あの後、荷物を置いておき水着に着替えた僕は唯たちのいる浜辺の方へと向かう。
「悪い、遅れた!」
「いや、いい……何故にマント!?」
僕の姿を見た律が顔をひきつらせる。
僕は水着の上から黒のマントを羽織っている。
「家の方に”見ず知らずの者に素肌を晒してはならない”というしきたりがあるから」
「何じゃその嘘のようなしきたりは?」
「まるでものすごい古い大金持ちの家みたい」
僕の家に伝わるしきたりを聞いた律は呆れたような表情をしながら聞いてくる。
それと唯、”古い”じゃなくて”伝統のある家”みたいと言ってくれ。
まあ、ある意味正しいんだけど。
「何でも家の風紀のような物を損ねないようにするためのものらしい。守っている人はそんなにいないけど」
妹がその典型例だ。
まさか、近くの湖に泳ぎに行こうとした際に家で水着に着替えて湖に向かうとは思わなかった。
「だったら、問題はないよ! さあ、そのマントを脱ごう!」
「手を怪しげに動かしながら近寄るな」
目を輝かせてすり寄る唯の頭に手を当てて近寄れないようにする。
「でも浩介」
「何だ?」
唯の頭に手を当てたまま声をかけてくる澪の方に顔を向ける。
「マントを着たまま海に入る気? それに、脱いだら素肌を晒すんだから、意味がないんじゃ」
「あ、そうか」
澪の指摘に僕はようやく問題点に気づけた。
今まで気づけなかった僕は一体……
僕はマントを脱いだ。
「うお、マッチョ!」
「うへぇ、この上腕二頭筋生で始めて見た」
そう言いながら僕の体を観察する二人の少女。
名前は伏せておこう。
僕はマントを浜辺に敷かれたシートの上に置いた。
「さぁ、遊ぶぞー!」
「「「おー!!」」」
律の呼び掛けに唯たちが応え、海水浴は再開となった。
途中唯をベースにして砂に動物の絵を描いてそれを写真に収めたり、ムギがとてつもなく精巧な城の砂山を作ったり、唯と律と僕の中で早く泳げるのは誰かという勝負をしたりした。
ちなみに結果はハンディキャップ(僕だけ泳ぐ距離は二人の倍という物)があったが僕の勝利だ。
そんなこんなで、僕たちは海水浴を満喫した。
「ふぅ、楽しんだ~」
気が付けば既に夕刻。
海面に優日焼けが反射して絶景となっている中、律と唯はやりきった様子で砂浜に寝そべる。
そんな二人に近づく澪の手には、いつの間に取ってきたのか大きなスイカがあった。
「せっかく海に来たんだからいっぱい遊ばないとここまで来た意味が……」
「おい」
何となくここに来た種子を忘れているような澪の言葉に、僕は思わず突っ込みを入れてしまった。
「あーっ! 練習!!」
「忘れてたのかよ」
「ま、まったく。律が遊ぼうとかいうからだぞ」
律のツッコミに、澪は弱々しく反論する。
「僕の記憶違いでなければ、一番楽しそうに遊んでいたのは澪だと思うんだが」
「つーん」
完全に顔をそらした。
(これで本当に大丈夫なのだろうか?)
心の中で思わずそう呟いてしまった。
夕食を終え、僕たちは楽器のセッティングを始めた。
のだが……
「はぁ、お腹いっぱい、夢いっぱい~」
「おやすみ」
律と唯の二人は先ほどから床に寝そべってセッティングをするそぶりを見せていなかった。
「始めるぞー!」
「二人とも起きて」
二人の呼びかけにも、律たちは動く素振りすら見せない。
見かねた澪は僕たちに退くように言うとベース用のアンプを移動させる。
そこは二人の耳元だった。
(まさか)
僕は、彼女が何をしようとしているのかの見当がついた。
案の定、澪はベースの弦を思いっきりはじく。
それによってアンプから凄まじい銃手に音が鳴り響く。
「「うぅ」」
その容赦ない爆音に、二人は起きざるを得なかった。
ようやく起き上がった二人は、ギターのってぃんぐを始めるのだが、体がふらついていた。
律に限っては今にも後ろに倒れそうなほどに。
「なあ、今日はやめにしないか?」
「練習のためにここに来たの!」
律の提案に澪が切り捨てた。
それでも渋っている律に澪は
「そう言えば、最近ちょっと太ったんじゃないか?」
と、黒い笑みを浮かべながら言い放った。
「特にー、お腹の所とか。最近ドラムを叩いてないからかな~」
「うぎゃあああ!!!」
澪の容赦ない言葉の矢が律を動かした。
凄まじい勢いでビートを刻む律に、澪はほくそ笑む。
(澪、策士だ。そしてとてつもなく腹黒い)
澪の所業に思わず拍手をしたくなった。
「もうギター持てないよ」
「えぇ!?」
今度は唯の番だった。
ギターを置くと地面に座り込んでしまった。
「だって、このギター重いんだもん」
「言った! 重いと言った!!」
唯の言葉に、僕は大きな声でツッコむ。
ギター選びの際に僕は重量があると言っていた。
それでも彼女はこのギターに決めたのだ。
(そう言えば、どうしてこのギターにしたんだろう?)
フィーリングならば、明確な理由はないだろうが、無性に気になった。
「誰だ―! このギターを買うって言ったのは―!」
「「お前だッ!!」」
唯の叫びに、澪と声が合ってしまった。
そして結局、最初に戻る。
地面を転がる二人の姿は、まさに滑稽そのものであった。
「学園祭はどうするんだよ」
「だから、メイド喫茶でいいって言ったじゃん」
「えぇ、お化け屋敷がいいよ」
「その次元から離れろよ」
澪の問いかけに少し前の論争を繰り広げようとする二人に、僕は飽きれ交じりに言う。
「唯に浩介。お前たちは何もわかっていない。澪を見てみろ」
「な、何?」
いきなり自分の方に話が向いてきたため、澪は目を丸くする。
「澪ほどメイド服姿が似合う奴はいないぞ」
その律の言葉に、僕は想像してみた。
黒のストッキングに、純白のエプロン。
止めに頭にはメイドカチューシャを付けた澪の姿
『萌え萌え、キュン』
と、何やらポーズをとりながら言う澪の姿は確かに
「とか言ったりしてなー!」
「可愛いかも」
「確かに、似合いそうだ」
皆の意見が一致した。
というより、あのセリフは律が吹き込んだのか。
「なんてなじ――――――――」
その次の瞬間、一瞬ではあるがドラムの上に置かれたバチが宙を舞った。
それは顔を真っ赤にした澪の鉄槌によるものだが、僕は本当の恐ろしさを狭間見たのかもしれない。
練習にならないと悟ったのか、冷静になった澪は唯と凄まじい回復力で復帰した律の説得に圧されるがまま、外で休憩することになった。
少ししたら練習すると告げる澪の手にはスイカがあった。
それに対して律が『分かってる』と応えるが、それもどこか怪しくなってきた。
(本当に練習するのか?)
そう疑問が浮かんできたところで、
「「せーの!」」
二人の声と共に目の前に光の波が現れた。
「それじゃあ、最後の一曲。行くぜー!」
そう言って唯はギターのピックをストロークさせる。
音は何も聞こえない。
声を出すことも、動くこともできなかった。
視線すらも動かせない。
僕はまるで石のように目の前のライブもどきを見ていた。
心が疼くのを感じた。
それは嫉妬でもなく、怒りでもない。
(楽しそう)
彼女の心から演奏を楽しんでいる、幻想的な光景に対する驚きのようなものだった。
まるで、彼女が俺の知らない平沢唯に……プロのギタリストになったような錯覚さえも感じさせる。
「オーイェ、オーイェー!」
その幻想的な時間もあっという間に終わりを告げた。
聞こえるのはただはしゃいでいる、いつもの唯の声だった。
「あ、あれもう終わり?」
「予算の問題でな」
あっという間の出来事に、唯が名残惜しそうな声を上げると、申し訳なさそうな表情で律が答えた。
「でも、武道館ではもっと派手にババババーンと!」
「武道館?」
「おいおい、目標はそこだって決めただろ。な?」
なにそれと言いたげな唯に、律は呆れたような表情で答えると、こっちに聞いてきた。
確かに、彼女たちは武道館公演を目標にしていた。
だが
(きっと武道館公演の時、僕は……)
出られない。
その言葉を掻き消す。
今の僕は軽音部の一員だ。
ならば、武道館だろうと何だろうと出てやろうじゃないか。
例えそれが、後に問題になったとしても。
そんな思いを秘めながら、僕は立ち上がり三人の元へと足を進める。
「武道館目指すなら、このくらいは演奏できるようにならなきゃな」
そんな時に流されたのは、メタル風の曲だった。
簡単に聞けばギターが前に出過ぎている………目立ちすぎているようにも感じられるが、よく聞けば周りの音を引き立てている鞭のような役割を果たしている。、
それでいてチョーキングなどの演奏技法を取り入れていたりしている。
ドラムも、そんなギターに埋もれないように必死にアピールしている。
つまり、何を言いたいのかというと
「へぇ、うまいなー」
律の漏らした感想であった。
「あれ? でもこの曲」
演奏を聴いている唯が、首をかしげる
僕も微妙に引っかかっていた。
この曲の演奏技法が前に聞いた演奏と酷似しているような……
そんな僕の考えはすぐさま頭の片隅へと追いやられることになる。
『お前らが来るのを待っていた』
「「「「「…………」」」」」
テープから流れるまるでこの世の恨みを込めたかのようなどす黒い声に時間が止まったような気がした。
『死ネーーッ!!!!』
その叫び声に、僕たちは思わず耳を押さえてしまった。
叫び声に遅れてテープが止まる音が聞こえた。
どうやら流している面のテープが終わったようだ。
ふと、前方を見るとそこには……
「聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない」
耳を押さえて蹲り、まるで呪文のようにつぶやく澪の姿があった。
「いやだー! やだよー!!」
そんな澪の耳元で律が何かを言ったのか、澪は這いつくばるようにして、テラスの上に上がると膝を抱え込んでしまった。
律が何を言ったのかは大体の見当がついていた。
「律ちゃん」
「やりすぎだよー」
「謝れ」
ムギと唯に続いて、僕は謝るように諭した。
「わ、悪かったな、澪」
「大乗だよ澪ちゃん。お化けはいないよー」
謝る律に続いて唯が安心させるように澪に言うと澪はゆっくりとこっちを見上げて
「本当?」
と、上目づかいで聞いてきた。
そのしぐさにまるで胸を打ちぬかれたような衝撃が走る。
「「萌え萌え、キュン」」
だからと言って二人のようなことはしないが。
未だにぐずっている澪を宥めつつ、僕たちは練習をするスタジオへと戻っていた。
唯がギターのセッティングをする中、律が謝っているが
「むぅ」
顔をそらして頬を膨らませる。
「餓鬼か」
そんな彼女の様子に思わずそう呟いてしまった。
「ねえ、唯ちゃん。本当にさっきの曲……」
「うん! 見てて」
ムギの心配そうな問いかけに返事をすると、唯は徐にギターのピックをストロークさせる。
そしてながれる音は、間違いなくあのテープのギターの音色と似ていた。
「おいおい……」
思わず口から声が漏れてしまった。
まだギターに触れて数か月しか経っていないにも拘らず、一度聞いた曲のギターの音色をほぼ完全にコピーしたのだ。
勿論、まだたどたどしくはあるし、音に振り回されている感じもある。
だが、それを差し引いても彼女には才能があるのは明らかだ。
(絶対音感か。これは将来、すごいギタリストになるぞ)
演奏の技法やそれ以外の諸問題をクリアすれば、彼女はそこらじゅうのバンドから引っ張りだこになるだろう。
それは予想ではなく確信でもあった。
「はい、どう?」
「すごい。完璧」
「ああ、まったくだ」
感想を求める唯に僕とムギは拍手を送りながら答えた。
「でも、みょ~んっていう所が分からなくて」
「みょーん?」
「それって、チョーキングの事じゃないか?」
彼女の独特な表現に、律が首を傾げる中、澪が立ち上がりながら答えた。
「うぐッ!?」
「チョーキング?」
「違う」
僕の首を腕で占めながら聞いてくる律に澪が答える。
というより、苦しい。
「はな、せっ!!」
軽く力を込めて律の腕から逃れる。
ちなみに、チョーキングとは、音が鳴っている際にギターの弦を引っ張る演奏技法だ。
すると、唯でいう所の”みょ~ん”という感じに音の高さが変わる。
ビブラートとよく間違えられやすい技法だが、ビブラートは弦を揺らすのに対し、チョーキングは弦を引っ張るだけだ。
チョーキング後、いかに次のコードへとスムーズに移るか。
そして、何よりチョーキングをうまく出来るかがこの演奏技法の要となる。
「こうやって、こう」
澪にやり方を教わった唯は試しにとばかりにピックを振り下ろしながら、弦を引っ張る。
すると、音の高さが変わった。
「そうそう」
試しにやった唯に、澪が頷くがその唯は俯くと肩を震わせる。
そして再びチョーキングをやり始めるのだが、今度はギターの弦を何度も引っ張ると顔をあげて笑い始めた。
「一体、それのどこに笑う要素が?」
「これ何か変」
僕の慰問の声に答えることなく、そう口にする唯。
「え? 変って……」
「どうやら壺だったみたいだな」
「フジツボ!?」
その様子を見ていた律の言葉に、今度は澪が反応した。
そして再び耳を押さえて蹲ってしまった。
「どうして!? ねえ、どうして?」
一体どうすれば”ツボ”から”フジツボ”になるのだろうか?
結局、この日練習は出来なかった。
お風呂に入って寝ようということになったが、ここで問題が発生した。
それは僕がいるのだから当然ではあるのだが。
「それじゃ、私たちお風呂に入るけど」
「絶対に、ぜーったい! 覗くなよ!」
「大丈夫だよー、浩君は除くような人じゃないもん」
そう、お風呂だ。
ムギの話によれば、ここには露天風呂があるとのこと。
ただ、そこ一か所しかないため女子が入っていれば男である僕は外で待機となる。
つまり、覗かれないかという女子の不安は当然でもあった。
でも唯、その無条件の信頼はとてつもなくつらい。
それは置いておき、僕はスタジオの方で待つことになった。、
「そうだ、ムギ」
「何ですか? 高月君」
「前に頼んでおいた、オリジナル曲は出来てる?」
首を傾げて聞き返してくるムギに、僕は用件を告げる。
「その音声データとかがあれば貸してほしいんだ。待ってる間に肉付けとかするから」
「うん、良いわよ」
僕の頼みに、彼女は快く了承すると、荷物の中から携帯音楽プレーヤーを取り出した。
そして僕に簡単な操作方法を説明してくれた。
「だ、大丈夫なのか?」
「肉付けやアレンジは、割と得意だから心配しないで。さあ、集中の妨げになるからとっととお風呂に入ってこい」
律の心配そうな問いに答えると、四人を追い出した。
誰もいないスタジオで、僕は
「よし、始めるか」
イヤホンを耳に装着して、曲を再生する。
最初に流れてきたのは、『スピード感のある大人っぽい感じの曲』というかなりアバウトなコンセプトのもとに完成した曲のキーボードパートだった。
まずは、曲を通して聞きこむ。
(この曲のリズムコールは……バチ同士を叩かせた後にドラムのフィルとかを入れてみるか)
そして聞き込んだ曲からコンセプトを練り、それを白紙の譜面に書き込んでいく。
(ドラムは一定のテンポで所々にアクセントを入れて行くか)
一度決めれば簡単だ。
1番さえ埋めれば2番も同じ感じだ。
同じ要領で2番を埋めたところで、間奏の箇所になった。
もう一度間奏の箇所の曲を聴く。
キーボードの音から、この部分に合う構成を考えて行く。
(最初はドラムはミュートにして、その後は1番と同じリズムテンポの進行)
後は終わりの箇所なので、ここも1番で使った音で対応させる。
こうしてドラムの肉付けは終わった。
「次はベースか」
ベースは一種の鬼門だ。
何せ、別の音が埋もれてはいけないのだ。
かと言って前に出過ぎてはいけない。
縁の下の力持ちというのが理想的なポジションだ。
そのバランスが取り辛いのが、ベースでもある。
(ベースはとにかく小刻みなコード進行で進めるか)
その方針の元、ベースパートの肉付けを進めて行く。
「ん? もう上がったか」
外の方から近づく人の気配に、僕は手を止める。
それから間もなくして、上がったと告げに澪たちがやってくるので、僕はお風呂に入ることにした。
「想像してはいたが、本当にすごいな」
お風呂に入った感想がそれだった。
まさに豪邸にあるような露天風呂だった。
あれがプールだと言っても誰も疑わないだろう。
お風呂から上がり、みんなは一つの部屋で寝ることになり、僕は別の部屋で一人寝るのだが、どうにも落ち着かない。
「…………広すぎるのもあれだな」
別に実家の自室に比べればこじんまりとしている。
だが、それでも何故か感覚的に落ち着かない。
なので僕はロビーの方で寝ることにした。
幸い季節は夏。
毛布無しでも風邪を引くことはないだろう。
(そうだ、せっかくだし肉付け作業をするか)
そう思い立った僕は、飲み物などで散らかったテーブルの上を簡単に整理すると、書きかけの譜面とムギに借りっぱなしの携帯音楽プレーヤーを取り出す。
そこで僕はある問題に直面した。
「ちょっと暗くて見えにくいな」
月明かりがあるとはいえ、少しばかり見づらいことだった。
とは言え、僕は魔族。
普通なら、暗闇だろうが昼間と同じようにくっきりと見える。
だが、それをしようとすると魔族特有の赤い目が輝きを発してしまい、ここを通りかかる皆に怖い思いをさせる。
特に澪がそれを見たら、気絶どころでは済まないような気がする。
「仕方ない。クリエイトに照らしてもらうか」
残されたのは、僕の相棒でもあるクリエイト自身に光を纏わせる方法だった。
「クリエイト、頼む」
僕は首にかけている先端に真珠がついているネックレスを外しながらお願いすると、ネックレス……クリエイトは光を纏って周囲を照らしてくれた。
ネックレスの形をしたクリエイトはテーブルの少し上のあたりに浮かんでいる。
「ありがと」
僕はクリエイトにお礼を言うと、作業を始めた。
最初の一曲目のギターパートだ。
唯でも弾けるコードや技法を選択する必要があるわけだが、それが前に蓄積した音を破壊してはいけない。
あくまでも蓄積した音に乗せる感じにしなければいけないのだ。
それはかなりの難易度を誇る。
(よし、これでベースになる1番は完成した。あとは間奏だな)
最後の難題である間奏だ。
本来なら、ここらでギターの超絶な技法を取り入れたいのだが、それをやると唯がつぶれる。
なので、ここも簡単にしていく必要がある
(まあ、ここで分割するのもありだけど。それはもう少し後だな)
将来的には唯をリードにして、僕はリズムで行くつもりだが、今の状態では二人で同一コードを引いて行かなければいけない。
それほど演奏技術が低いということだ。
勿論、誰しもが通る道のため、練習を積んでいけば僕ぐらいのレベルになるだろうが。
「何をやっているの? 浩君」
「ッ!?」
突然かけられた声に僕は心臓が止まりそうになった。
「ゆ、唯!? どうして」
唯たちは確かに寝たはず。
寝静まった頃を見計らって作業を始めたのだから間違いない。
「ちょっとトイレに起きたから戻ろうとしたら灯りがあったからなんだろうって思って」
「………」
僕は頭を抱えたくなった。
今、僕は最悪な状況を迎えている。
「それにしても、この灯りすごいね。どうやって浮いてるの?」
「………」
興味深げに観察する唯。
彼女はこれが”魔法によるもの”だと気付いてはいない。
だが、彼女は魔法を見てしまった。
魔法文化の無い世界で魔法を使っているのが第三者に見られた場合、その物の記憶を消去しなければいけないのだ。
それが、僕たち魔法使いに課せられた義務だ。
まさか、それを仲間に掛ける羽目になるとは。
「唯」
「なに?」
「僕はお前の事を仲間だと思っている。何だかんだで同じ軽音部の部員何だし」
「私も、浩君の事を友達だって思ってるよ」
屈託のない笑みを浮かべながら返してくれる。
その気持ちがとてもうれしくて、だからこそこれからしようとしていることに罪悪感を感じてしまう。
だが、それを僕は心の中から完全に消し去る。
「だから、あんたの記憶を封じさせて貰うよ」
「ふぇ?」
僕の言葉に唯が理解するよりも早く
「クリエイト!」
頭上に浮かぶクリエイトに声をかける。
それだけでクリエイトは僕が何をさせたいのかを判断して、その通りに実行する。
一瞬光の強さを増したそれは姿を一本の杖へと変える。
「え? え!?」
何が何だか理解できない唯は目を丸くするだけだった。
その隙に僕は杖状になったクリエイトの先端を唯の頭に触れさせて
「リ・ベア・ラティア」
呪文を紡ぐ。
その次の瞬間、辺りはまばゆい閃光に包まれた。
「――――――」
「すまない、唯」
謝罪の言葉を口にしながら、僕はクリエイトを元のネックレスに戻すとそれを首にかけておき、懐中電灯を手にする。
唯の意識がはっきりする前に、それをテーブルに置くと僕は唯に声をかける。
「それで唯」
「は、はい!?」
突然呼ばれたことに驚いたのか声を上ずらせる。
「どうしてここにいるんだ?」
「どうして……あ、そうだ! トイレに行った帰りにここから唸り声が聞こえたから気になってきたんだった!」
僕の問いかけに答える彼女の言葉は、前のとは変わっていた。
それは彼女の記憶を操作したためだ。
具体的に言えば、明かりを見た記憶全てを封印して別の記憶にすり替えたのだ。
それが”唸り声”だった。
記憶消去は後始末が面倒だ。
何せ、数分間の記憶がない状態というのは魔法が主流になっていない所ではかなりの問題となる。
大騒ぎされて病院で見てもらうという騒ぎにもなりかねないのだ。
そのため、記憶の封印にしたのだ。
封印ならば修正する箇所が比較的に少ないので簡単なのだ。
だが、ちょっとした拍子に記憶が戻るという危険性をはらんでいるのだが。
「唸り声とは失礼な。ちょっと構成に悩んでいただけだ」
「何をやってるのー?」
そういってテーブルの上の方に置かれている紙を手にする。
「…………………………これ何?」
「まあ、そう来るだろうと思ったよ」
紙を見た唯はしばし固まると笑いながら聞いてきた。
「それは楽譜。読み方とかを説明すると夜が明けるからまた明日な」
「むぅ、なんだか馬鹿にされた気がする」
「はいはい、早く寝ろ」
僕は頬を膨らませる唯を軽くあしらう。
「お休み、浩君」
「ああ、お休み」
部屋の方に向かっていく唯の後姿を見送りながら、肉付け作業をもう一度始める。
「よし、こんなものか」
二曲分の肉付け作業を終わらせた僕は、腕を伸ばした。
音楽プレーヤーに入っていたもう一曲のオリジナル曲の音源を聞いた僕は、それに対する肉付け作業も終わらせた。
もう一つは初心者・中級者向けをコンセプトに肉付けした。
簡単でいて、なおかつ奥が深い感じだ。
最初は唯のギターから始まり、次は僕や澪にムギに律の演奏が始まる。
この曲は終始一貫して難易度的には低く、初心者にとって入りやすい曲と言っても良い。
「さすがに二つのバージョンはやりすぎた」
二つのオリジナル曲にはそれぞれもう一つのバージョンの譜面を作っている。
ギターパートを中心に、音の幅を増やしさらにコード進行の難易度を引き上げた物だ。
これは僕を合わせた皆の技法が向上した際に、お披露目することにしよう。
「さて、寝るか」
テーブルの上に置いていた楽譜を片づけてソファーに横たわる。
そして目を閉じると、意識は一気に闇へと落ちて行くのであった。
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