(いよいよ……今日か)
俺は誰もいない風月庵の縁側に腰掛けて、心の中でそう呟いた。
今日、シンクの送還の儀が行われる。
それは俺も天界に戻ることとイコールだった。
ユキカゼ達は、式典でビスコッティ城にいる。
本来は俺も出席しなければいけないらしいが、姫君のご厚意で出席しないことを許してもらった。
俺は徐に立ち上がると風月庵の草むらの方に近づく。
「tixio」
神剣を草むらの一部に掲げて静かに告げた。
すると、草むらだった場所の草が消えた。
そして現れたのは地面に描かれた紋章と円陣が合わさった模様だった。
これが俺が今まで二人に隠れて描いていた送還の儀に使う紋章陣と、時間経過をごまかす円陣だ。
ユキカゼ達にばれないように、草むらの幻影を見せる術をかけていたのだ。
(後はこの円陣が動き出した時に中に入れば、天界に帰れる)
紋章陣を前に、俺はそう頭の中で言い聞かせるが、どうも気分がすぐれない。
別に健康状態が云々というわけではない。
只々、後ろめたいだけだ。
(二人を悲しませるのは本当に申し訳ないが、一生会えなくなるよりはましだ)
そう自分に言い聞かせても、後ろめたさは消えることはない。
二人に正直に言うのも考えた。
だが、正直に言って残った日をぎすぎすとした空気の中で過ごすのは、いやだった。
結局こういう事に結論が言ったのだ。
「ま、どう取り繕っても俺の偽善だが」
そう呟いて、俺は思わず乾いた笑い声をあげた。
「………そろそろだな」
周囲に満ちる”何か”で、俺は送還の儀が行われるまで間もなくなのを悟った。
「何がそろそろでござる?」
「ッ!?」
円陣に向けて歩き出す俺の背中に掛けられた声に、俺は思わず足を止めた。
その声は、ここにはいないはずの人物のものだった。
俺はゆっくりと振り返る。
「ダルキアン、ユキカゼ」
そこにいたのは悲しげな表情を浮かべる、ダルキアンとユキカゼの姿だった。
「どうしたんだ? 式典の方は?」
「もう式典は終わったでござる」
「姫様から渉殿が帰られると聞いて、急いできたでござる」
俺の二つの疑問は二人によって解決された。
通りで二人の息が”若干”上がっているはずだ。
「本当でござるのか?」
「ああ」
ダルキアンの問いに、俺は二人に背を向けて簡潔に答えた。
「嫌だ……嫌でござる」
「……」
ユキカゼの悲しい声に、俺の心は悲鳴を上げる。
「せっかく渉殿と楽しく過ごそうと思ったのに……うぅ……渉殿、拙者たちとずっと一緒にいてほしいでござる」
ダルキアンのその言葉は、とても悲しげな物だった。
気を抜けば俺はすぐに振り返って、ここに残ると言うくらいのものだった。
「それは……できない」
だが俺は、そう答えるしかなかった。
そして、俺は足を紋章陣の方へと進める。
「行ってはダメでござる!」
「渉殿! 拙者たちの事が嫌いになったのでござるか」
ユキカゼの言葉が、僕の心に突き刺さる。
「そうじゃない。二人の事は、心の底から愛している」
俺は言葉を選んで二人に答える。
間違えてしまえば、すべては終わりだ。
「だったら――」
「だからこそ、だ」
ダルキアンの言葉を遮って、俺は言葉を続けた。
「二人とずっといるために、俺は戻らなければいけない。そうしなければ、俺は二人と永遠に会うことはできない」
”しまった!”と思った時にはもう遅かった。
「ッ!?」
「どういう……事でござる?」
俺の一言に、二人の顔がこわばった。
誤魔化すことはできない。
俺は本当のことを告げた。
とても残忍で最悪な言葉を
「俺が世界の意志だということは、前にも話したよな?」
俺は二人が頷いたのを確認して話を進めた。
「俺やユキカゼのような存在は違いはあれど、霊力というものによって維持されている。その源の”核”はそれぞれの神に適した形で、霊力を生み出し続け………というのは置いとこう」
話の趣旨が変わってきていることに気付いた俺は、話を元に戻すことにした。
「ユキカゼの場合は、ここの世界にいてもその姿を、語弊はあるが維持できるようになっている。だが、俺の場合は外の世界に長期間いられるようにはできていない。それもそうさ。世界全体を守る神が一世界だけに長期間留まる必要なんてないんだから」
その土地を守護し、安定化させる”土地神”はその世界に留まることを想定されて核が形成されている。
だが、俺の場合はそんなことは想定されていない。
「………」
二人は無言で俺の言葉に耳を傾けていた。
「その俺が長期間ここに居続けることによって、霊力の生成力が低下しつつある。その状態を物質化抵抗現象……俺の知り合いは”物質化”と呼ぶ。今はまだいい。だが、このままここに居続ければ霊力の生成力はさらに落ちる。そして……」
「どうなるので……ござる?」
ユキカゼの手は小刻みに震えていた。
俺は心が痛みながらも、答えた。
「消滅する。魂ごと」
「「ッ!?」」
俺のその一言で、二人の顔は真っ青になった。
「もう道はないんだ。一旦元の場所に戻って時間はかかってももう一度会えるようにするか、残された時間をここで過ごして永遠の別れをするかの二つ何だ」
「そんな……」
「あんまりでござる」
ダルキアンとユキカゼは目を潤ませながら口を開いた。
俺は二人から顔をそむけなかった。
それは二人に対して止めを刺すようなことだと思ったからだ。
だからこそ俺は、”二人は、どっちを取るんだ?”という言葉を飲み込んだ。
「ごめん」
俺に出来たのは、二人をそっと抱きしめる事だけだった。
「う……うぅ」
「……グス」
何かが決壊したように、二人は嗚咽し始めた。
俺は熱いものがこみ上げてくるのを必死に堪えて、抱きしめ続けた。
いつまでも、長い間。
時間の許すまで。
「もう、大丈夫で……ござる」
ユキカゼのその一言をきっかけに、二人は静かに俺から離れた。
二人の目はとても赤かった。
時間と言うのは有限だ。
俺の後方で送還の儀の紋章が光り輝くのを俺は感じた。
それは、俺達の別れの合図だった。
「……い、いやー。渉殿、戻ってきたら元の世界の土産話をたっぷりと聞かせてほしいでござるよ」
「お館さま」
何時ものように気丈に振舞うダルキアンだが、声が震えていた。、
(なにかないのか)
俺は必死に考えた。
この二人に、少しでも笑ってもらえる方法を。
このまま涙の別れは、俺も嫌だ。
(そう言えば……)
俺は前に交わしたノヴァとの会話を思い起こした。
『お互いの神具ないしは大事な物を交換するんじゃ』
『交換するとどうなるんだ?』
『それはじゃな――――』
「ダルキアン、ユキカゼ」
思い出した俺は、すぐに行動に移していた。
「どうしたで、ござる?」
「何でござる?」
二人が返す中で、俺は自分の神剣吉宗を取り出した。
「これを二人に預ける」
「……何だか忘れ形見のようで嫌でござる」
ユキカゼがポツリと漏らした。
そう言えばそういう意味にも捉えられる。
「いや違う。お互いの大事な物や神具を交換する。それは誓いの言葉となる」
ノヴァから教えて貰ったのは、神が人へ誓いを立てる際に使う行為の事だった。
「世界の意志、小野渉は神剣吉宗を以って、二人の元に戻ることを誓う」
「渉殿……グス」
その誓いの言葉に、ダルキアンは再び目を潤ませてながらも俺の神剣を受け取った。
「討魔の剣聖、ブリオッシュ・ダルキアンは、この剣を以って渉殿と共に暮らすことを誓う」
「天狐の土地神、ユキカゼ・パネトーネは、この髪留めを以って、渉殿と共に暮らすことを誓う」
俺はダルキアンから太刀を、ユキカゼからは髪留めを受け取った。
髪留めを外したことによって、束ねていた髪が後ろに広がった。
それだけでも、印象が変わることには十分だった。
(でも、なんだかおかしいかな)
そう思うと、今まで大人な印象を持ったユキカゼの髪をとかした姿は、背伸びをする子供のようにも思えてきた。
二人からもらった誓いの証を格納空間にしまいながら、俺は紋章陣の方へと歩み寄った。
「それじゃ……二人とも」
「うむ、またでござるよ。渉殿」
「帰ってきたら、拙者と一緒にお風呂に入るでござるよ!」
「了解」
ものすごいことを言われたような気もしたが、俺はそれもそれでありかなと思い、承諾した。
「あ、拙者もでござる」
「あ、あははは」
飛びつくようにダルキアンが言ってきたので、俺は思わず苦笑を浮かべながら紋章陣へと足を踏み入れた。
次の瞬間、体はピンク色の光に包まれていく。
「――――――!」
「―――!!!!」
紋章陣から出る音で、二人の声は聞こえなくても、俺には二人が口にした言葉が何となくだが伝わった気がした。
「またな、二人とも!」
俺が手を振ると、二人も手を振りかえす。
やがて、俺を包む光はさらに増し、次の瞬間俺の意識はブラックアウトし始める
――絶対に戻ってくるでござるよ、”渉”――
――信じてるでござるよ。”渉”――
二人がさっき口にしていた声が頭の中で流れるのを聞きながら。
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