮るようにして突然キーボードが音色を上げ始めた。
それは先ほど演奏した『ふわふわ時間タイム』のワンフレーズだった。
(あの時のか)
それは合宿の時と前の学園祭のライブの時に演奏したものだった。
紬に続いて、今度は律がドラムの音色を奏でだした。
さらにそれに澪も続いて音色を奏でだす。
そこにDKと梓も続いた。
そして、最後に唯が加わる。
こうして、サビのアンコール演奏が始まった。
まるで打ち合わせをしていたかのような音の入るタイミングの良さに、観客たちはさらに盛り上がりを見せていた。
サビが終わり、全員が音を伸ばしていく。
そしてドラムのフィルで今度こそ曲は終わりを告げた。
こうして、ライブは大成功という最高の結果を残して終了となるのであった。
「お疲れ様」
「あ、お疲れ様です。MRさん」
ライブが終わり、楽器を手に会場を撤収する唯たちの前に立ちはだかったのは、MRたちだった。
「すごく盛況だったな。これはとてつもないほどにすごいことだよ」
「ありがとうございます」
MRの称賛の言葉に、梓がお礼を述べた。
「そう、お前さんたちが初めてだ。あそこまで客の心をつかんだのはな」
「え、えっと……何かいけなかったですか?」
MRたちの雰囲気が変わったのを感じた律が、しどろもどろになりながら問いかけた。
「いけなくはない」
それに答えたのはYJだった。
「君たちは、俺たちのライバルとなりうる存在にまで上り詰めたことなのだからな」
「そ、そんな。ライバルだなんて―――」
YJの言葉を受けて両手を前方で振って否定する澪の言葉を遮ったのはDKだった。
「恐れ入ることはない。お前たちの演奏はそれ相応のレベルだった。全くもってアウェイの環境下で観客の心をつかむその腕は、私たちにも匹敵する。だからこそ、ライバルにふさわしい。もしコンテストで会うことがあった時は、私たちH&Pは―――」
『絶対に負けない!』
それは宣戦布告であった。
それだけでも彼女たちには、彼らの本気さが伝わってきたのだ。
そして、そのまま彼らは唯たちのわきを通って去っていった。
「何だか、すごいことになっちゃったな」
「うん……でも、認めてもらえたってことなんだよね?」
H&Pのメンバーの背中を見送りながら口を開いた律に、唯がそう相槌を打った。
「唯ちゃん?」
「だって、ライバルっていうことは、私たちもH&Pのようにすごい演奏ができるっていうことなんでしょ? それってすごいんだよ!」
首をかしげる紬に、唯は嬉しそうに両手を握りしめながら答えた。
「……でも、ライバルってことは先輩とは敵ということに―――」
「違うよあずにゃん。よくわからないけれど、私たちは今までと変わらないと思うの」
唯の言葉に、具体性などはなかった。
「そうかもしれないな。彼は、絶対に態度を変えることはしない。まあ、練習の質は上がるかもしれないけれど」
「でも、なんだか楽しそう♪」
それでも、澪たちは頷いた。
それはひとえに、彼女たちは知っているのだ。
”高月浩介”という人物を。
そして、知っているからこそ、唯たちは頷けたのだ。
「それじゃ、早く帰ろう。もう外は真っ暗だし」
「明日が休みで良かったね~」
「そうですね」
話題を変えるように口を開いた律の提案に、唯たちは頷くと通路を歩き会場を後にした。
「あずにゃん、また虎耳をつけてよ」
「嫌ですっ!」
所々に輝く星空の下、唯たちの楽しげな会話は耐えることがなかった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「…………」
あのライブの後、初めての部活動の日を迎えた。
僕は部室前のドアの前で立ち尽くしていた。
理由は一つ。
(どう入ったものか)
一昨日に一種の決別宣言のようなものをしてしまった手前、どういう風な顔をすればいいのかがわからなかったのだ。
(あほらしい)
怖気づいている自分に喝を入れる。
(あいつらがそんなことを気にするような奴じゃない)
そんなことはとっくにわかっている。
そうじゃなければ、僕の存在を受け入れたりなどしないのだから。
ならば、僕の取るべき態度など、一つしかない。
「悪い、遅れた」
「遅いぞ、浩介っ!」
いつものように部室に入った僕に、律から檄が飛ぶ。
「大丈夫っ! 浩君のお菓子は律ちゃんから守ってあるよ!」
「いや、それはそんなに重要なことじゃないと思うんですが?」
微妙に方向が違う唯の言葉に、梓がツッコみを入れる。
「浩君、ほらほら、今日はチーズケーキだよ~」
「何っ!? よっしゃ! 今日は飲み明かすぞぉ!!」
「全く、いつからここはお茶菓子部になったんだ」
大好物のチーズケーキと聞いた僕の反応に、澪がため息交じりにつぶやいた。
そんなこんなで、僕たちはいつものように部活動の時間を過ごした。
そして季節は冬から春へと変わっていくのであった。
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