それはある日の放課後のこと。
「あ、さわちゃん」
「あなたたち今日もお菓子を食べてるの?」
軽音部の部室である音楽準備室を訪れた、さわ子はいつものようにお菓子を食べているのを見て声を上げた。
「お茶とお菓子が我が部の売りなもんで」
「律、ここは演奏をする部活動だぞ。それは売りにはならないだろ」
お菓子(今日はモンブラン)を口にしながら答える律に、同じくお菓子を食べながらツッコミを入れる澪。
「あれ、そういえば高月君の姿が見えないようだけど」
「あ、浩君だったら何だか用事があるらしいから、来ていません」
ちゃっかりとお菓子に舌鼓を打つさわ子の疑問に、唯はホワイトボードの方を指差しながら答えた。
それにならってさわ子もホワイトボードの方に視線を向ける。
ホワイトボードには唯達による落書きなどが書き込まれているが、その一部分にホワイトボード用のペンで四角く囲まれている個所があり、その囲いの中には『今日は休養のため部活を休みます。高月』と簡潔に記されていた。
「それにしても、浩介ってなんとなく不思議だよな」
「ん? どこが?」
不意に浩介の話に話題が変わり、律の言葉に澪は聞きかえした。
「だってさ、知り合いのギタリストに頼んで二つ返事で唯のギターを予約とかするし。不思議そのものじゃん」
「はい? りっちゃん、今なんて?」
”あー、確かに”と相槌を打つ澪をよそに、律の言葉に引っかかったさわ子が、信じられないと言った様子で問いかける。
「知り合いのギタリストに頼んで唯のギターを予約したっていうことですけど……どうしたんですか?」
「その知り合いのギタリストって誰――「DKです」――そ、そう」
さわ子の疑問に間髪を入れずに応えた澪の勢いに、さわ子は軽く圧されながら相槌を打った。
「あー、私今日はちょっと仕事があるんだった」
「そうなんですか」
「だったら、どうしてここに来たんですか?」
思い出したように、言いながら席を立つさわ子に紬は残念そうな言い、律はジト目で疑問を投げかけた。
「お茶をするのもいいけど、ほどほどにね?」
『はーい!』
顧問らしく注意をしたさわ子は部室を後にした。
「教師って、いろいろあるんだな」
「律ちゃん、そのキャラに合わないよ」
腕を組みフムフムと頷く律に、唯は容赦ない一言を放つ。
「そんなことを言うのはこの口かー」
「いひゃいひょ、ふぃっひゃん!(痛いよ、律ちゃん)」
「ふぉら、ふぁたふぃのほっふぇをふへふな(こら、私のほっぺをつねるな)」
「……何をしてるんだ? 二人とも」
お互いの頬をつねりあう二人に呆れたようなまなざしを向けながら口を開く澪と苦笑している紬。
軽音部は、今日も通常運航だった。
一方、職員室へと戻ったさわ子は真剣な面持ちのまま席に着く。
(おかしいわ)
心の中でつぶやいたのは、違和感だった。
さわ子は、急な仕事などは特になかった。
さわ子にとって、軽音部の部室は砂漠の中にあるオアシスのようなものであった。
その理由の一つにお菓子やお茶などがあることも含まれているのはご愛嬌だが。
そのひと時を棒に振ったのが、さわ子の感じた違和感だった。
(いくら知り合いとは言ってもプロのギタリストが、二つ返事でレスポールの予約をするかしら?)
もしかしたら、そういう可能性もあるのかもしれないが、さわ子の中ではあまり釈然としなかった。
(DKと言えば、H&Pのギタリスト。本名も不明だけど、その腕は他の誰にも追随を許さないほどうまい)
さわ子はDKに関して知っている情報を頭の中で整理する。
(…………いけないわね)
だが、考え始めたところでさわ子はそれをやめた。
それは教師として生徒のことを探ってはいけないという自制心が働いたからである。
「さぁて、仕事仕事」
ちょうどいい機会だとばかりに、さわ子はそれほど急を要しない事務作業に取り掛かるのであった。
「ただいまー。とは言っても、誰もいないんだけどね」
いつもより早めに自宅に戻ったさわ子は、自虐的な笑みを浮かべながらつぶやきながら、バックを床に降ろす。
さわ子は、テーブルに置かれたリモコンでテレビをつけるとビデオなどが置かれている棚から一本のパッケージを取り出すと、それをDVDプレーヤーに読み込ませる。
しばらくして、画面に映し出されたのはH&Pのバンド演奏の模様だった。
『H&Pライブ総集編』と題されたそれは、文字通りH&Pのライブでもっとも好評だった曲の演奏シーンが収録されていた。
放課後でのやり取りでH&Pの演奏を見たくなったためだ。
「………え?」
最初に聞いていた曲が終わり次の曲、『Leave me alone』の演奏が始まりDKが歌いだした瞬間、さわ子はまるで体に電流が走ったような錯覚を感じた。
そして、慌てた手つきで巻き戻すともう一度再生を始める。
「やっぱり、似ている」
さわ子は、DKの歌声がかすかにではあるが浩介と似ていたことに気が付いたのだ。
(いや、でも気のせい……他人の空似と言うこともあるわよ)
結論を出そうとする自分に言い聞かせるようにさわ子は心の中でつぶやく。
(そういえば、DKは三年ほど活動を休止していた。そして高月君は三年ほどイギリスに留学をしていた………偶然よね?)
考えれば考えるほど、否定をする材料がなくなっていた。
「それなら、実際に生で演奏を見ればいいのよ」
テレビで聞いたために、もしかしたら歌声が似ているという可能性もあったためにさわ子は実際にライブを見ることを決めると、すぐさまパソコンを使ってライブの日程を調べだすのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
その場所に行くのに、とても神経を使う。
この日、僕は中山さんたちからある場所を訪れるようにと告げられていた。
その場所は僕たちが契約している事務所だ。
名前を『チェリーレーベルプロダクション』という。
荻原さんの父親が社長を務める事務所だ。
僕がH&Pを結成するときに契約を交わしたのだが、当初はいつ潰れてもおかしくない状態だったらしい。
アイドルグループやH&Pを含むバンドグループが所属している。
活動面に関して、社長は特に制限は設けていないが、必ず事前報告をするようにと言われている。
なんでも金銭トラブルを防ぐためらしい。
その事務所は、僕が住んでいる場所から電車で二駅ほど離れたところにある。
そのため、僕は電車に乗り込んで事務所のある駅で降りると駅前に出る。
そして駅前に停められていた個人タクシーに乗り込むと、行き先を告げるよりも早くタクシーは動き出した。
「いつも、大変ですね。DKさん」
「まあ、慣れっこですよ。それに、大変なのはお互いお様じゃないですか」
運転手の言葉に相槌を打つと、『それもそうですね』と苦笑した様子の言葉が返ってきた。
この運転手の人は、事務所が雇っている個人タクシーなのだ。
事務所が雇っていると知られないために、内密に契約が結ばれていたりするほどの徹底ぶりだ。
これも、僕たちの正体を隠すための手段だ。
タクシー内でいつもの黒づくめの服装に着替え、黒のサングラスをつける。
タクシー内ほど、着替えるのに最適な場所はない。
なぜなら、走っている間であればよほどのことがない限り車内は見えることもないからだ。
素早く着替えさえすれば着替えている最中のところを誰かに見られる心配がない。
とはいえ、絶対に大丈夫というわけではないが、これまで何度もこの方法を使っているが僕の正体に関する記事は出たことがないので、それほど心配する必要はないと思っている
(尾行する車もないしね)
まるでVIPだなと思いながら着替え終えた服と学校の鞄を黒いバックに入れると事務所前に向かうのであった。
「おはようございます」
「おはよう、DK」
「おう、DK」
挨拶をしながら中に入ると、ベンチに腰掛けていたMRやYJが挨拶を返してくれた。
事務所内は昔と変わらず人一人が通るのがやっとの狭い通路があり、その先の開けた場所には緑色のベンチが置かれていた。
そのベンチに腰かけているのがMRにYJたちなのだが。
開けた場所は無機質な机が並べられており、そこにはいろいろな書類が置かれている。
窓と反対側の壁にあるホワイトボードには事務所に所属する団体や人たちの予定が所せましとばかりに書き込まれていた。
「他の人は仕事なのかな?」
「ああ、そうだよ。寝る間もないとはこのことを言うのだね」
僕の疑問に答えたのは、先ほど僕が通った狭い通路から現れた口元にひげを生やした男の人だった。
「社長、こんにちは」
「ああ、こんにちは。DK君」
目の前の男……社長は僕のあいさつにやわらかい笑みを浮かべながら挨拶を返した。
「さて、H&P全員そろったようだしミーティングを始めるとしよう」
そう言って、ベンチに腰かけてテレビを見ていたMRたちを集めた社長は咳払いをすると口を開いた。
「数日後に開かれる定期コンサートだが、今回は席がほぼ埋まっている。これは、君たちへの期待の表れだ」
「つまり、その期待に応えられるようにしろ、ということですか?」
社長の言わんとすることを口にしたMRの言葉に、社長は嫌な顔一つせずに頷いて答えた。
「それだったら、言われなくてもわかってるさ。それに、俺たちは客が多かろうが少なかろうが、いつでも全力でやるさ」
「……その言葉を聞けて安心した。今回はDK君が復帰して初めての定期コンサートだ。三年という時間が人を変えることすらある」
きっと社長は不安だったのだろう。
僕たちの誰かが考えを変えてしまうことに。
”たとえお客が一人でも、その一人を満足させられる演奏をする”
それが、僕たちH&Pの誓いの言葉だった。
いま、ここまで有名になれたのはこの言葉のおかげではないかと思っている。
「だが、皆は変わっていない。それを私は確信した。数日後のコンサート、全力で演奏するように」
『はいっ』
社長の言葉に、僕たちは声をそろえて返事をするのであった。
それから一週間後の放課後のこと。
「浩君、帰ろう」
「あ、ごめん。今日ちょっとやることがあるから先に帰ってくれるかな?」
部活を終えて帰り支度を済ませた唯たちが部室の出入り口の前で、”一緒に帰ろう”と声を掛けてくるが、僕はそれを断った。
「やることって、まさか如何わしいモノを読むためとか?」
「えぇ!? そうなの? 浩君」
「そんなわけないでしょ。古文の課題が今日までだからそれをやるだけだ」
律の言葉を真に受けた唯が驚きながら聞いてくるが、僕はそれをため息交じりに一蹴した。
「何だか、大変なんだな。浩介も」
「まあ、自業自得ではあるけど。そういうわけで、先に帰ってて」
気遣うように声を上げる澪に相槌を打ちながら全員に帰るように促した。
「それじゃあね、浩君」
「頑張れよー」
それぞれが別れの言葉や応援の言葉などを掛けながら、部室を後にしていった。
「…………」
人の気配を確認してみるが、四人分の気配が徐々に遠のいて行っていた。
帰ったと見せかけて中の様子を見るという古典的なことはしなかったようだ。
「みんな帰ったので、出てきたらどうですか? 山中先生」
「…………気づいてたのね」
僕の呼びかけに答えるように音楽室とここをつなぐ扉が開き、中から山中先生が姿を現した。
「そりゃ、まあここ最近妙な視線を感じてましたから」
山中先生の僕を見る目つきがおかしくなったのを感じるようになっていた。
それは妬みや恨みと言ったの負の感情というよりは、僕に聞きたいことがあると言いたげな視線だった。
「それで、話はなんですか?」
「………………」
僕の問いかけに、山中先生は気まずそうに視線を周囲に向けるが踏ん切りがついたのはきりっとした表情を浮かべた。
「この間、あるバンドのライブを見に行ったのよ」
「はい?」
突然山中先生の口から語られた話の内容に、僕は思わず首をかしげてしまった。
「そのライブのボーカルの人の声と演奏の仕方が、似てるのよ。君に」
「………………」
今度は僕が固まる番だった。
それは衝撃と言うより驚きの方が勝っていた。
まさか声が同じであると気づかれるとまでは思っていなかったのだ。
ライブをするときは、いつも地声を出さないように声色を変えている。
だが、完全に隠すことは不可能で、どうしても要所要所で地声が出てしまう。
でも、普通の人の耳ではそれを判別することはほぼ不可能に近い。
その証拠に澪と話していてもそういった反応はない。
尤も、彼女とちゃんと話せた時間が短いので、そのためなのかもしれないが
「もちろん、他人の空似であるという可能性もあるし、私は無理に答えるように強要するつもりはないの」
考えをめぐらしている僕に、山中先生はさらに話を進める。
(教師と言う権力を振りかざさないなんて。本当にいい先生だ)
権力と言う武器を振りかざしてしまえば、僕は話さざるを得なくなる。
それでも、山中先生は僕が自分から応えるのを待っていた。
僕は山中先生がものすごくいい人だと改めて実感することになった。
「ただ、もしそうなのだとしたら、聞きたいの」
「何をですか?」
僕は、山中先生にさらに続きを促した。
「どうして、ここにいるのかを」
「……っ」
山中先生のその言葉は、僕の心に凄まじい衝撃を与えた。
「最高の演奏の腕があるのに、あえてそれを隠してまでここにいる理由がわからないの。見下すためとか、遊ぶためとかそんな理由だとは思っていないけれど」
「………………」
山中先生の話を聞き終えた僕は、静かに息を吐き出す。
「山中先生」
「何かしら?」
僕は覚悟を決めた。
「今から話すことは、他言無用でお願いします」
「もちろんよ。生徒の事情は安易に漏らさないわ」
僕のお願いに、山中先生は即答で答えた。
自分の正体を話すかどうかは、僕自身にゆだねられている。
つまり、僕が話したいと思ったらいつでも話してもいいということだ。
「先生の考えている通り、DKは自分のことです」
そして、山中先生が最初に僕の正体を話す人となるのであった。
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