それはある夏の日だった。
幹線道路なのか車が行きかう道の歩道を歩く複数人のジャージを着こんだ男子たち。
「そう言えば、夏休みが終わればエトワールに行っていた子が戻ってくるね」
「そうッスね―。今回は珍しく候補者が出たらしいですね」
茶色のやや長めな髪をした青年の言葉に、横を歩いていた黒髪の青年が応えた。
「しかし、よそでもあるんですかね? こういう制度って」
「さあ、聞いたことはないね。そもそもエトワールというお隣さんがいる僕たちのほうが特殊だからね」
黒髪の青年……
榊 晃輔と茶髪の青年……
古畑 海の二人は談笑しながら道を進んでいた。
彼らは陶山学園の水泳部に所属している学生なのだ。
彼らが向かうのは少し離れた場所のスポーツセンターにある水泳競技場だ。
そこでは全国水泳大会の出場をかけた予選が行われることとなっているのだ。
予選は冬にも行われるが夏の予選で好成績を残せられれば冬まで待たずに、全国水泳大会への参加権を得ることができるのだ。
つまりは、この予選は一種のターニングポイント。
そして、彼……晃輔は学園でも非常に優れた成績を残しており、全国大会に行けるのではないかという最有力候補だった。
彼自身はそれに慢心はせずに努力をし続けていて予選当日を迎えた。
「……」
「また気配がするのかい?」
ふと後ろのほうに振り返る晃輔に、海が問い掛けた。
「そうッスね―。さすがにもう慣れましたけど」
海の問いかけに、晃輔は苦笑しながら答えた。
「もう1年か……いったい何のために」
「ファンとかだったらいいんスけど」
顔をしかめながらつぶやく海に対して、お道化たように相づちを打つ晃輔。
晃輔は1年ほど前から何者かにつけられているのだ。
正確に言えば、監視されているような気配を感じているということになるが。
「まったく、お気楽だよね、晃輔は」
そしてそんな晃輔にため息を漏らす海に、晃輔は苦笑をしつつ会場に向かって歩いていく。
そんな彼らの少し後ろの方。
建物の陰に身を潜ませている人物の姿があった。
「危ない。こちらの姿を見られるところだった」
ほっと胸をなでおろすのは、黒い短髪の青年であった。
黒のシャツに黒のズボンという黒づくめの格好は、ある種異様なものであった。
だが、不思議なことに、街行く人の中で彼に視線を向けるような人物は誰もいなかった。
「見つからないように……でも見失わないように尾行する……これほど難しいものだとは」
青年はぼやくようにつぶやく。
(でも、仕方がないか”例の人物”が接触する可能性だってあるんだから)
ため息を漏らしながらも、青年は心の中で自分に言い聞かせた。
この青年こそが、1年にもわたって晃輔をつけまわしている張本人なのだ。
(学園に通いながらの監視って、どれほど難題を上げれば気が済むんだ? あの人は)
そしてこの青年も晃輔とは別の学園に通いながら、監視を続けるという行動を続けているのは、ある理由があった。
「電話だ」
突然けたたましく鳴り響くことで着信を告げる携帯電話を棟ポケットから取り出すと、相手を確認することがなく通話ボタンを押して耳にあてた。
「もしもし」
『私だ』
電話先から聞こえたんは、男の声だった。
『対象は?』
「現在、会場である競技場に向かっている最中です」
電話先からの問いかけに、青年は淡々とした口調で答えた。
『予選ともなれば、ターゲットAが接触してくる可能性が非常に高い。注意して監視を続行せよ』
「了解」
青年はそう答えると携帯を耳元から離して、携帯を入れていた胸ポケットへとしまった。
「にしても、今日も暑いな」
青年は照りつける日差しを遮るように目の上に手を当てると清々しいほどまでの青空を見上げた。
聞こえるのは夏定番のセミの大合唱、そして子供たちのはしゃぐ声。
(まったく……いいよな、子どもは)
子どもたちのはしゃぐ声に、青年は引き締めていた頬を緩めた。
そんな時だった。
「―――メよ!! 早く戻ってきなさい!」
(ん?)
ふと聞こえてきた女性の叫び声に、青年は声のほうへと視線を向ける。
そこには横断歩道を渡っている一人の少年の姿があった。
だが、そこはまだいい。
なぜなら、信号は赤で、歩行者用の信号が青であることは明らかだったから。
何が問題なのか。
それは、赤信号にもかかわらず猛スピードで走る自動車のほうだ。
しかも、自動車は一向にスピードを落とす気配がない。
(女の子?)
そんな中、勇敢にも歩道から飛び出た長い金色の髪の少女は、男の子のもとまで向かうことはできた。
だが、足がすくんだのか動きを止めてしまった。
(って、おい!)
さらに少女が飛び出たのとは反対側の歩道から晃輔が飛び出たのを見た青年は目を見開かせて驚きをあらわにした。
そこから先は素早かった。
「くそっ」
青年はすさまじい速度で駆け出し車道……晃輔たちのもとへと躍り出たのだ。
(間に合え!)
晃輔によって弾き飛ばされた少女たちに向けて、青年は手をかざす。
一見すると、何の意味もない行動。
だが、浩かは一目瞭然だった。
弾き飛ばされた少女は、まるで誰かに抱えられるかのような動きで、彼女のいた歩道側に着地することができた。
(後は、こっちに向かってくる自動車をどうするか?)
そして青年は考える。
(気功術もどきで跳ね返すことはできるけど、そうすると運転手の命の保証ができない。でも、やらなければこっちが……)
青年は次の一手を打つことをためらっていた。
先ほど少女を無傷で着地させるために使った気功術もどきが、青年の得意技だった。
だが、それを自動車にかければどうなるか。
例えば、押し返してしまえばその時にかかる重力が運転手の命を危険に陥れてしまう。
(無用な殺生は控えるべき。ならば、横に払うしかない)
幸い、青年は人がいない場所を把握することができていたので、その方向に払ってしまえばいい。
だが……
「あ……」
青年は遅すぎたのだ。
青年が飛び出した時点で、自動車が接触するまでの時間はわずか6秒。
少女を無事に着地させるのに3秒。
晃輔と接触して地面に尻餅をつく形で自分に向かってくる自動車を確認するまでに1秒。
そして考える時間で2秒。
結論に至り、行動に移そうとした時には青年はすでに空に浮いていた。
そして周囲を包み込む喧噪。
”救急車を呼べ”、”大丈夫か!”などの声は青年の耳に聞こえていた。
「ぐ……」
青年は体を起こそうとするが、力が入らなかった。
何かが自分を押さえているようだと青年は考えていた。
「ここまで……か」
次第に薄れゆく意識の中で、青年はそうつぶやいて意識を手放すのであった。
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