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黄昏の部屋(別館)

こちらでは、某投稿サイトで投稿していた小説を中心に扱っております。

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第71話 ライブに向けて

「あ、ムギ」
「何? 浩介君」

田井中家を後にしたところで、僕はムギに声を掛けた。

「唯は僕が背負うよ。男で力もあるから」
「それは嬉しいんだけど、ギターはどうするの?」

僕の提案に、ムギが困ったような表情を浮かべながら尋ねてきた。

「それじゃ、本末転倒になるかもしれないけれど、僕のギターを代わりに持ってもらっていい?」
「もちろん」

まるで交換するかのように僕は唯を背負い、ムギはギターケースを手にした。
ちなみに唯のギターケースは梓が持っている。

「それじゃ、行こうか」

そして僕たちは再び足を進めるのであった。

「すぅ……すぅ……」

背中から聞こえるのは規則正しい唯の寝息と時より行き交う車の音。

「なあ、浩介」

そんな中で、澪の声が聞こえてきた。

「何?」

僕は、澪に用件を尋ねる。

「ありがとう」
「何のお礼? それは」

突然お礼を言ってくる澪に、僕はそう言い返した。

「律のこと。ちゃんと話をするように言ってくれて。後、迷惑をかけてごめん」
「ちょっと待ってくれる?」

お礼と謝罪を口にする澪に、僕はそう返した。

「まず第一に、謝るのなら、僕ではなく皆に謝るべき。皆も差はあれど迷惑を被ってるんだから」
「……分かってる。ちゃんと謝るよ」

僕の言葉に、澪は頷くとしっかりとそう答えた。

「それと、部室の言葉は僕の戯言だ。だから、お礼を言われる筋合いはないし、言われても困る」
「全く、素直じゃないんだから浩介は」

僕の言葉に返ってきたのは澪の呆れたような声だった。

「でも、そういうところが浩介君らしいよね」
「はい!」

後輩にまで僕はそう思われていたようだ。
僕はある意味、知りたくなかった事実を知る羽目になってしまった。

「そう言えば、浩介といつの間にあんな風に親しくなったんだ?」
「わりとすぐだったけど。一喝したら後はずるずると」
「浩介の才能かもしれないな、そういうところ」

何だか勝手に才能認定されてしまった。

「聡って、微妙に恥ずかしがり屋なところがあるから、初対面の人とあそこまで親しげに話をしていたのは浩介が初めてだと思う」
「人は、移ろいゆくものだ。それは澪にだって言える。君の知る聡という人物像と今の彼ははたして”イコール”で結べるのだろうかね?」
「わざと分かりにくくなるように、言ってないか?」

さすがに僕がわざと分かりにくい言い回しをしていることに気付いたのか、澪がジト目で僕のことを見ながら聞いてきた。

「正解」

そんな澪に、僕はそう答えるのであった。










「本当に大丈夫ですか?」
「もちろんだ。そっちも気を付けて帰りなよ」

梓の自宅に向かう道と、僕たちの帰宅路が分かれている分岐点で、不安そうに聞いてくる梓に頷いて答えると、注意するように告げた。

「はい。それじゃ、また明日」
「ああ。また明日」

唯を背負いながら、手を振ってくる梓に手を振りかえすと、僕は未だに眠っている唯を背負ったまま唯の家へと向かう。
ちなみにギターは仕方がないので僕のだけを、格納庫に入れておくことにした。

『はーい!』

唯の家に到着した僕は、インターホンを鳴らすと中から憂の声が返ってきた。
そして誰かが近づいてくる気配がした。

「どちら様ですか……ってお姉ちゃん?! どうしたの!? 足を怪我したの!?」

(今日も飛ばすなぁ)

憂のマシンガントークに、僕は苦笑しながら事情を説明しようとした時だった。

「えへへ~、実はね寝ちゃってたから浩君におんぶされてきたんだ~」

後ろの方から唯の無邪気な声が聞こえてきた。

「………」

僕は思わず言葉を失った。
ただ、言えるのは。

「唯、いつから起きてた?」
「えっとね『何のお礼? それは』のあたりから」

記憶をたどってみた。

「それって、かなり前のことだよな?」
「うん♪」

しかも歩き出してすぐだし。

「だったら、すぐに言いなよ」
「だって、浩君の背中気持ちよかったんだもん~」

唯の反論に、僕は意味が分からなかった。

「というより、降りて」
「もう浩君は素直じゃないんだから☆」
「……………」

なぜか、僕はとてつもない敗北感に襲われていた。

「お姉ちゃんがお世話になりました」
「いえいえ」

憂のお礼の言葉が、何となく止めの一言に聞こえたような気がする僕だった。










『浩介、そっちはどうだ?』
「一悶着ありましたけど、何とかいい方向に転がったようです」

自宅に戻った僕は、自室で田中さんと電話をしていた。

『何だまた一悶着か』
「ええ」

また何か嫌味でも言われるのかと僕は心の中で思っていると、

『青春してるじゃないか』
「………まあ」

以外にも、そう言った言葉はかけられなかった。

「しかし、意外です」
『何がだ?』
「田中さんだったらまた嫌味を言ってくると思ったのっで」

何を言いたいのかがわからない様子の田中さんに、僕はそう答えた。

『お前は、俺をなんだと思ってる?』
「あはは……」

声のトーンを落とした田中さんの問いかけに、僕は苦笑するしかなかった。

『まあいいが、今年のライブも楽しみにしてるぞ』
「はい。必ずいいライブにしますよ」

僕は田中さんにそう宣言するのであった。

(後の問題は……)

簡単にそれは思い浮かんだ。
未だに決まっていない軽音部のバンド名のことだ。
決めない限り、提出することはできない。
一応期限は明日までになっているが、時間はあまり残っていない。
バンド名を早く決めないといけないのだが……

「うーん、まったく思いつかない」

なかなかいいバンド名が思いつかなかった。
H&Pはいつまでも燃えていき、決してその炎は消えないという意味で着けたバンド名だ。
では、軽音部はどうだろうか?
どのような名前がぴったりだろうか?

「………寝るか」

僕が出した結論は、考えることの放棄だった。
そして僕は眠りにつくのであった。










「さて、行くか」
「お、今日は部室に行くんだな」

放課後を迎え、席を立つ僕に慶介が声を掛けてきた。

「昨日は、活動を自粛していただけだ。今日からは通常通りに活動する。別にサボってるわけじゃないんだから」
「それは分かってるけどさ」
「まあ、行くのは生徒会室だけど」

何せ、これからちょっとした野暮用があるのだ。

「は? 生徒会室って……お前まさか何かよからぬことを―――ジャカルタ!?」
「貴様は僕をなんだと思ってるんだ。ちょっとした野暮用だ」

ものすごく失礼なことを口にした慶介に、僕は鉄槌を浴びせた。

「ど、どうもずびばぜん」
「ったく。それじゃ、行くからな」

頭を抑える慶介に、ため息を漏らしながら、僕は教室を後にした。

「あ、英和辞典を返し忘れた」

教室を出て少し歩いたところで、先日英和辞典を慶介から借りたまま返していなかったことを思い出した僕は、慶介に返すために教室へと引き返す。

「今日は返さないぜ、マイスイートハニー」
「えっと……」

教室に戻ると、慶介が佐伯さんをナンパしていた。

「…………」

僕は無言で英和辞典を取り出すと、教室内を確認する。

(教室内で巻き添えを喰らいそうな人の姿は無し)

車線上には、その危険性のある人の姿は見かけなかった。

(それじゃ)

僕は英和辞典を手に、慶介の方に向けて全力で投げた。

「ガンマっ!!!?」

そして辞典は見事に慶介の頭に直撃した。

「よし」

それを確認した僕は、再びその場を後にするのであった。









「失礼します」
「ちゃんと約束通りに来たのね」

生徒会室を訪れると、生徒会長の姿があった。

「約束は約束ですから」
「クス。それじゃ、お願いね」

僕が会長から出された条件は実に単純だった。
”生徒会室の資料整理の片づけを手伝うこと”
なんでも、生徒会室では資料整理をこの時期にしているらしい。
理由は知らないが、この時期に行っているのが通例なのだとか。
そして、資料整理は終了したものの、それの片づけの作業が問題となった。
会長曰く、生徒会役員は学園祭の開催に向けて手助けなどをしているため、どうしても人員が不足するらしい。
ちなみに、慶介は学園祭で必要な道具を運ぶこき使われ役だったらしい。
確かに、最初に生徒会室を訪れた際に、いくつかの段ボール箱が置かれていたのは覚えている。

『それなら、学園祭が終了した後にすればいいのでは?』

そんな僕の疑問に、会長の出した返事が

『それでもいいのだけれど、学園祭での作業で疲れた役員たちに重労働をさせるのもね』

という会長の心遣いなのかどうかは知らない理由で却下された。
そこで、僕の登場ということだ。

「とりあえず、その段ボール箱を番号順に上の棚に置いて行ってもらえるかしら。番号は右下の方に書いてあるから」
「分かりました」

会長の指示のもと、僕は右下に書かれている番号を確認して、一番若い数字の段ボール箱を持ち上げる。
そして棚の前に置かれた脚立に上って、箱を棚の一番上の方に置いた。

「はぁ……浩介様と仕事ができるなんて。幸せ」
「………」

今何か後ろの方から雑念のようなものが聞こえたような気がしたが、気のせいということにしよう。
そうして、僕は黙々と資料の入った段ボール箱を棚に片づけていく。
そんな中、血相をかいて生徒会室のドアをけ破る人物がいた。

「すみません!!」
「……いきなりどうしたのかしら?」

ドアをけ破る勢いで開けた人物……律に、会長は物静かな様子で応対する。

「あ、あの。講堂使用届なんですけど」
「あー。あれね」

律の言葉に、会長は思い出したように相槌を打った。

「確か、あなたたちの部は未提出だったようだけど?」
「すみません! どうか一日待ってくれないでしょうか!!」

公では未提出扱いだが、まだ僕たちだけは提出期限が過ぎていない。
だから、律の懇願はある意味無意味だったりもする。

(今日になって、使用届が出されていないことを知らされたわけか)

誰が知らせたのかは、一緒に入ってきた真鍋さんを見れば一目瞭然だろう。

「でも、締め切りはとっくに過ぎてるし、規則は規則だから」
「そこをなんとか!」
「私からもお願いします!」

必死に懇願する律に、驚くことに真鍋さんも加わった。

「提出が遅れたのは、部長の田井中さんが風邪で欠席したためですし、もう一日だけ待っていただけないでしょうか?」
「…………………クスクス」

そんな真鍋さんの懇願に、会長はおかしそうに笑い声をあげた。

「あ、あの」
「ごめんなさいね、真鍋さん。その件は大丈夫よ。すでに使用届は提出されてるから」

そんな会長の様子に怪訝そうに声を掛ける真鍋さんに、笑うのをやめた会長は律たちに向き直った。

「え? でも、私は提出なんか……あれ? そう言えば使用届は?」
「それだったら浩介に」

いきなり僕の名前が出てきた。

「ですけど、未提出になってましたけど」
「ええ。副部長さんに返したの。彼ね、”名称”を記入せずに提出していたから。だからその修正が必要ということで今日までに必要事項を埋めて再提出するように指示を出したのよ」

真鍋さんの疑問に、会長が答えた。

「そうよね、高月君」
「…………あなた、人が悪すぎです」
「褒め言葉として受け取っておくわ」

僕の苦言に、会長はさらりとかわしてしまった。

「浩君!?」
「こ、浩介!?」
「な、何をしてるんですか?」

僕の存在にようやく気付いたのか、驚きの声を上げる唯たちに、僕は最後の段ボール箱を棚に置いて脚立を降りてから、みんなの方に向き直る。

「ちょっとした雑務をね」

そう言いながら僕は律たちの方に歩く。

「これで、取引は成立。ということでいいですか?」
「ええ。とても満足したわ。ありがとうね、高月君」

僕の言葉に、会長は満足した様子で頷くと、お礼を言ってきた。

「浩介、一体どういうことなのかを説明――「はいはい。歩きながらするから部室に行こうな」――って、ちょっと待てよ!」
「あ、待ってください。浩介先輩」
「浩君が、策士にっ!?」

生徒会室を後にする僕を追いかけるように、みんなもぞろぞろと出てきた。
こうして、僕たちはもう一度バンド名を考えることになった。

「それにしても、それならそうと言ってくれても」
「澪の言葉を使うのであれば、迷惑を掛けられた仕返し」

僕は律の抗議に対して、そう反論したのは、余談だ。










バンド名を再び考えることとなった僕たちは、それぞれ席に着くとそれぞれの案を口にしていく。

「ねえ、やっぱり”ぴゅあぴゅあ”がいいんじゃない?」
「却下」

再び却下された案を口にする澪に、律は容赦なく却下にした。

「”にぎり拳!”はどうかな?」
「僕たちは演歌集団か?」

演歌みたいなニュアンスのバンド名を、僕はツッコみつつ却下する。

「だったら、靴の裏のガム!」
「今日、踏んだんだな」
「すごい! 何でわかるの?!」

ものすごい時事性の高いバンド名を口にする唯に、律はどこか呆れた様子でツッコむ。
そんな中、気になるのが僕の隣に座る山中先生だ。
笑顔だが、その笑顔がそこはかとなく怖い。

「だったら、”ポップコ-ンハネムーン”とかは?」
「だからどうしてそんな甘々なのばっかなんだよ!」

もはやそれは澪の才能なのかもしれない。

「あ、だったら。ロケット鉛筆はどうかな?」
「唯、少し黙って――――」

僕が唯に”黙ってて”と言おうとした瞬間だった。

「まどろっこしい!!」

とうとう我慢の限界を超えたのか、山中先生が大声を上げながら、使用届をひったくった。

「全くお茶が飲めないじゃないの。こういうのはね、適当でいいの。はいっ!」
『あぁ!? 勝手に決められたぁ!!』

山中先生によって強引にバンド名が決められてしまった。
だが、それは

「まあ、いっか」

とても無難であり、ピッタリなものだった。
律の言葉に、僕たちは頷いて答えていく。

「よしっ! それじゃ、記念撮影だ! 澪、カメラ! 浩介はボードを」
「それじゃ、私は生徒会室に行くね」

律がせわしなく指示を出す中、真鍋さんはそう言って部室を後にした。
ある意味、一番大物なのかもしれない。
そして僕たちは、先ほど決まったバンド名を書いたボードを背景にして、記念撮影をした。

「浩君! こっちこっち」
「はいはい」

唯に誘われるがまま、僕は唯と梓の間に入り肩に腕を回す。
徐々に実りの秋を迎えるこの季節に、軽音部は”放課後ティータイム”別名HTTという名前で新たなスタートを切った。
後は、学園祭に向けて猛練習をするだけ。

「いっくし!」

なのだが、唯のくしゃみになんとなく嫌な予感を感じてしまう僕なのであった。

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第70話 男とは

「失礼します」
「あら、いらっしゃい。高月君」

生徒会室に足を踏み入れると、そこには栗色の髪を伸ばした物静かな令嬢の雰囲気を醸し出す女子生徒がいた。

「なぜ自分の名前を? いえ、それよりも生徒会長はどちらに?」
「私がその生徒会長なんだけど」

なんと、驚いたことに目の前の女子生徒が生徒会長だったらしい。
そう言えば、マラソン大会とその後の時間ループ事件で犯人が成りすましていた女子に似ていたような気がした。

(どうでもいいことだと思って完全に忘れていた)

なり増された生徒のことを記憶しても意味がないので、気にも留めていなかったのが、裏目に出たようだ。

「それは大変失礼を。お名前をうかがっても?」
「いいわよ。私は曽我部 恵よ。よろしくね」

立ち上がりながら、人当たりのいい笑みで名前を口にした曽我部生徒会長は、僕に手を差し伸べてきた。

「高月浩介です。軽音部の副部長をしています」

それに僕も応じることにした。

「それで、用件は何かしら? もしかしてお茶を飲みに来たとかかしら?」
「違いますので、嬉しそうに用意をしようとしないでください!」

なぜかお茶を飲みに来たことを前提に、話を進めようとする会長に、僕は慌ててツッコんだ。

「そう? まあ、立ち話もあれだし。お茶でも飲みながら用件を聞かせてくれるかしら」
「分かりました」

結局会長に押し切られるまま、僕は会長に進められるがままに座らされた。

「軽音部で飲んでいるお茶よりはあれかもしれないけど、どうぞ」
「それじゃ……」

ちゃっかりと自分の分まで注いだ湯呑を自分の席に置くと、会長は席に着いた。
僕は会長の斜め右側の席だった。

「あ、おいしいです」
「ふふ、ありがとう」

嬉しそうに微笑む会長をよそに、僕は咳払いをする。

「それで、本題を話しても?」
「そうね。それじゃ、聞かせてもらえるかしら?」

ようやく本題に入ることができた僕は、会長に用件を告げる。

「学園祭の行動使用届の提出期限を数日だけ伸ばしてほしいんです」
「……どうしてかしら?」

表情から笑みが消え真剣なものに変えながら聞いてくる会長の目をそらさずに、理由を答える。

「現在、部長である田井中さんは風邪で書類に記入できるような状態ではありません」
「でしたら、副部長である高月君が必要事項の記入をして届け出ればよいのでは? 副部長にも提出する権限はあることだし」

会長の返答は尤もだった。

「その必要事項の一つでもある”名称”が、まだ決定していないんです。勝手に決めるのは仲間の存在を無視することにもなりますし、部活動に支障をきたす恐れもあります」
「………」

僕の言葉を、会長は真剣な表情で聞いていた。

「せめて1日だけでいいんです。どうか伸ばしていただけないでしょうか」
「申し訳ないけど、規則は規則なの。それに、そんな理由で締め切りの延長を許していたら、他の部もやりかねない。軽音部だけ特別に許可を出すわけにはいかないの」

だが、無情にも返ってきたのは却下の答えだった。

「ご存知かもしれないですが、軽音部にも新入部員が入りました」
「ええ。確か中野さんよね? でも、それがどうかしたのかしら」

入部届の最終的な行き先はここ生徒会になるのだから、会長である彼女が知っていてもおかしくはないのだが、なぜか名前まで知っていた。

(まあ、いいか)

今はそんなことを気にしている余裕はなかったので、僕は考えるのをやめた。

「学園祭でのライブはいわば彼女にとっては初めての舞台です。そう言った場所に立たせてやるのが先輩である僕たちの役目ですし、僕は立たせたいと思います。例え、どんなことをしてでも」
「ちょっと高月君、目が怖いわよ」

いつの間にか相手を威圧しかけていた僕は、慌てて自分を落ち着かせた。

「お願いします! 一日だけ、提出を待っていただけないでしょうか?」

そして僕は会長に頭を下げた。
本当ならば生徒会役員に頭を下げるのもいやだった。
僕にとってはそれは屈辱を意味した。
別に、頭を下げるのが嫌なわけではない。
教師や医者には簡単に頭を下げることができる。
でも、生徒会役員だけは嫌だった。
僕は、それを我慢した。
それでライブができるのであれば、頭など何百回でも下げる。
それでもだめなら、力ずくでも頷かせる。

「貴方の心意気は分かったわ。でも、規則は規則なの。だから、”名称”が未記入のままでもいいから提出してもらえるかしら?」
「え?」

一瞬会長の言わんとすることが理解できなかったぼくは、思わず聞き返した。

「必要事項が記入されていない書類は、書き直しということでもう一度部長や副部長の方返されることになるの。そしてその書き直しの期限は最高で届の締め切り1日後まで」
「……あ」

そこに来てようやく、会長の理屈が理解できた。

「つまり、使用届さえ出してしまえば、締切日の翌日まで使用届の提出期限を延ばすことができる」
「そういうこと。そうすれば、例外を作ることもなく伸ばすことができるし、混乱は防げるわ」

会長の提案はとても魅力的なものだった。
強硬手段ではないとは言えないが、それでも正当な方法で締め切りの延長ができる。

「ただし、表面上は”未提出”になるから、気を付けてね」
「分かりました」

会長の注意に、僕は頷いて答える。

「でも、それをするには一つだけ条件があるの」
「………………………はい?」

再び思考がフリーズしてしまった。
小悪魔な笑みを浮かべながら会長はその条件を口にする。

「分かりました。呑みます」

僕はその条件を呑むことにした。

「それじゃ、交渉成立ね♪ まずは、講堂使用届を出してもらえるかしら」
「はい」

僕は会長に促されるまま、澪から預けられた講堂使用届を渡した。
ちなみに、どうしてこれを僕が持っているのかというと、澪曰く『浩介に渡しておいた方が安心できる』らしい。
この時ばかりは律に同情したくなった。

「”名称”がないわよ。明後日までに書き直してね」
「はい、すみません」

そしてすぐさま会長から使用届が返された。
もちろん、これも形式的なものだ。
これで、使用届の提出期限は明後日までとなった。
あとは今回の問題が解決するだけだ。

「それでは」
「あ、約束の件、お願いね」

ものすごく面倒なことになったけど。

「ずいぶんと根回しがいいのね」
「……立ち聞きですか? 山中先生」

生徒会室を出たところで、僕は山中先生に声を掛けられていた。

「ごめんなさいね」
「まあ、いいですけど」

僕は山中先生に背を向ける。

「ちょっと待ってくれる?」
「何ですか?」

去ろうとする僕を呼び止める山中先生に、僕は用件を尋ねた。

「高月君は、今回の件解決できると思う?」
「おかしなことを聞きますね。先生は」

軽く笑いながら、僕は山中先生に向き直った。

「”できる”ではなく、”させる”んですよ」
「…………そうだったわね。ゴメンね呼び止めてしまって」

僕の言葉に、一瞬驚いたように目を見開かせた山中先生だったが、すぐに微笑みを浮かべながら口にした。
僕はそんな山中先生に一礼をすると、今度こそその場を立ち去るのであった。










その翌日、僕とムギに梓と唯の四人で風邪で欠席している律の見舞いに行くことになった。

「えっと、この道をまっすぐ行って……」

律の家がかかれた地図を手に先導する唯に、ついて行く形で僕たちは歩いていたのだが……

「あの、ここさっきも通りましたよ」
「あれぇ?」

梓の指摘に、唯が首をかしげた。

『大丈夫! 律ちゃんの家への案内は私に任せて! ふんすっ!』

等と自信満々に息巻いていたが、ふたを開ければこの状況だ。
もはや、天才級の天然かもしれない。

「もう唯は後ろにいろ。僕が先導する」
「そうですね、それがいいですね」
「浩君もあずにゃんもしどい!」

唯が抗議の声を上げてくるが、僕はそれを無視した。
そして、改めてメモを手に歩き出すのだが……

「ここだな」
「あれ、ここ何回も通ってましたよね?」

一軒の住宅の前に立ち止まった僕と梓は唯の方を見る。
そこは何回も通り過ぎた家だった。

「間違えちゃった、テヘ★」
「もう二度と唯には道案内はさせないっ!」

かわいこぶる唯に僕はそう告げるとインターホンを鳴らそうとし――――

「ごめんね。私、人様の家のインターホンを押すのが夢だったの!」
「そ、そうなんだ」

―――たところで横からインターホンを押したムギが無邪気に笑いながら謝ってきた。
そこまで目くじらを立てることもないので、僕は普通に返事を返した。

「はい、どちらさ――――ですか」
「…………田井中律の見舞いできたんだけど。部屋の場所はどこかな?」

戸を開けた少年は、僕を見るなり近くのドアの陰に隠れてしまった。

(そんなに、僕は怖いか?)

微妙にショックを受けながらも、僕は用件を少年に告げる。

「ね、姉ちゃんの部屋だったら、階段を上ったところにあります」
「え、 ”姉ちゃん”?」

少年の返答に、梓が驚きのあまり固まった。

「へぇ、律ちゃんに弟がいたんだ~」
「ねえねえ、名前は何ていうの」

二人の言葉に、律の弟は、ドアを閉めて隠れてしまった。

「あれ?」
「えっと……律先輩の部屋に行きましょう」

隠れてしまった律の弟のことはいったんおいておき、お見舞いの方を優先させる結論になったようだった。

「僕はここで待ってる」
「えぇー、一緒に行こうよ」

僕の言葉に、唯が不満そうに言いながら一緒に行くように促してきた。

「あのね、男が女の部屋に行くのは倫理的に問題でしょうが。僕はここで待ってる」
「あれ、でも浩君。私の部屋には入ってきたよね」

唯から鋭い指摘が入った。
何気なく僕は唯の部屋に入っていた。
今になって倫理も減ったくれもないわけだ。

「だったら唯隊員に重要な任務を言い渡す」
「ははぁ!」

僕はノリでごまかすことにした。

「僕の分も田井中隊長を見舞ってくるのだ!」
「そんなの唯先輩でも誤魔化されるはずが――「了解であります!」――誤魔化されてる!?」

唯の操縦方法は、すでに習得済みだ。
そんなこんなで、唯たちの女性人は律の部屋に見まいに向かい、僕は玄関の壁にもたれかかるようにして腕を組み目を閉じると、唯たちを待つことにした。

「…………」
「………」

先ほどから律の弟の入った部屋のドアから気配のようなものを感じる。
まるで僕がいるのかどうかを確かめるように。
というより、実際には確かめているのだろう。
先ほどから下がったり近づいたりを繰り返しているのだから。

(人見知りなのかどうかは知らないけど、いい加減鬱陶しい)

これで数十回目にもなるため、そろそろ鬱陶しさを感じてきた僕は、閉じていた口を開くことにした。

「そこの少年。さっきからバタバタバタバタ鬱陶しい。男ならどっしり構えろっ」
「ッ!」

僕の怒号に、中の方で反応があった。
そして、ゆっくりとドアが開いた。

「それで、少年。名前は」
「………」

出てきたものの、やはり問いかけには答えない。

「そうだな。まだこっちの自己紹介がまだだったな」

なので、こちら側から歩み寄ることにした。
子供に対しての接し方は分からないので、いつも通りに。

「僕の名前は、高月浩介。君の姉と同じ高校に通っている」
「俺は……田井中 聡」

僕の自己紹介に、少年は自分の名前を告げた。

「高月さんのこと――「ストップ」――え?」

僕は話している途中で、止めさせた。

「苗字ではなく、名前で呼ぶといい。こちらも君のことを聡と呼ばせてもらう」
「は、はい。浩介さんのことは、姉ちゃんからよく聞いてました。とっても豪快で面白い人だって」

(面白い?)

聡が告げた僕のことを話した律の言葉に、首をかしげる。

(どうやら、一回話をする必要があるようだな)

僕は心の中で、律と話し合いをすることを決めた。

「あの、リビングの方で話しませんか?」
「それじゃ、言葉に甘えよう」

聡の提案に、僕は賛同すると彼の案内の元、僕はリビングへと向かうことにした。









「あ、どうぞ」
「失礼して」

聡に促されるまま、僕はソファーに腰を下ろす。

「あの、学校で姉ちゃんどんな感じですか?」
「やはり気になるか?」

僕の言葉に、聡は無言で頷いた。

「そうだな……あいつは、時より不器用なところがある。それが悪いことではないが、不器用さが故に損をすることも多い」
「は、はあ」
「テンションは常に高いかな。その点旬の高さはある種のムードメーカと言ってもいいだろう。だが、空気を読まないとこれはやかましくなるだけだ。何事も程度の問題か」
「そ、そうですか」

何だかさっきから生返事のような気がしてくる。
だが、聞かれたことには何事も真摯に応えなければいけない。
たとえ相手が子供だろうとも、誤魔化すのは相手に失礼だ。

「だが、心はまっすぐな奴だ。どこかの弟のようにな」
「え?」

今度の言葉はちゃんと伝わったのか、聡はこっちの方を見つめてくる。

「誇るといい。君の姉はとても素晴らしい人物だ。もし、悪口を言うやつがいたら僕に言うといい。そいつにきっちりと話をつけるから」
「………あははは!」

僕の言葉に、目を見開かせて呆然としていた聡だったが、突然笑い出した。

「何かおかしいことでもいったか?」
「いえ。なんだか、見かけとは違ってたから」

僕の言葉に、笑いながらも聡がその理由を答えた。

「先ほどから、私はどういう風に君に見えているんだ?」
「えっと……とても怖い感じの人です」
「やはり、そう見えてたか」

自分でもわかってはいたが、そういう風に見えてしまうのを指摘されるとどこかショックでもあった。

「私も治そうとはしているんだが、なかなかこれは治らない。なにせ、この”怖い感じ”を求められる立場にいたからな」
「それって、どういう意味ですか?」

ふと漏らしてしまった僕の言葉に、聡は興味深げに聞いてきた。

「知らなくていいことだ。男というのはな、大事な仲間や人を守れてこそ真の男となる。僕のこのみかけもまた、そうなるための物でもある」
「すみません、分かりません」

僕の言葉の意味が理解できなかったようだ。
当然だ。
理解できないように言っているのだから。

「今は分からなくていい。いずれ分かる時がくる。その時、君は一体その背中で何を守り、何が為に力をふるうか………楽しみにしておこう」
「あ、あの!」

僕は聡から視線を外すと、再び声を掛けられた。

「何だ?」
「浩介さんのことを――「あ、浩介。こんなところにいたんだ」――」

聡の言葉を遮るように現れたのは、澪だった。

「澪に皆……って、何故唯は背負われてる?」
「唯先輩何だか、眠っちゃったみたいで」

ムギの背中に背負わされてすやすやと眠っている唯に、首をかしげていると梓が答えてくれた。

「見舞いに行って逆に眠ってどうするんだ」

僕は深いため息をつきながら、澪たちの方へと向かう。

「そう言えば、聡。僕に何か言いたいことがあったんじゃないのか?」
「あ……また別の機会でいいです」

僕はふと聡が僕に何かを言おうとしていたのを思い出したので、聞いてみるがはぐらかされてしまい、結局聞くことができなかった。

「それじゃ、あんまり長いするのもあれだし、帰るか」
「はい!」
「そうね」

澪の提案に、梓とムギに僕は頷きながら答えた。

「それじゃ、またな」
「あ、はい」

澪の言葉に、聡は頷きながら返事をした。

(何だ、女性恐怖症じゃなかったのか)

一瞬そんなことを考えていただけに驚きだったが、もしかしたら聡は人見知り名だけなのかもしれないと、僕は新たに結論付けることにした。
そして、僕たちは田井中家を後にするのであった。

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第69話 くだらない=重要なこと

「………」

僕は窓から頬杖をついて外を眺めていた。
小鳥が優雅に飛んでいくのが見えた。

「ほぉひはんはひょ? ふぇっふぁふのふぃふひゃふみな――――にぃぃ!!?」
「行儀が悪い。食べ終えてから話せ、馬鹿者」

くちゃくちゃと食べながら話しかけてくる慶介の足を思いっきり踏んづけながら言い放った。
頭じゃなかったのはある種の気遣いだ。

「んぐ……すまん」
「で、なに?」

口の中の食べ物を飲み込んだ慶介に、僕は用件を尋ねた。

「いや、せっかくの昼休みなのに、ぼーっとしてるから声を掛けたんだよ」

今は昼休み。
購買しかないこの学校では、教室で昼食を食べるのとそれ以外の場所で食事をとる生徒の二種類が存在している。
ちなみに僕は教室派だ。

「ちょっと考え事をな」
「何だ、また軽音部がらみか?」
「またとか言うな」

考え事ですぐに軽音部の名前が挙がってしまうあたり、とても複雑な心境になる。

「困ったことがあればこの大親友の俺に相談したまえ!」
「………僕の親友って、どこにいるんだ?」

胸を張る慶介に、僕は尋ねた。

「ここにいるって! この俺、佐久間慶介と言うナイスガイが!」

(それは演技か? それとも本気なのか? どちらにせよ、自分のことを美化できるのはすごい能力だと思うよ)

自信満々に口にする慶介に、僕は心の中で呆れ半分尊敬半分という複雑な心境だった。

「あんたはバッドガイだし、親友じゃない。よって相談しない」
「ばんなそがな!!?」

(そこまでショックを受けなくても)

まるで雷に打たれたようなショックを受けた慶介は、地面に崩れ落ちてしまった。

「冗談だよ。その件はとても感謝している。ありがとう、慶介」
「浩介……やはり、お前はええ奴やなぁ」

すぐさま立ち直った慶介は僕の頭をトントンとたたき始めた。

「…………」

それは親愛を込めてやっているのだろうが、僕に言わせてみれば

「バルーチ!?」
「気安く叩くな」

鬱陶しいことこの上なかった。

「あ、高月君!」
「ん?」

そんな馬鹿げた山門芝居を繰り広げている中、声を掛けてきたのはオレンジが買った紙をツインテールにし、左右をピンタイプの髪留めで止めている女子生徒だった。
確かクラスメイトだったような気がしたが、名前は知らない。

「田井中さんが、練習をするから部室に集合だって」
「律が? あいつが珍しいな」

いつもは率先してティータイムに洒落こむ律が、部長らしいことをしていること(何気に失礼だが)に驚きを隠せなかった。

(……なんかいやな予感がする)

ふと、そんな予感めいたものを感じた。

「ありがとう、名もなき女子生徒A」
「ちょっと! 私をまるで背景のように扱わないでよ!」

女子生徒から怒られてしまった。

「記憶とは移ろいゆくもの。色々な人と出会うと、関係性のない古い人物の名前は忘れる物さー」
「いや、意味が分からないよ。それにそれは人としてどうかと思う」

何だかいつの日にか言われたような言葉を女子生徒に言われてしまった。

「まあ、冗談はともかく。ずっと覚えておく努力はするよ。さすがに忘れようとするのは失礼だし。それで、名前は何ていうの」
「はぁ……それじゃ、もう一回だけ言うね」

僕の問いかけに、女子生徒はため息をつきながら言うと咳ばらいをした。

「私の名前は佐伯 三花。所属はバレー部だよ」
「佐伯さんね。それじゃ、僕は部室に行くとするか」
「いってらっしゃーい」

佐伯さんの名前を覚えた僕は、席を立つとその場を後にしようとする。

「あ、その男には気を付けてね。変態だから」
「え?」

注意をしておき、僕は今度こそ部室へと向かうのであった。


★ ★ ★ ★ ★ ★


「どういう意味なんだろう?」
「さて、浩介も言ったところで」

浩介の意味深な言葉に首をかしげている三花に、慶介は”ふむ”と頷いた。

「佐伯さん」
「何 佐久間君?」

名前を呼ばれた三花は慶介に用件を尋ねる。

「今夜、俺との優美な一夜を過ごさない――――サンコット!?」
「な、なに!?」

渋い声を出しながらナンパをしようとした慶介の頭に、どこからともなく飛んできた本が直撃した。

「これって、教科書? って、高月君のだ」

地面に落ちた教科書を確認した三花は持ち主の名前を見つけた。

「これが伝説のツッコミなんだ」

一年のころ、クラスの女子の間で有名な話があった。
それは『あるクラスの男子生徒の片方のツッコミがとてもすごい』というものであった。
その凄いツッコミを三花は目の当たりにしたのだ。

(でも一体どうやってこれを投げたんだろう?)

三花は教室を去っていく浩介の姿を見ていた。
仮に教室の外から教科書を慶介に向かって投げ飛ばしたとすると、それはものすごいことになるのではという結論となった。

(うーん。一回バレーの大会のヘルプに呼んでもらえるように部長に頼んでみようかな?)

そんなことを三花は考えていた。

「いてて。さすがは浩介、抜かりはないな」

(佐久間君もある意味すごいかも)

少しして復活していた慶介に、三花は心の中でそうつぶやいていたとかいないとか。
この日も、2年4組は平和だった。


★ ★ ★ ★ ★ ★


「あ、浩君だ」
「皆も来てたんだ」

部室に入ると、練習の準備を始めている唯たちの姿があった。

「律と澪の二人は?」
「あ、律ちゃんは今澪ちゃんを呼びに教室の方に言ってるわ」

僕の疑問に、ムギが答えてくれた。
僕は生返事をしながら演奏の準備を始める。

「皆、お待たせ―」

少ししてやってきた律の後ろに、不機嫌な雰囲気を醸し出す澪が続く。

(きっと昼食の最中に呼ばれたんだろうね)

何となく不機嫌な理由がわかってしまった。
僕は、二人から視線を外して準備を進めることにした。

「いやー、今年はどうやって盛り上げてもらおうかね~」

そんな中、律がそんなことを口にし始めた。
口調はいつも通りふざけた感じだった。
この後はいつものように澪があきれた声色でツッコみを入れる。
それが、いつもの軽音部のやり取りだった。

「去年はパンチラだったから、今年はへそ出しとかがいいかも。あ、だったら―――」
「練習するんだろっ!!」

だが、今回は違っていた。
部室に、いつになく強めの怒鳴り声が響き渡った。

「……すっるよ~」
「だったら……」

二人のやり取りは、いつものに戻った。
また聞こえた。
歯車が軋むようなあの音を。

「てい! たこ焼き~」

突然澪の頬に両手の指を丸い形にしてくっつけはじめた。

「ポニテ~」

澪の背後に回って髪を持ち上げたりする律。
いつもであれば、和やかな雰囲気だったそれも、今回ばかりはそんな感じは全くしなかった。
言うなれば、完全に空回りしているような状態だろうか。

「もう、やめろよ」
「あ、そうだ。おススメのホラー映画のDVDを持ってきたんだけど~」

そう言ってバックの中を漁り始める律。

「もう、練習しないなら戻るぞ」

そんな律に、澪は背を向けながらそう告げた。
それはいつものやり取りだった。
いつもであれば律の小粋なジョークが出てため息をつきながら練習を始めると言った感じになるだろう。
ムギや唯たちも不安そうな表情を浮かべていたがそうだと思っていたのか、何も行動を起こそうとはしていなかった。

「だったら戻れば?」
「は?」

律が口にしたのは、少しばかりいらだった様子の声色だった。

「悪かったよ。せっかくの和とのランチタイムを邪魔してさっ」
「……そんなこと言ってないだろっ!!」

律の嫌味を込めた言葉に、ついに澪が怒鳴り声を上げだした。

「あ、あれ? どうしたの二人とも?」
「そ、そうだ! お茶にしましょう? お茶にしよう。今日根おいしいお菓子を用意したの」

険悪な二人に、ようやく事態を察した二人が声を上げる。

「言ってるじゃん!」
「いつ私がそんなことを言ったんだ!」

だが、律たちはそんなことにお構いなしとばかりに口論を続ける。

(いつもの僕ならこういう時どうするだろう?)

僕はふと今まで通りの自分の対処法を思い浮かべてみることにした。

『てめぇら、何くだらねえことをやってんだ!! 痴話喧嘩なら表でやれ、この大馬鹿野郎!!』

(うん。間違いなくダメそう)

余計に雰囲気を悪くするような気がする。

(そう言えば、昔もこんなことがあったっけ)

魔法連盟のころ、仲のいい二人の職員が、大喧嘩をしたことがあった。
理由は忘れたが。
その時、僕は先ほどのように二人を叱った。
というのも、喧嘩で仕事に支障をきたしていたからだ。
その結果、二人は連盟をやめていった。
今でもなぜそうなったのかが理解できない。
僕は正しいことをしていたつもりだ。
だが、その結果優秀な部下を二人も失うことになった。

(雷を落とすのがだめならば)

僕が取るのは一つしかなかった。
僕は魔法である物を手にする。

「え?」

それをあたふたとしている梓に差し出した。
梓はそれを渋々受け取ると、僕の思惑に気づいたのかはっとした表情になった。

「あ、あの! 皆さん、仲良く練習をしましょう……」

それ……ねこ耳を受け取った梓はそれを頭に付けて、練習をするように促した。
部室が痛い沈黙に包まれた。

(ダメだったかな?)

梓を生贄に、可愛さで攻めてみたのだが、これもダメだったのだろうか?

「そうだな」
「練習するか」

何とか口論を止めることができ、練習に持っていくことができた。
ほっと胸をなでおろしながら、今回一番の功労者でもある梓の頭を軽く撫でることで労った。
それからすぐに、練習の準備を終えた僕たちは、文字通りの練習を始めることとなった。

「それじゃ、まずはふわふわからな」

律によって最初に演奏する曲は『ふわふわ|時間《タイム》』に決まった。

「1,2」

律のリズムコールによって演奏が始める。
最初は唯のギターから、そして僕たちのパートが演奏を始めていく。

(ん?)

だが、最初の一音で違和感を感じた僕は、演奏の手を止めた。
その理由はすぐに判明した。
それは律だ。
正確に言うと、ドラムのパワーが非常に弱い。
ヨレていないのはいいが、パワー不足で音自体に勢いがなくなっていたのだ。
それに気づいたのか、みんなも演奏の手を止めた。

「あのさ律。ドラムが走らないのはいいけど、パワーが足りなくないか?」
「………」

澪の言葉に、律は反応を示さない。
まるで心ここに非ずと言った様子でボーっとしていた。

「おい、律!」
「あーごめん」

澪の強い呼びかけに、律は気の抜けた様子で反応を示した。

「何だか調子が出ないや。また放課後なー」
「え、律ちゃん?」
「いいよ、唯」

立ち上がりながらおぼつかない足取りで部室を後にしていく律を呼び止めようとする唯を、澪が止めた。

「でも……」
「いいんだ」

なおも食い下がる唯に、澪は再度そう告げると律の去っていった方に視線を向けて

「バカ律」

とつぶやいた。

(律が、馬鹿だったらその理由に気付かない澪は、いったい何なんだろうね?)

そんな澪のつぶやきに、僕は心の中でつぶやいた。
それなら、何もできない僕はいったい何なのだろうかという疑問にもなるわけだが。

(まあ、”無能”かな)

自分で言っていて、何とも悲しくなってしまった。
結局、その後に練習をする気にもなれず、いったん解散することになった。
だが、この日の放課後に律が姿を現すことはなかった。










「律先輩、来ませんね」

翌日の放課後、重苦しい空気が部室内に漂っていた。
この日も律は姿を現すことがなかった。
唯の話では、HRが終わって気付いたらいなくなっていたらしい。

「一体どうしちゃったんでしょう?」
「そりゃ、やっぱり澪ちゃんが冷たいからじゃない?」
「え?」

梓の言葉に、山中先生が肩を竦めながら答える。

「軽音部の為に一日律ちゃんの玩具になってきなさい!」

かと思えば、澪に指を指してそんなことを口にする顧問。
微妙に違うような気がする。

「そうじゃないと、律ちゃんは心が荒んでヘビメタの道に進んで、二度と戻れなくなっちゃうわ!」

(絶対にありえない)

ヘビメタの道に進むという論理が、僕には全く理解できなかった。

「それ、失恋したさわちゃんだよね?」
「あぁん?」

とはいえ、唯の捉え方もだけど。

「でも……」

そんな中、再び口を開いたのは梓だった。

「でも、もしこのまま律先輩が戻ってこなかったら……学園祭はどうなるんでしょうか?」
「学園祭以前に、軽音部の存続の問題だと思う」

梓の言葉に、僕はポツリとつぶやいた。
そしてまた部室は重苦しい沈黙に包まれる。
それを破ったのは椅子を弾いて立ち上がる音だった。

「練習しよう」
「律先輩抜きでですか?」
「呼びに行かなくていいの?」

澪の提案に梓や唯たちが異論を唱えて反対する。

「それは……――「もしくは代わりを探すとかもあるわね」――え?」

澪が言葉を詰まらせる中、山中先生がそんな道を示した。

「万が一を考えて代わりを探すのもありよ。高月君ならドラマーの知り合いも多いんじゃない?」
「それは、確かにいますけど――」

山中先生の考え通り、僕にはドラマーの知り合いもいる。
僕が頼めば、なんだかんだ言いながらも来てくれるかもしれない。
でも、本当にそれでいいのだろうか?
それをした瞬間、律の居場所は本当になくなる。

「律ちゃんの代わりはいません!!」
「……ムギ」

突然大きな声で叫んだムギに僕は驚きながらも、ムギの言葉を待った。

「待ってよう。律ちゃん必ず戻ってくるから。待っていようよ」
「………………」

僕は静かに息を吐き出す。
それは安どのため息。
まだ、ちゃんと律の戻ってくる場所はある。
そして、無能な自分への呆れ。
でも、ここで何か直接的な行動を起こすわけにはいかない。
きっと逆効果になる。
人間関係の問題は、僕にはどうしようもないのだ。

(だから、”NOTHING”というわけか)

ものすごく的を得ていた。

(でも、焚きつけることぐらいなら僕にもできる。いや、僕しかできない)

それをやった場合、僕への評価がマイナスになるが、学園祭でライブができるのであれば構わない。
”目的のためであれば、手段は厭わない”
それが僕の持論だ。
これまでもそうやって生きてきた。
ならば、僕らしく振る舞えばいい。
そこに、ちょっとした暗示を込めれば、確実だろう。

「今日から軽音部の活動は休止にする」
「え?」
「どういうことだ?」

ゆっくりと席を立ちながら告げる僕に、澪が訊いてくる。

「このまま部活動を続けても意味はない。無意味な行動は取らないのが僕の流儀だ。律がここに戻るまで、活動を休止にする」
「でも、それじゃ練習がっ」
「もちろん、練習は各自でやってくること。活動再開時に音合わせができるようにするんだ」

僕の出した結論に、梓が異論を唱えるが、僕は各自で練習をするように告げた。
僕はギターケースを背負い、鞄を手にする

「こういった人から見て”くだらない”ようなことで休止というのも、いささかやりすぎなような気もするけどね」
「い、今浩君なんて言ったの?」

僕の言葉に、唯が勘違いだとイ言わんばかりに声を上げた。

「だから、人から見てくだらないことと言ったんだ」
「そんな言い方ってないだろ! ライブができるかどうかの問題なんだぞっ!!」

さすがに僕の言葉には頭が来たのか、澪が大きな声で怒鳴り声を上げた。

「当然でしょ。人から見てくだらなくとも、僕たち軽音部のメンバーにとっては非常に重要なことなんだから」
「………」
「そう言うのは、他人や自分自身で解決するのは無理。考えれば考えるほどにドツボにはまっていくから。ちなみにこれは実体験だよ?」
「浩介先輩……」

僕自身も数か月前に同じ内容で皆に大きな迷惑をかけた。
あれも元をただせば、自分の居場所を見失いかけている状態なのだ。
そんなことを他人がああだこうだと言っても、それは全くもって意味がない。
ならば、誰が言うべきか。

「そう言ったことで重要なのは友人と話すこと。話をすれば多少は気が楽になるはずだよ。僕のようにね」

僕は慶介がいてくれたおかげで、踏ん切りのつかなかった自分と別れることができた。
慶介は、僕にとっては恩人なのだ。

「それじゃ、律にとって気を許すことのできる友人って、一体誰なんだろうね?」
「………」

僕の問いかけに、澪は視線を逸らせた。

「もし、律に幼馴染がいれば。異変を瞬時に察知してこういった問題も起こらなかったのかもしれないけど……まあ、過ぎたことだよね」

僕は最後に”とりあえず、可及的速やかな決着を頼むよ”と告げて部室を後にした。

(通じたかな?)

部室を後にした僕は、心の中でつぶやいた。
あれは、すべて澪に言っていた。
律は澪と幼馴染と言っていた。
そして今回の件は澪と律の問題。
二人が話をすることこそが最善の解決法なのだ。
でも、それを直接言うことはできない。
言ってしまえば、確実に澪を追い詰める。
間接的に言っても澪を少し責めているような感じなのだ。
直接的に言って今度は澪が再起不能になったらどうしようもなくなる。

(何とかいい方向に行けばいいんだけど)

後は澪を信じるしかない。
少なくとも、律は数日で部室に来る。
それまでが勝負だ。

『クリエイト、律の状態をどう見る?』
【メンタル面では非常に不安定でしょう。ただ、マスターが最も知りたいフィジカル面ですが、体温が通常よりも高かったのを感じました】

僕の問いかけに、クリエイトは明確な答えを返してきた。
僕の見立て通り、律が部室に来ないのはただの風邪だ。
本当の意味で最悪な状態というわけではない。

(さて、僕にできるもう一つのことをやりますか)

僕にしかできないことは、まだ残っている。
そして僕はある場所へと向かうのであった。

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第68話 軋み

「よし、到着~」

学校を後にし、歩くこと数十分。
ようやく目的の楽器店『10GIA』にたどり着いた。

「それじゃ、私はここで待ってるよ」
「……? どうしてですか?」

外で待つと口にする澪に、梓は首をかしげながら尋ねた。

「右利き用の楽器を見ても悲しくなるだけだから」
「………」

哀愁を漂わせて答える澪に、梓もまた哀愁を漂わせる。
そんな澪に、律が一言

「お、今レフティーフェアをやっているみたいだぞ」
「え!?」

と告げると、澪は驚きに目を見開かせた。

「だから、一緒に行こうぜ」
「おー!」

先ほどまでの哀愁はなんだったのか、先ほどとは打って変わった様子の澪に、僕は苦笑するしかなかった。
そして、店内のレフティー用のベースが置かれているブースの前に向かった。

「………」

澪の前には複数のレフティー用のベースが展示されていた。
それを前にして、澪は固まっていた。

「こ、ここは天国ですか!?」

そして突然意味の分からないことを叫びだした。

「~~~~~っ! 店員さん、ここにあるギター全部ください!」
「こら、落ち着け」

嬉しいのか楽器をまとめ買いしようとしている澪を律が必死に落ち着かせた。

「……私たちは先に行きましょうか」
「うん」

そんな澪の様子をしり目に、僕たちはメンテナンスをお願いすることにした。





「あのすみません」
「はい。なんでしょうか?」

カウンターで梓が声を掛けると、眼鏡をかけた男の人が応対した。

「ギターの調節をしてもらいたいんですが」
「はい。それで調整するのはどちらのギターですか?」
「こちらです」

店員の問いかけに、梓は唯にギターケースを渡すように促した。

「これです」

唯がカウンターにギターケースを置いた。

「それでは、ちょっと見せてもらいますね」

そう言って、店員はケースを開けてギターを見えるようにした。

「う゛ッ!?」

それを見た店員の表情がこわばった。
ボディは汚れ、弦が錆びているという状態に、店員が口にした言葉は

「これ、ビンテージギターですか?」

だった。

「違います」
「ただ汚いだけです」

きっぱりと答えた僕と梓は、恥ずかしさでいっぱいだった。
自分のギターではないのに。
一方、そんなギターの持ち主はというと

「まだ使ってから一年です!」
「威張るなっ」

胸を張っていた。
まるですごいだろと言わんばかりに。
まあ、ある意味すごいことではあるけど。

「そ、それでは終わるまで店内でお待ちください」
「よろしくお願いします」

気まずそうに、促す店員に、梓は恥ずかしさのあまりに小さくなりながらも返事を返した。

「それじゃ、終わるまでどこかで見てましょうか? ……唯先輩?」

梓の呼びかけに答えず、梓はじっと店員の作業の様子を観察していた。
今は、錆びた弦をすべて切っている工程だ。

「あぁ、私のギターが丸裸にされて行く」
「何を言ってるんだ?」

目を潤ませながら嘆くようにつぶやく唯に、僕は目を細めながらツッコんだ。

「それにしても、どうして唯先輩はあのギターを選んだんですか?」
「え?」

そんな中、梓は疑問だったようで、ギターを選んだ理由を唯に訊いていた。
確かに、レスポールは重く、ネックも太くて癖が強い。
初心者向きではないとまでは言わないが、僕も唯がこのギターを選んだ理由が気になっていたので、聞いてみることにした。

「だって、可愛いから」
「「……………」」

自信満々に唯が答えた理由に、僕たちは唖然としていた。

「可愛い?」
「うん。可愛いからだよ」

聞き間違いだと思ったのか、目を瞬かせながら聞きかえした梓に、唯は再度同じ答えを返した。
見れば、店員も固まっていた。
(あれを可愛いと表現する唯の感覚がわからない)
せいぜい、かっこいいからだろと心の中でツッコみを入れる。
「え? 可愛いよね? 浩君」
「ま、まあ。センスは人それぞれだし」
「私の言葉を取らないでください」
そんな梓の言葉をスルーしつつ、僕たちは律が待つところへと戻っていくのであった。





「お待たせしました。メンテナンスの方を頼んできました」

離れたところで待っていた律たちの元に戻りながら、梓が声を掛けた。

「あれ、澪は?」
「あー、あいつならまだトリップ中だ」

澪の姿がないのに気付いた僕が疑問を投げかけると、律が苦笑しながら答えた。
どうやらまだベースの方を見ているようだ。

(しばらくそっとしておこう)

僕はとりあえずそう決めるのであった。

「紬お嬢様!」
「紬お嬢様!」

そんな中、ムギの姿を見かけた店員の二人がムギに声を掛けた。

「え? え?」

事態が呑み込めない梓達に、僕は小さな声で説明することにした。

「この楽器店、ムギの家……琴吹家の系列の楽器店なんだよ」
「そうだったんですか」
「びっくりしたー」

僕の説明に、納得する梓に、息をつく唯。
まあ、これが唯たちならではの反応だろう。

「でも、どうして浩介がそんなことを知ってるんだよ?」
「調べたから」

律の疑問に、僕は簡潔に答えた。

「調べたって……」
「気になったから、ちょっとね」
「どうやって調べたんですか?」

非常識だとは思ったが、気になったため調査を頼んだのだが、梓はその方法を聞き出そうとしてきた。

「申し訳ないけど、それは機密事項だから言えない。まあ、知ったからどうこうするわけじゃないし、危害を加えるつもりはないから安心して」
「だったら、良いんだけどな。あんまり、そういうのはしない方がいいぞー」

律から忠告されてしまった。
確かに友人のことを調べるのはあまり気分がよくないだろう。

(まあ、ムギは知らない方がいいかもな)

ムギは一歩間違えれば僕の敵となるような立ち位置にいる。
その所以が、高月家の特性だ。
高月家は魔法使いに対して絶対の力を持つ。
それは、魔法使いを魔法使いでがなくする力。
僕はそれを”破門魔法”と呼んでいる。
魔法使い不適格者に行われる魔法だ。
それと似た行為が、”破門”だ。
これは魔法使いはもちろん、大金持ちの家系にも適用される。
ある条件に一致すれば、それが行われるようになる。
そして、それにふさわしい家系を見極め、執行するのが僕の役目だった。
これまで、数えきれない家系をこの手で破門にしてきた。
そう言った家系に一致しているのは、横領やら詐欺などの犯罪行為を息を吸うみたいに行っていることだろう。
ちなみに、破門された家の者は、一文無しになる。
全ての財産や土地すべてを没収する。
人権を無視した裁きなのだ。
そして、それはここでも適用される。
何せ、僕がここにいるのだから。

(まあ、調べた結果琴吹家は優良中の優良家系だったから。そんなことはしなくて済みそうだけど)

今後一生、ムギの家の破門だけはしたくないなと、心の中でつぶやいた。
閑話休題。

「お待たせしました」

待っている僕たちの下に、先ほど応対した店員が姿を現した。
その手には新品同様の輝きを発しているレスポールがあった。

「お、きれいになったな」
「これからはちゃんとこまめにメンテナンスを――「ギー太!」――……」

(な、名前まで付けてたんだ)

ギターの名前を叫びながら店員からギターを半ばひったくるように受け取る唯の感覚には、僕でさえ舌を巻く勢いだ。
とはいえ、僕も杖に名前を付けているわけだが。
確実にそれとは話が違うだろう。

【クー子なんて呼んだら、怒りますよ?】
【呼ばないからっ】

念話で釘をさすクリエイトに、僕は素早く答えた。
呼んでいる自分が想像できないし、読んだら確実に地獄を見るのは明らかだ。

「ありがとうございます!」
「い、いえ。お代は五千円になります」

店員が請求金額を告げた。
その瞬間に、唯の動きが止まった。

「お金とるの?」
「いや、当たり前じゃないですか」
「ボランティア活動じゃないんだから、取るに決まってるでしょ」

唯の当たり前にも思える疑問に、答える梓に続いて僕も答えた。
その時、なんとなく嫌な予感がした。

「……お金持ってない。どうしよう」
「「「「「なっ!?」」」」」

予感というのは当たる物だ。
唯の衝撃の発言に、僕たちは言葉を失った。
店員もまさかそうなるとは思っていなかったのか、完全に固まっていた。

「どうかしたの?」

そんな時、僕たちの様子に気が付いたムギが近づきながら声を掛けてきた。

「それが、唯先輩メンテナンスにお金がかかることを知らなくて」
「え、そうなの? 大変……手持ちあったかしら」

まるで自分のことのように、鞄の中を探すムギ。
そんなムギの様子を見た先ほどまで声を掛けていた店員が、慌てた様子で声を上げる。

「お、お嬢様! 代金の方は結構ですので!」
「え、でも悪いわ」
「いいえ! お父様には日ごろからお世話になっていますから、サービスということで結構です」
「でも……」

慌ててただにしようとする店員と、お金を払おうとするムギの押し問答という不思議な光景が繰り広げられてしまった。
結局、ムギが押し切られる形となり、メンテナンス代はタダとなった。

(あの店員の給料の方が心配だ)

僕は店員の給料がどうなるかが不安で仕方がなかった。





「よし、メンテナンスも終わったし、帰るか」
『はーい』

律の提案に、みんなが返事をすることで頷いた。

「って、あの澪先輩は?」
「あー、呼んでくるわ」

そう言って律は未だにベースの前を陣取っている澪の方へと向かった。
そして残った僕たちは、ギターのメンテナンスに関しては無しをしていることにしたのだが、微妙に律たちのことが気になった。
律は澪の襟首をつかんで、強引にこっちに連れて来ようとしたが手が滑ったのか鈍い音と共に、澪がしりもちをついた。

「―――――――――――」
「もういいよ! ――――――」

二人がどんなやり取りをしたのかは断片的にしか聞こえなかったが、何となく聞こえたような気がした。
歯車が軋むようなそんな音を。










午後6時を告げる鐘が鳴り響く中、僕たちは楽器店の前にいた。

「はぁー、ギー太がきれいになって良かった~」
「名前着けてたんだな」

ギターに名前を付けていた唯に、澪が苦笑しながらつぶやいた。

「この後どうする?」
「よし! お茶でも飲みに行くか!」
「またお茶ですか?」

ムギの問いかけに答える律の言葉に、梓はあきれた様子で肩を落とした。

「あ、ごめん。私この後、和ちゃんと会う約束があるんだー」
「えー。それじゃみ―――」

唯の言葉に、不満げに目を細める律が何かを言いかけた時だった。

「え、和も来るの? 私も一緒に行っていいかな?」
「え……」

澪が唯に尋ねた。

「あ、そうか。澪ちゃん和ちゃんと同じクラスだったんだっけ。いいよー」
「やった」

一緒に行くことにOKされた澪は、嬉しそうに笑った。
だが、僕は聞き逃さなかった。
一瞬、律の口から寂しそうな声が漏れたことを。
一瞬ではあるが、澪の名前を口にしようとしていたことを。
そして、澪と唯は真鍋さんと待ち合わせているであろう場所へと向かっていく。

「みんな、後をつけるぞ」
「え? どうしてそんなことをする必要が――「いいからいいからー」――あ、律先輩」

律の言葉に、梓が疑問の声を投げかけるがそれを無視して律が歩き出してしまった。

「浩介先輩」
「…………」

僕は首を横に振って律の後に続く。

「三人とも、遅いぞー」
「………」

律から促されるまま、僕は律の方へと向かう。
それは、はっきり聞こえたからだ。
さらに歯車が軋んでいく音を。










そしてやってきたのは、とあるこじゃれた喫茶店。
僕たちはそこの澪たちが腰かけた席の斜め後ろ側に座っていた。

「っち、なんだかいい雰囲気」

顔を隠しているつもりなのか、メニュー表を手にしている律がつまらなさそうに声を上げた。

「って、言うよりどうしてこんなにこそこそと。浩介先輩も食べてないで何とか言ってください」
「あー、このチーズケーキは美味しいなー」

梓の訴えを完全に無視した僕は、頼んでおいたチーズケーキセットに舌鼓を打つ。

「ふふ。何だか探偵みたい」
『………』

そんな中、面白そうに声を上げるムギに、一瞬僕たちの間で沈黙が走った。

「よし、突入しよう」

そう口にした律は、澪たちのいる席の方に乱入した。
そして強引に話に加わる律。
”何を頼んでるのー?”などの陽気な声が聞こえる。

「律ちゃん……アイス溶けちゃうのに」

その言葉で、僕は律が座っていた席を見る。
そこにはアイスとケーキという若干統一性がないような気もするデザートにも、手を付けずに置かれていた。
僕にはなんとなくわかる。
彼女の心の中は、陽気さとは真逆の状態にあるということを。

「はぁ……」

それを目にした僕は、ため息をつくことしかできなかった。
それは自分の無力さに対する物なのか、いらだちによるものかはわからない。

(できれば、占い通りのことは起こらないでほしいんだけどね)

そんな僕の願いもむなしく、占い通りの……一番僕が危惧していた事態が発生したのは、それから間もない日のことだった。

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第67話 占いと楽器

「…………………………」

そろそろ学園祭が近くなったある日の夜。
僕は、自室でカードを置いていった。
一番上に一枚、その下に三枚並べ、その下にも二枚並べ、さらに下には一枚並べる。
そして、カードの上に手をかざして僕は目を閉じた。

「我を照らし出しし月よ。我が名の下に全てを示せ。我が前に立ちはだかるすべての物をここに表したまえ」

僕が言葉を紡ぎ終えるのと同時に、からだから掌にかけて暖かい何かが駆け巡る。
だが、それもすぐになくなった。

『”運命など自分で切り開くもの”と仰っていたマスターが、占いをするなんて珍しいですね』
「まあね」

苦笑しながらクリエイトの言葉に答えた。

「この間の時間ループ事件で、これから先に何が起こるかを予期しておくのも一手だと思ったんだ。知っているのと知らないのとでは違うから」
『そうですか』

僕の告げた理由に、クリエイトはただそれだけ答えた。
今僕がやったのは月の力を利用したタロット占いだ。
いつもはこのようなことをしないが、この間の時間ループの一件で目の前に立ちはだかる脅威をあらかじめ知ることができれば対処ができると思ったのだ。
普通の占いでは、未来を知ればその未来を覆すことはできないとされているが、このタロット占いはその未来にならないようにする道筋に沿って行けば回避(いい結果であれば的中)する物で、ある種の道筋を示すものなのだ。

「まずは、未来に起きる結果」

僕は手前に裏向きに伏せられている一枚のタロットをめくった。
それが、この僕が心の中で思ったことの結果だ。

「なっ!?」

そのタロットの内容に、僕は言葉を失った。
そのタロットは『BREAK』だった。

「よりによって、最悪なカードが出てきたな」

『BREAK』は、文字通りすべての破滅や崩壊を意味し、最悪な部類に入るカードだった。

(僕が考えたのはか学園祭のこと……軽音部の今後のことだから、これが指し示すのは)

「軽音部の空中分解!?」

思わず叫び声をあげてしまった。

(落ち着け……そうならないようにするんだ)

何とか自分を落ち着かせ、僕はその二つ上の三枚のタロットを表にする。
それは、この結果が出る原因から連想されるものを示している。
『HEAD BAND』、『BASE』、『NATURAL』

「ヘアーバンドに、基地に天然………まったく分からない」

タロットに表示された文字に、僕は首をかしげる。
ここがこのタロットの難しいところだ。
タロットカードの中には、思うことによって内容がころころ変わる物も存在する。
今回もそのカードのようだ。

「ヘアーバンドということは頭に付けている物………ベースは基地や基礎」

全く分からない。
だが、なんとなくわかるような気がした。

「ヘアーバンド……カチューシャ………律?」

もはや連想ゲームだ。
だが、ヘアーバンドでふとカチューシャが浮かび上がったのだ。
そしてカチューシャであてはまるのは部長の律だ。

「ということは、律が原因………あり得る」

律には申し訳ないが、空中分解しそうな要因がいくつか考えられた。
だが、それは今に始まったことではない。

「後は、この『BASE』か……もしかして、これってそのままでパートを指してるんじゃないのか? ”ベース”……澪のことを」

だとすれば、納得がいく。

「つまり、澪と律が原因で空中分解ということか。あと、この『NATURAL』は何を指してるんだろう?」

最後の一枚だけ、意味が思い浮かばなかった。

「まあ、律と澪に気を付ければいいということか。それじゃ、回避する方法で、まずは第三者のやつは……」

僕は一番上に一枚だけ置かれたタロットを表にする。
そこに書かれていたのは『TALK』
つまり、話すことだった。

「話し合いで解決か……それじゃ、僕のすべきことは……は?」

僕はまだ表にしていないタロット二枚をめくり、その内容に固まった。
『MAGIC』、『NOTHING』の二枚だった。

「最初は魔法、次が何もしない………矛盾しすぎだ」

『NOTHING』は、直接的な行動をしてはいけないことを示している。
つまり僕にできるのは、当たり障りのないアドバイスをする程度のことなのだ。

「………とにかく、これで僕たちの未来は分かった。律と澪を注意して観察するようにしよう」

こちらからは何も行動をせず、傍観に徹することを決めるのであった。










それから数日ほど過ぎたある日の放課後。

「~~~~♪」
「何だかご機嫌だね梓ー」

先ほどからご機嫌に鼻歌を歌っている梓に、律が声を掛けた。

「あ、はい。学園祭が近いと思ってつい」
「初々しいね~」

どうやら初めての学園祭に、梓は思いを馳せていたようだ。

「はい! 去年の先輩たちのライブも見たかったです!」
「ぶっ!?」

梓の言葉に、ティーカップを口元に運んでいた澪がいきなり噴き出した。

「そう言えば、澪は去年の学園祭ライブで大活躍だったもんな」
「え? どういうことですか?」

そんな澪の様子に苦笑した様子で見ていた律が漏らした言葉に、梓が興味を持ったのか律に内容を聞いた

「ライブの最後にステージ上で見事な転――「言うなーーー!!」―――もごごご!」

律の代わり応えようとした僕の口を、凄まじい速度で移動した澪が口をふさいだことによって、言えなくなってしまった。

(というより、あんた魔法とか使ってないだろうな?)

一瞬澪の気配が感じられなくなってしまった僕は、心の中で澪に問いかける。

「去年のライブの映像ならここにあるわよ」
「本当ですか!」

目を不気味に光らせながら手にしている一枚のディスクを掲げながら山中先生が梓に声を掛けた。

「見る?」
「ぜひ見たいです!」

梓は席を立つと、山中先生が置いたノートパソコンの前で腰を下ろした。

「いや梓。考え直さないか?」

そんな梓に、澪は見るのをやめさせようと必死に説得を始めた。

「律ちゃん唯ちゃん」

だが、そんな澪の様子に山中先生は指を鳴らした。

「「イェッサ―!」」

すると、それだけで内容を理解したのか、律と唯はピッタリな動きで澪の両腕をつかむとずるずると物置部屋の方へと引きずっていく。

「……」

僕は無言で、部室の入り口の方に移動した。

「梓、見ない方がいいぞ。呪われるぞ?」
「それじゃ、おすすめのシーンからね」

澪の脅し(という二はものすごく古典的なものだが)の言葉をすべて無視した山中先生によって、去年のライブの映像のおすすめシーンが再生された。
音声だけでもわかる。
それは、最後のステージの上で転倒した澪のシーンだ。

「ッ!? 見ちゃいました」
「遅かった………」

梓の言葉に、哀愁漂う澪の声が聞こえてきた。
それはまさに、喜劇……悲劇だった。










気を取り直して、僕たちは去年のライブ映像を見返すことになった。
もちろん、最初の方で山中先生の言う”おすすめシーン”ではない。
今は最後の楽曲であるふわふわ|時間《タイム》の演奏シーンだった。

「それにしても、演奏の時だけは本当にいい演奏をするんですね」

そんな映像を見ているさなか、梓が感想を漏らした。
やけに”だけ”を強調して。

「だけを強調するな、だけを」
「言うようになったな、こいつ~」
「にゃ~!?」

律がチョーキングを決め、横から梓の頭を軽く小突き続けた。

(本当に、ネコじゃないかと思う)

”にゃー”と口にしている梓に、思わず僕はそんなことを考えていた。

「どうしたの?」

そんな時、いきなり噴出した唯に、ムギが声を掛けた。

「あのね、この時のことを思い出したら。クスクス」
「そう言えば、この時って」

去年の学園祭でのライブのことを思い出したのか、ムギも笑い出した。

「そう言えば、声がおかしくなってたんだっけ」

その代わりに歌ったのが澪だった。

(こうしてみると、歴史を感じるよな)

「梓にとってはこれが初めての軽音部としてのライブだからな」
「成功させような」

僕たちは二回目、梓にとっては初めてのライブだ。
僕と律は改めて成功させることを決意した。

「はい! 私も皆さんと一緒に頑張ります!」

それに梓も力強く頷いて答える。
僕たちの目指すべき未来はしっかりと定められた。

(今のところ前兆はないけど、油断はできない)

僕の脳裏によぎるのは、あの時の占いの結果のこと。
それによれば、律と澪によって、軽音部は空中分解の危機を迎えることになるらしい。
注意して律と澪を見ていたが、それらしき兆候は見えなかった。

「盛り上がっているところ悪いけど」
「あれ、和? どうしたんだ?」

そんな僕たちに声を掛けてきたのは、生徒会の真鍋さんだった。
その表情は若干呆れているような気がした。

「はい、これ」

そう言って真鍋さんが律に手渡したのを覗き込むとそれは『講堂使用届』と明記されていた。

「今年の学祭の分、出してないでしょ」
「あ、忘れてた」
「そんな、軽い言葉で」

律の問題点で上げられるのは、書類を出すことを忘れることだった。

「あんた、またですか――「高月君もよ」――はい?」

なぜか僕にまでお咎めが来てしまった。

「貴方、副部長なんだから、しっかりと臨機応変に対応していかないとダメじゃない」
「ちょっと待った! 僕、副部長じゃないですよ!?」

真鍋さんの”副部長”発言に、僕はもう講義した。

「え? でも、部活申請用紙の時に、副部長が必要だって言ったら『それじゃ、副部長は浩介で!』って言ってたわよ」
「………律ぅ?」

僕はゆっくりと律の方へと振り向きながら事の真相を問い詰める。

「あ、ごめーん。忘れてた」
「「前にもこんなことがあったよな」」

僕と澪の声が思わぬところで一致した。

「あ、それは部活申請用紙の―――――あいたぁ!?」

この日、律は二人からの痛烈な鉄拳制裁を落とされる羽目になるのであった。










「それじゃ、梓が書記な」
「え? 別にいいですけど」

突然書記に任命された梓は、困惑しながらも必要事項を明記していく。

「この『名称』ってなんですか?」
「バンド名とかじゃないの?」

梓の問いかけに、僕は即答に近い形で答えた。
そしてペンを走らせようとしたところで、梓の手が止まった。

「そう言えば、バンド名ってなんですか?」
『………』

一瞬、沈黙が走った。
そして、全員が一斉にばらばらのバンド名を口にした。

「そう言えば、決めてなかったね、バンド名」
「この機会だし決めるか」

律の言葉で、僕たちはバンド名を考えることとなった。

「だったら、平沢唯とズッコケ五人組ってどう?」
「私たちは何もんだ!」
「というか、おまけ扱いだよな? それ」

唯の提案に、律と僕で却下した。

「それじゃ、”ぴゅあぴゅあ”は?」
「はいはい。ネタはいいから」

ネタなのか本気なのかはわからないが、ものすごくぶっ飛んだバンド名を口にする澪に、律が即答で却下した。

「うっ……本気なのに」
「「本気だったんかい!?」」

まさかの本気発言に、僕までツッコミを入れてしまった。

「ほ、ほら、センスは人それぞれですし」
「梓、フォローがきついぞ」

必至にフォローをする梓に、僕は声を落としてツッコんだ。

「よしわかった!」

そんなカオスになりかけている中、声を上げたのは顧問の山中先生だった。

「私が決める!」
『もう少しみんなで考えよう!』

今度は団結した。
何せ、あの山中先生だ。
とんでもないバンド名が飛び出してくるに違いない。
ならば、この反応はある意味正しいような気がする。

「それじゃ、書き終わったら生徒会室に持ってきてね」
「あ、悪いな、和」

同じクラスだというのは聞いていたが、最近真鍋さんと澪は仲が良くなってきているような気がした。
律の話では、極度の人見知りと恥ずかしがり屋のようだが、きっとそれを超える何かがあったのだろう。

「そうだ! たまには一緒にお茶でもしようよ、和ちゃん」
「分かった。それじゃ、あとでメールする」

唯の提案に答えると真鍋さんは部室を後にした。

「それじゃ、バンド名は各自考えてくるということで、練習でもするか」
「学園祭に向けて一生懸命練習しないとな」
「はいっ!」

澪の言葉に、梓は元気に返事を返すと、練習を始めるべく準備を始めた。

「あ、そうだ。最近私のギターの音の調子が悪いんだけど」
「ん? ちょっと見せてくれる?」

そんな中、唯が訴えたギターの不調に、僕はギターを見せるように唯に促した。
そして、唯から渡されたギターケースを長椅子のところに置いて、ケースを開けると中に入っているギターを取り出した。

「げっ!?」

それを見た僕は、思わず声を漏らしてしまった。
唯のギターは非常に最悪なコンディションだった。

「何? どうかしたの?」

僕のうめき声に、唯が首を傾げた様子で尋ねてくる。

「どうもこうも、これ弦が錆びてるぞ、おい」
「あ、本当です」

僕の肩の方からギターを覗きこむように見た梓が、僕の言葉に賛同する。

「これ、いつ弦を交換したんですか?」

梓が、唯に弦を交換した日を尋ねた。

「え? 弦って交換する物なの?」
『…………』

唯から帰ってきた疑問に、僕たちは一瞬言葉を失った。
僕は今のは幻聴だと信じたかった。

「っていうか、ネックが反ってるるし、これじゃオクターブチューニングとかが全く合いませんよ!」
「お、落ち着け梓! 気持ちは分かるけど、今の唯には理解ができない」

梓のマシンガンのごとく放たれた言葉の数々に、唯は理解ができなかったのかその場で固まってしまった。

「つまり、大事にしないとダメじゃないですか。とてもいいギターなのに」
「えぇ!? 大事にしてるよ! 一緒に寝たり、洋服を着せたりとか!」
「「大事にするベクトルが違う!」」

梓の注意に反論する唯の言葉に、僕と梓は思わず同時にツッコんでしまった。

(一緒に寝てよくここまでもったよな)

唯の寝相がいいのか、はたまたこのギターの運がいいだけなのか。
どちらにせよ、あまり好ましい状況ではないのは確かだ。

「うぅ……それじゃ、さわちゃん何とかしてよ」
「え゛!? そ、そういうのは楽器屋さんに見てもらったほうがいいんじゃないかな?」

唯が山中先生に助けを求めると、山中先生は顔をひきつらせながら答えた。

「絶対にめんどくさがってる」
「あ、あはは」

律の鋭い指摘に、山中先生は乾いた笑い声をあげてお菓子を口にした。

「じゃあ、浩君ならできるよね? プロだし」
「あ、そうですよね。浩介先輩ならギターの修理とかできそうですし」

なんだかすごく過大評価されているような気がする。

「言っておくけど、僕にだって修理できる限度はあるからね」

そう言いながら僕はネックの端の部分に人差し指を触れる。
ちなみに、ネックとは一番先端とボディの中間の部分のことを言う。
僕は目を閉じて全神経を指先に集中させると、ネックの端から端まで指を滑らせる。

「ど、どう?」
「順反り……つまり、上向きにネックが反ってる。これじゃ、音がちゃんとでないはずだ」

梓の指摘通り、ネックが反っていた。

「今ので分かるのか?」
「簡単にではあるけどね」

澪の感心したような言葉に、僕は頷きながら答えた。

「ねえ浩君。ネックって反るの?」

そんな中、投げかけられた唯の疑問に、どう答えるか悩んだ。
そのまま答えてもおそらく唯には理解できないと思ったからだ。

「本とかの紙を上か下か適当に折って広げると、こういう風になるよね?」
「あ、本当だ」

ためしに、近くにあった不要な紙を軽く折って広げると折った方向に髪が動いた。

「これと同じ原理。弦を強く張っている時ネックの部分には、常に30~50㎏程の力で引っ張られている状態なんだ。でも使っていくにつれてネックは弦の力に負けてしまう。これがネックが反る理由なんだけど……理解できた?」
「全然っ!」
「だろうね」

今の説明は少し難しすぎたという自覚があった目に、唯が理解できなくても驚きはなかった。

「確実に直したいんであれば、楽器店に持っていってメンテナンスをしてもらった方がいいと思う。下手にいじって失敗すると、数万円の修理代がとられるから」
「うっ……それはさすがにきつい」
「ということで、楽器店に行くこと」

数万円という額に、唯の顔が引きつった。

「うぅ……律ちゃんは手入れとかしてないよね?」
「しとるわ!」

すがるように律に聞くが、速攻で答えが返ってきた。

「えぇー」
「私が手入れをしていないみたいな感じで聞くなっ!」
「そうだよ。いくら大雑把でいい加減であれな性格をしているからと言って、決めつけるのは良くない」

僕も律の援護射撃に回った。

「律ちゃんの癖に―――あいた!?」
「いつっ!? 僕もですか………」

律から鉄拳制裁を喰らうこととなった僕たちは、楽器店『10GIA』へと向かうこととなるのであった。

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