「渉! 渉」
「ん……」
目を開けると、俺の前には慌てた様子のノヴァの姿があった。
「どうしたんだ?」
「どうしたではなかろう! 世界の歪みが起こってから何をしておったのじゃ!」
俺の問いに、ノヴァは大きな声で問い詰める。
「何をって………」
俺はあの時のことを思い出そうとした。
ピンク色の紋章の事は覚えている。
だが、それに飲み込まれてからの記憶は全くなかった。
何か、悲しくてそれでいてとてもうれしいことがあったような……。
「何じゃ、覚えておらんのか?」
「ああ、そうみたいだ」
ノヴァの心配そうな問いかけに、俺はそう答えた。
「ちょっと失礼」
ノヴァは右手に神具でもある”創世の杖”を出すと、それを俺に掲げた。
次の瞬間、俺の体は白銀の光のようなものに包まれた。
「特に異常は見当たらぬ。核の方が少々衰弱しておる様じゃが、一日いれば治るじゃろう」
俺に問題がないことがわかると、ノヴァは静かに息を吐き出した。
「ところで、異常な時間の進行現象の方は?」
俺の問いに、ノヴァは”その事じゃが”と前置きを置いて口を開いた。
「どうやら、こちらの干渉は不要じゃったようじゃ。世界は再び正しい動きを始めた」
「そうですか」
俺はほっと胸を撫で下ろす。
俺のせいで世界が滅亡したら、俺は後悔するだろうから。
「しかし一体、九日半も何をしておったのじゃ?」
「九日!?」
ノヴァの口から出た日数に、俺は驚きを隠せなかった。
俺達のいる天界では、時間の経過が人間界などよりはるかに遅い。
その差は40倍とされている。
真意のほどは分からないが。
「だから、驚きたいのは私の方なのじゃが」
ため息交じりに呟くノヴァだが、すぐに表情を引き締めた。
「まあ、少し休むとよい。霊質の方も回復しないといけないしの」
「分かりました」
俺はノヴァの提案に頷いて完全に霊質化する。
――霊質化
それは肉体の姿を解放し、魂のみの状態になること。
それによって、破損した魂の修復が出来るようになる。
ちなみに、今までしていた俺の姿の事は”部分物質化”といったもするが、それは関係ないだろう。
気づけば、俺がここで目が覚めてから1時間が経っていた。
俺は、いったん眠りにつくのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
渉が眠りについたのと、ほぼ同時刻。
「はぁ……」
縁側で掃き掃除をしていたユキカゼはこの日何度目かのため息をつく。
「ユキカゼ、ため息が出ているでござるよ」
「あ、す、すみません!お館さま!」
ダルキアンに指摘されたユキカゼは慌てた様子で謝ると、手の動きを速めた。
「気持ちは分からなくもないでござるよ。実際拙者もいっぱいいっぱいでござる」
「……はい」
ダルキアンの独白に、ユキカゼは静かに頷いた。
その理由は渉が世界を後にした後の事であった。
二人の元を訪れたリコッタによって伝えられたのは、送還の儀を行った場合、記憶を失うという物だった。
それだけでも二人は衝撃を受けたが、さらに追い打ちをかけたのは
『渉さんは召喚主である姫様に、ここに来ることの制約と身に着けていた品を渡されていないのであります。なので、渉さんは………』
リコッタのその一言だった。
「渉、今何をしているのでござろうか」
「……元気にしていますよ。たぶん」
二人はそう言いあいながら、空を仰ぎ見る。
その空模様は曇りのない清々しい感じであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「…………」
俺は目が覚めて部分物質化する。
ゆっくりと静養したことで、何とか核の損傷は修復できた。
だが、俺の心は全く晴れない。
(何なんだ。この気持ちは)
自分でもまったく理解できない感情に、俺は戸惑っていた。
この感情は、まるで小さい子供が親とはぐれて迷子になった時のような感じだ。
親がいない喪失感のような……
(馬鹿らしい)
俺は自分で考えていたことを切り捨てた。
俺には親なんて存在しないんだ。
ならば、この喪失感は何なのか?
「もしかしたら、格納空間に何かヒントがあるかも」
なぜか俺はそう考えていた。
確かに俺は大きいものは何でも格納空間にしまう癖がある。
だが、それは後付の理由のような気がした。
馬鹿げていることを承知で言うののであれば、それは”体が勝手に動いた”という事だろう。
格納空間を開いて、中に合ったものを取り出していく。
「何だ? これ」
中にあったのは二つだけだった。
一つはやや大きい太刀。
それならまだ理解はできる。
だが、もう一つの物が不明だった。
「これ、髪留めか?」
赤いリボンのような髪留め。
どう考えても俺がするものではない。
「一体誰の……」
そんな時だった。
――殿~――
「ッ!?」
突然した女性の声に、俺は周囲を見渡す。
だが、そこには誰もいない。
――待………るよ、…殿――
「誰だ?」
頭に響く声に、俺は問いかけた。
――それ………でござるよ。渉……――
「誰なんだ? お前は俺の何を知っているんだ?」
問いかけても答えなど返ってこない。
全く見ず知らずの女性の声。
俺にとってはどうでもいいはずなのに。
(どうして、懐かしい気持ちがわくんだ? どうして、俺は嬉しいという気持ちを抱くんだ?)
何がなんだかさっぱりわからない中、俺はすべてを振り払うように目を閉じた。
――討魔の……、ブリ……ュ・ダル……ンは、この剣を……って渉殿と共に暮ら……とを誓う――
女性の声が頭の中に響き渡った。
その声は今までのよりも、どこか悲しげな声に感じた。
「あ……」
不意に、俺の頭の中に金髪の少女に、紫色の髪をした女性二人の姿が現れた。
二人とも、何故か耳としっぽがついている。
「渉殿がどんな存在であっても、拙者は渉殿の事が好きでござる」
「拙者もでござるよ!」
そして聞こえてきた女性の声。
「は……ははは」
気づけば、俺は笑っていた。
――それは、居場所がないと覆っていた俺の居場所は、ちゃんとあったから。
気づけば、俺の視界は歪んでいた。
――それは、忘れていたことへの後悔の気持ち。
気づけば、俺の心は温かくなった。
――それはきっと俺が愛しているから。
――ユキカゼと、ダルキアンの二人を――
「………」
全てを思い出した。
そして俺のすることは一つしかなかった。
それは俺のした誓いを叶えなければいけないから。
「叶えるためには、これを使うしかないか」
俺の手にあるのは小ぶりの短剣だった。
だが、その剣に秘められている力は本物だ。
これを自身の胸に突き刺せば、”核”を破壊することが出来る。
”核”が破壊されればよくて天使、悪ければ普通の人間に戻る。
いわば、リタイア装置のようなものだ。
リスクとしてはさしたときの痛みを除けば残るのは、神の力は使えなくなる位だ。
(そんなリスク何て、俺には全く関係ない)
二人との誓いを叶える為であれば、自分の誇りだって捨ててやる。
「何をしているのだ?」
「……ノヴァ」
剣を胸に突き刺そうとするのを遮るように、背後から声を掛けられた。
「その剣を使うとは……余程の事情があるようだな」
俺の手にしているものだけで、ノヴァは俺に複雑な事情があることを読み取っていた。
「話してみな。そこまでする理由を」
「俺が、行方不明になっていた九日間……」
俺は静かに語りだした。
ここでの時間にして九日半の出来事を。
「なるほど。その二人の誓いを叶えるべく、神をやめる、か」
話を聞き終えたノヴァは深々と頷く。
「立派な話じゃ。だが、神をやめる事だけは許さ、ぬッ!」
「なッ!? ナイトメアが」
ノヴァが言い切るのと同時に俺の手にあった短剣、”ナイトメア”は粉々に砕け散った。
「ッ!?」
「私が認められるのは、神としての力を残した状態で世界とのつながりを断つことだけだ」
俺の体に突きつけられた杖に、息をのむ俺を気にした様子もなくノヴァはそう口にする。
「ということは……」
俺のその言葉を聞いて、ノヴァはフッと今まで浮かべていた硬い表情を解く。
「行ってきなさい。渉を待つ、二人の元へ」
俺の体に突き付けられた杖から光が放たれる。
それと同時に、俺と世界の”つながり”のようなものが無くなった。
「もうお主はここに来ることも、意図的に世界に干渉することも出来ぬ。それだけは心得ておくように」
「分かってる」
ノヴァの注意に、俺は頷く。
それはすでに覚悟していたことだ。
ノヴァはそんな俺に深く頷くと、杖をかざして何もない空間にゲートを開けた。
すでに俺はここでの存在権利を失っている。
もうここで俺が何かをすることが、出来なくなっているのだ。
「では渉。よき一生を」
「ノヴァも」
駈愚痴を叩きあいながら握手を交わすと、俺はゲートの前まで歩み寄る。
「ここの生活も、そんなに悪い物じゃなかったよ。ありがとう、ノヴァ」
俺は最後にそう告げて、ゲートに身を投げた。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「ありがとう……か」
既に閉じたゲートのあった場所を呆然と立ち尽くしているノヴァは渉の口にした言葉を呟く。
「今まで生きてきて数千年、初めて聞いたな。その言葉」
そう呟くと、ノヴァの姿はゆっくりと消えて行く。
「まあ、幸せに過ごすとよかろう」
そう呟いて、ノヴァは霊質化するのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
次元空間を進むこと数十分、俺は進むのを止めた。
「ここから脇道に入るか」
次元空間が結ばれていない世界の場合は、脇道という場所を通る必要がある。
しかもその脇道は入る場所が一ミリ違うだけで別の世界に行くため、探し出すのが困難なのだ。
故に、滅多な事ではそういう世界には行かない。
だが、俺はその場書で正しいという確信があった。
それがどうしてかと言われれば、”これだ!”と答えられる自身はないが。
「行くか」
俺は正宗と吉宗を重ね合わせ、一本の太刀へと変える。
「はぁぁぁッ!」
そして一気に次元空間に斬りつけた。
次元空間の一部に裂け目が出来る。
俺は躊躇なくその裂け目の中に入り込んだ。
そこは一面”黒”の世界だった。
そこを俺はためらいもなく前に進む。
(待っててくれ、二人とも。必ず戻るから)
その思いを胸に、俺は遥か彼方に見えてきた白色の光へと向かうのであった。
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