「それにしても本当に似てたな。全く気付かなかった」
「浩介はすぐに気付いてたけどな」
あれから少しして、髪形を元に戻した憂を交えて、席について話をしていた。
「だって、上履きの色が違うし」
『……あ』
僕の挙げた理由に全員が声を上げた。
この部室に来た時、憂の履いていた上履きの先の色は、下級生を示す赤い色だった。
上履きもまた、制服のリボン同様に学年ごとに色分けがされている。
つまり、制服は同学年だが上履きは下級生の物というあべこべな服装をしていた。
「いくら唯でも、下駄箱の場所を間違えることはしない」
「なるほど」
僕の推測に感心したように頷く梓。
まあ、それだけではないがここには山中先生もいるので、言わないに越したことはないだろう。
「それにしても、一回家に戻ってから来たのか?」
「は、はい」
律の問いかけに、憂は頷いて答えた。
「梓ちゃんに浩介さん、ごめんなさい。ベッドで寝ているお姉ちゃんを見ていたらいてもたってもいられなくなって」
「う、ううん。気にしないで」
「まあ、理由が理由だし」
曲がり間違っても、”からかおう”や人をだまそうと言ったものではないのは分かっているので、それほど目くじらを立てる必要もないと僕は結論付けていた。
「それにしても、憂ちゃんギターもできたのね」
「いいえ。前にお姉ちゃんに少し触らせてもらっただけです」
ムギの言葉に、憂は首を横に振りながら答えた。
『………』
その衝撃的な言葉に、時間が止まったような錯覚を覚えた。
ふと、想像してみた。
唯の部屋にて唯と憂の二人は向かい合っている。
床にはギター関連の本が置かれていた。
『ねえ、このコードってどういう風に抑えればいいのかな?』
『えっとね………こんな風だよ』
本を見ながら憂は、そのコードを抑えていく。
『へぇ、そうやって押さえればいいんだー』
『うん。書いてあるよ。ここに』
感心したようにつぶやく唯に、憂は一冊の本を指差しながら答えた。
(十分にあり得そう)
妄想ではあるが、確実にそんな光景が繰り広げられていてもおかしくはなかった。
「このまま唯には休んでもらったほうがいいのでは?」
「おーい」
ものすごく不謹慎なことを口にする律に、澪がツッコんだ。
そんな時、再び部室の出入り口のドアが開く音がした。
「やっほ~」
「唯先輩!」
「うわ!? 激しくデジャブ!」
部室に入ってきた唯に、皆は立ち上がると唯の方に駆け寄る。
律の漏らした言葉には多いに賛同したかった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「うん大丈夫だよ、憂い~。心配かけてごめんね~」
心配そうに容体を聞く憂に、唯は笑顔で答えた。
(大丈夫じゃない)
いつもより鼻声で話している唯に、僕は心の中でつぶやいた。
「さっき起きたらね、とても楽になっていたから少しは練習を……はっくしょん!」
「うわ!?」
盛大なくしゃみをする唯に、唯の横に移動していた僕は慌てて後ろに飛びのいた。
「だから、大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃない。私にもティッシュを」
唯のくしゃみをもろに受けた律は唯の言葉にツッコむと、憂からティッシュを受け取って顔を拭いた。
「あぁ! ギー太!」
そんな時、唯は長椅子に立てかけられているギターを見つけた。
「こんなところにいたのか~」
ふらふらとした足取りのまま、ギターの前に移動するとそれを持ち上げようと手をかけた。
「って、重いぃ~」
「お、お姉ちゃん!?」
ギターに押しつぶされるように倒れた唯の下に、憂やムギがあわてて駆け寄った。
唯の上に覆いかぶさるギターを適当な場所に立てかけ、長椅子の上に置かれた鞄を一個を残してすべて撤去した。
残った一個のカバン(僕のだけど)を、枕代わりにするのだ。
「とりあえず、この長椅子に寝かして……憂、体温計とかあるか?」
「あ、はい! ここに」
僕の問いかけに、憂は体温計を取り出しながら答えた。
(本当にあったんだ)
勘で憂が持っていると思って聞いたけど、本当に持っているとは驚きだった。
「それじゃ、誰でも良いから体温を測らせて。僕は水とタオルを持ってくる」
「分かった」
矢継ぎ早に指示を出した僕は澪の返事を聞いて、部室を飛び出すと階段の踊り場まで下りて周囲を注意深く見渡す。
誰もいないのを確認した僕は、右手を広げる仕草でホロウィンドウを展開させると、地面と水平に展開したコンソールに情報を打ち込んでいく。
そして、画面に表示されたのは僕の家のお風呂場にある洗面器だった。
僕は転送の項目に触れることで、手元に洗面器を転送させた。
そして、それを手に僕は部室に戻るのであった。
「今度はお茶づけにさせてね」
「え?」
看病しているムギに手を伸ばした唯は、熱に浮かされているのか意味の分からない言葉を口にした。
たぶん色々なものがごっちゃになっているだけだろう。
「全然熱が下がってないじゃないか」
「全然どころか上がってる」
熱を測り終えた体温計が示している数字を見た澪が、驚いた口調で唯に告げた。
この間風邪を引いたと憂から知らされた時の体温は”38度9分”だったのに対し、今回は”39度1分”だった。
(治りかけていたか、もしくは治ってもいない状態で無理してさらに悪化させたか)
そうなった原因を、僕はそう推測した。
「やっぱりだめだね、私」
そんな澪の言葉に、唯は力なく笑いながらつぶやいた。
「学園祭のライブ、私抜きでやった方がいいかもね」
「そんなっ!」
唯が口にした言葉に、ムギが反応した。
だが、それを遮るように唯は僕たちの方を見る。
「あずにゃん、浩君。ギターは任せたよ」
「「ッ!」」
唯の託すような言葉。
その言葉に、僕は衝撃を隠せなかった。
「嫌です」
そんな時に、口を開いたのは梓だった。
「皆で揃って演奏できないんなら、棄権した方がましです! ……ッ」
大きな声で叫んだ梓は、唯に背を向けるとうつむきながら逃げ出そうとする。
(間違えたのか? 僕は選択を……)
このままでは確実に学園祭のライブは中止になる。
それだけではない。
それによって空中分解が発生するかもしれない。
僕は間違えたのだろうか?
やはり、律たちの時に魔法を使うべきだったのだろうか?
「待って梓!」
絶望に染まりかけた僕の耳に、澪のはっきりとした声が聞こえた。
「唯、風邪が治るまで部室には来るな」
「えぇ!? ついに出禁?」
少しの間考え込んだ様子の澪が出した結論は、出禁にも近いものだった。
「そうじゃない。一杯寝て風邪を治すことに専念するんだ私たちは信じているから、唯もあきらめるな」
澪の力強い言葉に、上半身を起き上がらせていた唯はそれを静かに訊いていた。
「梓も、リードの練習をちゃんとすること。これは唯がこれなかったらというわけではなく、今後の為に」
「澪先輩……はい、わかりました」
澪の言葉に、梓も涙をぬぐって答えた。
そして僕たちを見渡すと、澪は明るい表情を浮かべてこう告げた。
「今は私たちにできることをしよう!」
と。
今後の軽音部の方向性も決まり、一応何とかなった。
だが、まだ問題が残っていた。
それが唯をどうやって家まで送るかだった。
本人は大丈夫と言っていたが、ふらふらしていて危なっかしい。
憂がいるとはいえ、さすがに重いギターを背負わせて姉の面倒まで……というのは憚られた。
そこで最初に白羽の矢が立ったのが車を持つ山中先生だった。
だが、山中先生は仕事があるとの理由で、送ることができず、それ以外の女性陣に送らせるというのも少々分が悪い。
ということで、最終的に決まったのは
「で、僕はまたお前をおんぶをして送るというわけか」
僕が唯を背負って送り届けることだった。
「えへへ~」
僕のボヤキにも似た言葉に、唯は嬉しそうな声を上げた。
「何で嬉しそうなんだよ……」
背中で嬉しそうな声を上げる唯に、僕は思わず口をついで疑問の声を出した。
「だって、浩君の背中って気持ちいいんだもん♪」
「はいはい、それはとても光栄です」
ため息交じりに唯の言葉に相槌を打った僕は、そのまま足を進めていく。
憂は僕の横を歩いている。
心配なのか時より唯の方に視線を向けると安心したように視線を戻す。
「あ、そうだ。憂」
「何ですか?」
僕はふと思い出したことを告げるべく憂に声を掛けた。
「今回は仕方ないのかもしれないけれど、これからはあんなことはしないでね」
「は、はい。本当にすみませんでした。」
僕の注意に、憂は本当に申し訳なさそうに謝ってきた。
「でも、浩介さんは本当に上履きだけで気づいたんですか?」
「………鋭いな」
憂の問い問いかけに、僕は降参の意味を込めて答えた。
「僕ってそういう違いを見ることができるんだ。だから憂が入ってきたときに、すぐに気付いた。唯の姿が二重に見えたから。俺と上履きと携帯電話を除けばほぼ完ぺきだったと思うよ」
「そうだったんですか」
そう言う意味では、ほんの些細な間違いさえなければ、僕も最後まで判断することができなかったかもしれない。
「とはいえ、ああいうのは本当にやめてね。一歩間違うと、敵と判断されて怪我では済まなくなるから」
「敵……ですか?」
敵と判断する理由がわからなかったようで、目を瞬かせている憂に、僕はできる限り分かりやすく説明するようにした。
「変そうだと判断した時に、”それじゃ、どうして相手がそんなことをするのか”という部分が大きな問題になる。ただ、大半のやつがろくでもない理由のことが多いから、僕もそれに対応した行動を予測して取っていかなければならない」
「ちなみに、浩介さんならどうしますか?」
「抹殺する」
即答にも近い形で憂の疑問に答えた。
「え……?」
「相手は危害を加えるかもしれない。だとしたら四の五の言わずに潰しておいた方が安全でしょ?」
引き攣った表情を浮かべる憂に、僕はそう言って視線を前方に戻す。
ああは言ったが、本当にそうするわけがない。
ここでそんなことをすると後々面倒なのだ。
行動を起こす前に、相手の心を読み悪意があるようであれば何がしらかの行動を起こすようにしている。
逆に心が読めなければよからぬことをたくらんでいる証でもあるので、素早く判断ができるというわけだ。
問答無用で抹殺するわけではないのだが、ああ言っておいた方が今後変なことはしないのであえてそう言う表現をすることにした。
「だから、やめてね。間違えたら大変だから」
「は、はい」
とりあえず、憂にくぎを刺すことができただけでもよしとしよう。
……その代わりに何か大切なものを失ったような気がするけど。
平沢家に到着した僕は、玄関のドアを開けた憂に、案内されるままに玄関に入る
「それじゃ、浩介さん。ありがとうございました」
「いや、困ったときはお互い様だから。よろしくね」
「はい! 絶対にお姉ちゃんが学園祭のライブに行けるようにします!」
憂の心強い言葉を聞きながら、僕は唯を家の玄関で下すと玄関から出た。
「浩君、学園祭で」
「ああ、待ってるからね」
そして僕は平沢家を後にするのであった。
「はぁ……」
自宅に戻って一目散に自室に向かった僕は、深いため息をついた。
「自分にできること……か」
澪が口にしていた言葉をもう一度口にしてみる。
(僕にできることはなんだろう?)
答えはもうすでに目の前にある。
『MAGIC』のカード。
魔法という意味のカード。
だが、魔法と一言で言っても何ができるのだろうか?
魔法とは、奇跡を強制的に起こす力。
病気を治す魔法は確かに存在するが、僕はそれができない。
「治癒系の魔法は僕の管轄外。できたとしても成功するかどうかも怪しい」
そんな危険なギャンブルをする気はなかった。
「………ん? 通信だ」
考え込んでいるさなか、通信を告げるアラームが鳴り響いたため、僕は考えるのを一旦やめると右手を開く仕草で通信に応じた。
『やっほー、兄さん元気ー?』
「………」
画面に、やけにハイテンションな妹の姿が映し出された。
『あれ? ボーとしてるけど大丈夫?』
「大丈夫だ。あんたのバカテンションに呆れただけだ」
ため息交じりに妹の問いかけに、答えた。
『せっかく危機に直面している兄さんを励まそうと思ってハイテンションで話したのに、バカって何?』
「やっぱり把握してたか」
頬を膨らませながら不満そうに言ってくる妹の言葉をすべて無視した僕は、そう返した。
『まあね。兄さんに関することで、私の知らないことはそれほどないよ。今兄さんの状況はなんとなくではあるけど把握している』
「”把握してるだけで、助ける気はない”だろ?」
『だって、兄さんにそんなものは必要ないし』
妹の言うとおりだった。
今回の一件に人の手助けはいらない。
仮に、手助けを借りられたとしても、連盟長命令で却下されるはずだ。
なぜなら、それは職権乱用だからだ。
魔界には、治癒魔法のエキスパートがいる。
そいつの力を借りれば、唯の風邪はすぐに根治できるだろう。
『でも、風邪と聞くと昔を思い出すよね』
「昔? お前は馬鹿だから風邪なんて引いたことはないだろ?」
覚えている限り、妹が風邪を引いたことは一度もなかった。
よく”バカは風邪をひかない”というが、非常に的を得ていた。
『失礼なっ! これでも副大臣だよ!?』
「しょっちゅうミスとかをやっては連盟長に叱られているけど」
妹は計算系が非常に苦手だ。
そのため、妹の担当した決裁書類は7割間違えている。
そして、連盟長に大目玉をくらうというのが、魔法連盟の恒例行事になっていた。
「まあ、戦闘では非常に頼もしいパートナーなんだけど。で、何を思い出したんだ?」
『思い出さない? 昔、私が初めての単独任務に行く時のこと』
「……………」
妹に言われて、僕は記憶を呼び起こした。
「あー、あれか」
そして、僕は該当する出来事を思い起こすことができた。
それは、妹の初めての単独任務の二日前のこと。
緊張のあまりに、妹は風邪のような病気にかかってしまったのだ。
当然任務は中止になるわけだが、妹はどうしても行きたいと言って譲らなかった。
しまいには、治らなくても行くと言い出すほどまでに。
ちなみに、単独任務というのは優秀な魔法使いにのみ許されるものだ。
当然難易度も大幅に高くなるが、見返りも大きい。
それが単独任務を無事にこなした者に、エリートという名誉ある称号を与えられるということだ。
当然だが、大出世も確約されるため、職員にとってはまさに千載一遇のチャンスなのだ。
だからこそ、妹は無理をしてでもそれをやろうとしていたのだ。
一度こうと決めると、なかなか意思を曲げようとしない頑固なところは誰かに似ているような気がする。
『あの時、風邪をひいた私に魔法を使ってくれたじゃない』
「どんな魔法だったっけ?」
その時のことは覚えているが、どの魔法なのかが思い浮かんでこなかった。
『ほら、交換魔法をアレンジしたやつだよ』
「あー、あれね。確かに使ったな」
”交換魔法”
それは、文字通り交換するための魔法だ。
例えば、熱い液体が入っているAのコップと冷たい水が入っているBのコップ。
この二つを同時に交換するのだ。
つまり、熱い液体がBのコップに冷たい水がAのコップになると言った具合に。
それを応用すれば、病気の人とそうでない人とを交換することもできるのだ。
その魔法を使って、妹は元気になり単独任務に向かい、見事ミッションコンプリートを収めたのだ。
そして、今の魔法連盟法務課副大臣の職に就いたのだ。
『兄さんって、体の回復力がすごいから、あっという間に根治させちゃってたけれど』
「バカ言え。あの魔法はもう使いたくないからな」
『あはは……そうだよね。恥ずかしいもんね』
僕の言葉に、妹もそれを思い出したのか、顔を赤くして苦笑しながら頷いた。
交換魔法にはある問題点があり、僕はそれを使うことを避けるようにしたのだ。
『あ、そうそう。特務こっちは無事に終わったよ』
「そんなの知ってる。背景を見れば」
妹の背景には、高月家に置かれている家具が見えていた。
『む、ちょっと順番を間違えた』
「それじゃ、切るぞ」
ため息をついた僕は、妹にそう告げると通信を切ろうとする。
『うん”またね”兄さん』
「は? それってどういう………って、切りやがった!」
意味深な言葉を残して一方的に通信を切った妹に、僕はどっと疲れが出てしまった。
「寝よう」
まだ夕食を食べていないが、準備をするのも面倒だったので、早めに寝ることにした。
ちなみに、お腹がすいて目が覚めてしまったのは余談だ。
「明日か……」
学園祭を翌日に控えたこの日。
僕は不安にとらわれていた。
それは、当然唯のことだ。
この日も、唯は休んでいるらしい。
『もしもし?』
「あ、高月だけど。ちょっといいかな?」
僕は携帯で憂の携帯に電話を掛けた。
『はい、なんですか?』
「唯の体温を教えてくれないかな?」
僕が電話をしたのは、唯の体温を知るためだった。
『38度1分です』
「そうか」
非常に最悪な結果に、僕は頭を抱えてしまった。
『あの、お姉ちゃん。間に合うと思いますか?』
「………家族であるお前が、信じなくてどうするんだ?」
どこか悲観したような声色で聞いてくる憂に、僕は手を頭から離すと答えた。
『……そうですよね。お姉ちゃんは間に合いますよね』
「ああ。絶対に間に合う」
どこか希望を取り戻した様子で言う憂に、僕も賛同した。
『それじゃ、明日のライブ楽しみにしてますね』
「はは、これは成功させる必要があるな」
憂からのさりげないプレッシャーに、僕は軽く笑いながら答えると電話を切った。
「………」
『行かれるのですね?』
無言で窓のそばに立つ僕に、ネックレスの形状のクリエイトが確認の意味を込めて聞いてきた。
「ああ。僕が……いや、僕にしかできないことだ」
『そうですか。……我が御心はあなたと共に。私はどこへでもついて行きます』
「ありがとう」
クリエイトの優しい言葉に、僕はお礼を言うと右手を開く仕草でホロウィンドウを展開させる。
既に必要な情報は入力済みで、あとは転送の項目に触れるだけだ。
僕は、黒いマントを着ると、項目に触れた。
その瞬間、僕は浮遊感を感じるがそれも一瞬で、気が付けばそこは自分の部屋ではなく唯の部屋だった。
「…………」
僕はベッドの方を見る。
真っ暗だが、しっかりと僕には周囲にある物が見えていた。
それは、魔力で視力が強化されているためでもあった。
唯はベッドで横になってぐっすりと眠っていた。
僕はそんな彼女の傍らに近づく。
「……んぅ」
そんな時、歩く音で気付いたのか目が開いた。
「浩……君?」
寝ぼけた目で僕を見つめる唯。
「これは、夢?」
「ああ。そうだ。泡沫の夢だ」
本当は違うが、夢と思い込ませた方が後々都合がいいので、そうさせておくことにした。
「夢でも、浩君とお話ができ……るんだ」
「僕は、これまでこの力を人を傷つけるためだけに使ってきた」
僕は唯の言葉を無視して、独白する。
「ある時は数百万人の相手を亡き者にしたこともある」
それは、僕が成し遂げた伝説でもあり、罪でもあった。
「でも、そんな僕にだって、人を助けることはできる」
僕はそこまで言うと、唯の方を見た。
未だに寝ぼけ眼で僕を見ている唯。
そんな彼女の前に左手をかざした。
「……ぁ」
それだけで、唯は再び目を閉じて眠りにつく。
「恥ずかしいから眠って」
それは恥ずかしいからというのもある。
交換魔法の欠点。
それは……対象との接触だ。
コップの例だと、コップ同士を。
人の場合は肉体的な接触が必要になる。
妹に交換魔法を使った際、手をつないでやったが非常に時間がかかったのだ。
なので、試しにおでことおでこを合わせるとものの数分で終わったのだ。
つまり、額通しを合わせなければいけないのだ。
だからこそ、妹も恥ずかしがっていたのだ。
(大丈夫。僕にはできる)
僕は、事故が起こらないように唯の額と自分の額を平行ではなく交差する形でくっつけた。
「チェンジ」
それが合図だった。
僕の足元に魔法陣が展開する。
そして、風のようなものが僕たちを包み込む。
続いて、温かい物が僕の中に流れ込んでくる。
それこそが、唯の風邪だ。
言うなれば、病原ウイルス。
代わりに唯の体内からは原因となるウイルスが消えているはずだ。
交換魔法は、従来からある魔法ではなく、AをBに取り込むという吸収魔法をアレンジしただけの魔法だ。
なので、術者が望めば自分の状態を相手に移動させるという”交換”をしないでもよくなるのだ。
僕自身、完全に健康という保証はない。
そのため、自分の状態は相手に移動させない吸収という形式にしたのだ。
こうして、交換魔法は数分で終了した。
「これで、唯は明日には元気になってライブに出られる」
試しに、額に手を当てる。
だが、先ほど交換魔法で額どうしを触れさせた際に感じたような熱は感じなかった。
つまり、成功ということだ。
「よし、早く帰ろう」
そして、僕は唯の部屋を後にした。
明日のライブの成功を確信して。
だが、この時僕はまだ気づいていなかった。
僕の取った行動がのちに最悪の事態を巻き起こすことになるとは。
[1回]
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