「こうふふぇふぁひひひょふぁー」
「食べながらしゃべるな」
昼休み、目の前でお弁当をほおばりながら口を開く慶介を咎めた。
女子は女子で、男子は男子同士で食事を摂るというわけではない。
ただ単に席の問題(僕たちが座るだけの机の幅がなかった)だけなのだ。
そんな唯たちは、楽しげに昼食をとっていた。
だからと言って僕たちも楽しくというわけにはいかない。
「それで、何だ?」
「浩介はいいよなって言ったんだ」
あらためて慶介が何と言っていたのかを尋ねると、そんな言葉が返ってきた。
「いきなり何を言うんだ?」
「だってよ、部員はかわいい女の子だけで、顧問だって優しくて美人の山中先生じゃないか」
慶介の口から出たのはある意味いつも通りの言葉だった。
「可愛いはいいとして、山中先生の場合は微妙に違うと思う」
あの人の本性を知っている僕からすれば、素直に頷けられなかった。
「それは自慢か!? 一生俺にはできえないことだという自慢なのかぁ!!」
「うっさい」
「ごふぁ!?」
むさくるしく雄たけびを上げ始めたので、とりあえず沈めておくことにした。
「あなた、本当に扱いなれてるわね」
「慣れているというよりは、どんどん投げやりになってきてないか?」
そんな様子を見ていた真鍋さんと澪から呆れたような驚いているようなよくわからない口調で話しかけられた。
「まともに相手すると時間がもったいないから、最近は面倒だと思ったらぷちっとつぶしてるんだよ」
「ちょっと、俺は虫感覚での対応ですかい!?」
苦笑しながら返すと、例にも漏れずに素早い回復を見せた慶介がツッコみの声を上げた。
「浩介も浩介だけど」
「彼も彼ね」
なんだか僕と慶介が同列に見られているような気がするのは気のせいだろうか?
(それにしても、律のやつはまた放浪の旅か)
ふと視線を横に逸らしてみると、そこにはほかの学生たちと楽しそうに話をしている律の姿があった。
「いいですか?」
「ん?」
ふと廊下のほうから女子の物と思われる声が聞こえてきた。
「私に続いて覚えてくださいね。水平リンベー、青い船!」
「……」
聞こえてきたのは元素表を覚える定番の語呂合わせだったが、それは何かが違っていた。
(それを言うなら、”水平りーべー、僕の船”では?)
なんだかどこぞの星が降る町にいる天使がしそうな言葉の間違いに、心の中でツッコみを入れた。
「天使じゃありません!!」
「…………」
「どうかしたのか? 浩介」
まるで僕の心の声を聞いているかのようなタイミングで返ってきたツッコミの言葉に唖然としていると慶介から声がかけられた。
「いや、なんでもない」
今のはただの気のせい。
夢でも見ていたのだと自分に思い込ませることにした。
そしていつもの昼休みの時間は過ぎていくのであった。
「というわけで、今日もやろうぜ!」
「何が”というわけ”なんだ?」
放課後、一足先に部室に来ていた澪がドアを勢いよく開け放って告げた律の言葉にツッコミを入れた。
「輝け律ちゃんシリーズまだ続いてたんだ」
「もしくは楽器取り換えっこか?」
ギターの一件で辞めないところが律のいいところでもあるのだが、理由が理由なだけに少々微妙な心境だった。
「やっぱり輝いてないとだめかもしれない! さわちゃんを見てみろっ!」
「な、何よ?」
律の言葉に、僕達はいつもの定位置である僕と梓の席の横の部分を利用して優雅にケーキを口にしている山中先生へと視線を向けたので、山中先生は戸惑いの表情をうかべる。
「担任になってからお肌はつやつや髪はきれいだしっ」
確かにここのところ山中先生は輝きを増してきていると思う。
とはいえ、抱く感情はただの憐れみみたいなものだが。
「ふふ。担任ともなると、教壇というステージに立って皆に注目されるからね」
「ぷっくくく」
山中先生の言葉に、僕は笑いがこらえきれなくなり吹き出してしまった。
「な、なによ! 笑わなくてもいいじゃない」
「くくく、すみません。律、優雅に泳いでいるアヒルはその実、水面下では必死になってもがいているもんだぞ?」
「はい?」
山中先生が輝いている理由がわかるために、僕は直接ではなく間接的に伝えたのだが、どうやら通じなかったようだ。
「山中先生、老婆心ながら言わせていただきますけど、やりすぎは毒になりますので、ほどほどに」
「うっ。うるさいわね!」
僕の忠告に、山中先生は一瞬表情をこわばらせたものの、そっぽを向きながらケーキを頬張った。
「――というわけでキーボードを弾いてみてもいい?」
「ええ。もちろんよ」
少ししてやってきたムギに事情を説明した律の頼みに、ムギは快く承諾すると、キーボードの電源を入れて演奏ができるように準備を整えた。
「それでは……」
若干緊張しているのか指を震わせながらも鍵盤に乗せた律は、さらに力を込めて鍵盤を押し込む。
すると、何とも明るい音色が部室内を駆け巡って行った。
「律先輩って楽譜読めるんですか?」
同じく部室に来ていた梓の問いかけに、律はテンポよく数音を鳴らした。
「あ、”だいじょうぶ”だって」
(なんで解読できてるんだ?)
まあ確かに聞こえなくもないけれど
「さすがにムギもめい……じゃないよな」
澪が言葉を途中で止めるほど、ムギの目は輝いていた。
そこでさらに律はさらに3つの音を鳴らした。
それはまるで
「あっ。いま”むーぎーちゃん”って」
「言った言った~」
僕には救急車のサイレンの音にも聞こえるのだが、どうやらムギと唯にはそれが違って聞こえていたようだった。
僕には理解のできない謎ワールドが、律とムギに唯の三人の中では展開されていた。
それから少しして、演奏のコツをつかんだのか、音色を変えながらチャルメラの音を奏でる。
「キーボードっていろいろな音色があって面白いよな」
「新しい曲のイメージがどんどん固まるわ~」
(どんな曲にする気だっ!?)
今のチャルメラからいったいどのような曲を編み出すのかがとても気になった。
「なんだか楽しそう……」
そんな時、律の楽しげに弾いていく姿に触発されたのか、前のベンチで腰かけていた澪がポツリとつぶやいた。
そして律の目が怪しく光ったのを僕は見逃さなかった。
「ねえムギ、私にも弾かせ―――」
席を立ってムギに声をかける澪の言葉を遮るように、ヘビメタ風の音色を鳴らした。
「や・め・ろっ! そういうのは止めような? そういうのはっ」
勢いよく律の頬を両手でつかんだ澪に対抗して、律も澪の頬を両手でわしづかみにした。
「……まったく何をやってるんだか」
「いやー、でも楽しかったな。これでほとんどの楽器を取り換えっこしたし」
澪との格闘も終わり腕を伸ばしながら感想を漏らす律。
(あれ? 何か抜けてないか?)
ふと僕は何かの楽器を弾いていないことに気付いた。
「ねえねえ、ベースはやらないの?」
「ベースはだめ!」
それは唯も同じったようで首を傾げながら問いかけた唯に、澪はいつになく強い口調で拒否した。
「ベース以外の楽器はやりたくないし、ベースじゃないとできないし……」
恥ずかしそうに視線を色々な場所に移していた澪は、やがて静かに口を開いた。
「低くて太い音色とか、ベースラインを作るのも楽しいし、それにみんなを支えている感じが好きで皆の音に埋もれない、そんなベーシストになりたいんだ」
それは、秋山澪というベーシストの基盤にも思えた。
「知ってるよ。だからベースにだけは手を付けないのさ」
(意図してベースをやらなかったのはそういうわけか)
一瞬、ギターと同じ弦楽器だから避けたのかと邪推してしまった自分が恥ずかしく思えた。
「ほほぅ、私と浩君みたいにアツアツどすなー」
「さりげなくのろけないでください」
唯の言葉に、梓のジト目での注意が飛んできた。
と、そんなときどこからともなく異音のようなものが聞こえてきた。
それは軽い爆発音にも思えた。
そんな異音の発信源は明らかに先ほどから動く気配のない澪であった。
「語りすぎた」
そう言って動かなくなった澪の頭からは、まるで煙でも出ていそうな感じがするほどに燃え尽きたような感じがした。
「うお!? 澪が生きる屍に?!」
「しっかりするんだ、澪隊員ー」
そんな澪に唯が体を軽く揺さぶりながら正気に戻させようとする。
「律ちゃん、私に任せてね!」
と、力強く律に告げる唯だが一体何を任せるのだろうか?
その後に聞いてみても、”ないしょ”という答えが返ってきたため、僕にもそれは分からなかった。
ただ、なんとなく
(絶対にろくなアイデアじゃないな)
そんな気がしてならなかった。
3年生ともなれば、必ずあるのがクラス写真だ。
卒業アルバムのための写真にも必要なため、これからはこういう機会が増えるのは確実だった。
つまり、何を言いたいのかというと、
「早く並んでね」
僕たちは今、クラス写真の撮影中なのだ。
クラス写真ほど、惨めなものはないだろう。
なぜならば、背の低い人はそれをはっきりと自覚させられるのだから。
それはともかく、僕の身長はやや平均並みのため、前から3列目という場所になる。
「あれ、高月君」
「佐伯さんか。奇遇というかなんというか」
隣に立ったのは去年から同じクラスだった佐伯さんだった。
「何、その嫌そうな反応」
「別に嫌だとは言ってない。ただ、あんたにかかわると面倒くさいのが付いてくるからだ」
「その面倒くさいというのはこの俺のことですか? 浩介さん」
ジト目でこっちを見る佐伯さんにため息をつきながら答えていると、後ろのほうからそんな声がかけられた。
「お前、本当にストーカーにでもなる気か?」
僕の後ろに立っている慶介に、僕はため息をつきながら問いかけた。
「それもまたいいかもしれないな。俺は佐伯さんの陰。それはまるで忍者のごとく」
「背中か体に棺を構えたら、どこぞの変体の神様にでもなれるんじゃないか?」
まあ、その前に潰されるのがオチだけど
「それにしても、慶介は僕と身長が同じだったはずだが。なぜそこにいる?」
正確には僕よりも数ミリの差ではあるが小さいので、僕よも大きい背丈であろう後ろのほうにいることが信じられなかったのだ。
「知らねえよ。気づいたらここにいたんだ」
「気づいたらって……完全に背の順関係ないよな」
というより、誰もそれに気づかないのがすごい。
「それを言うなら向こうを見てみろ」
「向こうって……あぁ、なるほど」
慶介の指さす方向に視線を向けると、そこには和気あいあいとしている律たちの姿がった。
何故だか一番後ろの列に立って。
「それじゃ、行きまーす」
カメラマンの日意図が声を上げたため、僕は話をやめて正面を向いた。
この時、僕は慶介を無理やりにでもどこかに移動させるべきだったのかもしれない。
そうすれば、後々にあのような騒動は起こらなかったはずなのだから。
「浩君、もうちょっと前」
「こうか?」
放課後、唯の指揮のもと僕は律のドラムを前のほうへと移動させていた。
そうしているうちに、顧問である山中先生をはじめ梓達も集まってきた。
「おーっす………って、何をやってんだ?」
そして一番最後に訪れた律は、ドラムの前に腰掛ける唯に、唖然としながら声をかけた。
「律ちゃん、ドラムの位置を変えてみたんだ!」
「へ、へぇ」
思いっきり引いてはいるものの、唯は自信満々の様子でさらに言葉をつづけた。
「たまには席替えをした方がいいんだよ!」
どうやらそれが唯の考えた策のようだった。
これならば確かに、目立たないという問題点は解決する。
「めっちゃ恥ずかしいぞ」
とはいえ、恥ずかしさが増すのは明らかなのと、もう一つの問題点があった。
「ちょっとその位置じゃ変よ。もう少しドラムが後ろにしないと」
ドラムが一番前に出てくるバンドは多くない。
そのため、この配列は違和感しかなかった。
なので、山中先生の指摘は十分に的を得ているものであった。
「もうちょっと後、もう少し」
そして山中先生の指導の下、僕たちはドラムの位置を丁度いい場所にまで移動させていった。
その結果
「うん、これで十分よ」
「今までと変わってないな」
『ですよねー』
これまでの配列と同じものとなってしまった。
「大丈夫! まだまだ策はあるから」
最初の席が餌羽扇が失敗に終わったかと思えば、唯は突然ヘッドライト月のヘルメットをかぶった。
「わきゃ!?」
そしてヘッドライトをつけるとそれを律に向けて照射した。
「これなら輝けるよね!」
「や、やめろぉ!」
律の悲鳴に辞めるどころかさらにライトで照らす唯に、律の体は小刻みに震え出した。
「やめろ、唯っ! もう虫の息だ」
「や、やってもうたっ」
唯の二つ目の策であるライトアップ作戦は、律の気絶で失敗となった。
「もしかして、律ちゃんは寂しいんじゃないの?」
「寂しい?」
しばらくして意識を取り戻した律に、唯はそう尋ねた。
「演奏中はいつも後ろだから」
「なるほど、確かに的を得ているな」
寂しい=輝きたいという図式はどうにもわからないが、人は時に本心とは違う感情を抱いてしまうことがある。
吊り橋効果のようなものがその典型例だろう。
まあ、今回のような事例は聞いたことがないけれど。
「だから、演奏中にもっとコミュニケーションをとろうよ! 後ろで寂しい律ちゃんのためにっ」
「……」
唯の出した策になんとなく嫌な予感がするのは気のせいだろうか?
そもそも、どうやって演奏中にコミュニケーションをとるのだろうか?
「あの、どうやってですか?」
「こんな風だよ。じゃかじゃかじゃんじゃんじゃかじゃ、はい!」
「………」
梓の疑問に答えるように実演して見せた唯に、僕は思わず言葉を失った。
演奏するマネをしながら要所要所で律のほうに振り替えるという、何とも単純な方法だった。
とはいえ、それをやられる方は心臓に悪いのは言うまでもないが。
「皆も一緒に、後で寂しい思いをしている律ちゃんとコミュニケーションを取ろう!」
「えぇー」
全員にやるように呼びかける唯に、嫌そうな表情をうかべる梓の気持ちはよくわかる。
僕とてやりたくない。
「せーの。じゃかじゃかじゃんじゃんじゃかじゃ、はい! じゃかじゃかじゃんじゃんじゃかじゃ、はい!」
そんな梓の意思を無視して強引に始めた唯に、僕と梓もいやいやではあるがコミュニケーションをとることにした。
まあ、肝心の律はやるたびに肩を震わせているので、結果はお察しだろう。
「唯、もういい――――」
「ダメだよ律ちゃん! 律ちゃんの悩みはみんなの悩みだよ!」
律の言葉を遮って心配した様子で語りかける唯。
「いや、だから別に悩んでは――」
「皆で乗り越えようね!」
「話を聞け―」
なんだか茶番劇のような感じになってしまったが、これはこれである意味有意義なものだったのかもしれない。
なぜならば、僕はようやくこの問題の本質を知ることができたのだから。
(ならば解決の時も近いか)
押し問答を繰り返している唯と律を見ながら、僕は心の中でそうつぶやくのであった。
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