今現在、澪から少し遅れるようにして森の中に入った僕たちは、律に指示されたルートを通っていく。
「何だか、雰囲気があるわね」
「そ、そうだね」
「あの、二人とも。それをいうのなら、せめて僕の腕を話してからにしてくれませんか?」
僕の左腕に唯が、右腕にムギがそれぞれ掴んでいるのを見ながら、指摘した。
「だって……」
「「とっても怖いんだもん」」
二人でタイミングよく答えてきた。
「男の子でしょ?」
「そう言う問題でもないんだけど。というより、歩きづらいし」
ムギの言葉に、反論しながらも僕は周囲に視線を配る。
(感じる。ものすごく強い邪気だ)
森の内部に入って進めば進むほど、深く濃い邪気を感じる。
邪気というのは人の邪な気持ちや恨みつらみなどが形となって現れるオーラのようなものだ。
ここの言葉でいうと、”霊気”と言ったほうが正確だろう。
僕が感じたのは、幽霊の気配だったのだ。
そして、おそらく霊体がいるのはこの森の中。
正確な位置は特定できていないが奥の方であるのは間違いない。
(とにかくとっとと終わらせよう。最悪な事態が起こる前に)
僕は心の中でつぶやきながら周囲を警戒する。
そんな時だった。
「ひいいいぃぃ!!!」
「ッ!?」
突然奥の方から絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
僕は突き動かされるように駆け出そうとしたが、それを遮るものが二名。
「うわ!? いきなり走り出したら危ないよ」
「そうだよ、浩君」
「ごめん。二人の存在を忘れてた」
抗議の声を上げる二人に、僕は素直に謝った。
そしてできるだけ早く澪たちの方へと向かうことにした。
さすがに、両腕は離してもらったが。
「大丈夫……」
人影を見つけた僕が最初に人影の方に駆け寄ると、そこにいたのは梓に肩を支えられている山中先生の姿だった。
「って、さわちゃん先生どうしたんですか? というより何でここにいるんですか?」
「何気にひどいな、唯」
何気なく毒を吐く唯に、僕はツッコミを入れた。
「皆を驚かそうと、思ったけれど道に迷って」
「驚かせる目的は成功してますけど」
山中先生が告げたある意味くだらない理由に梓がそうつぶやいた。
そして後ろの方に目を向ける。
僕もそれにならって億の方に視線を向けると、そこにはムギによって介抱されている、澪の姿があった。
(ありゃ、完全に気を失ってるな)
僕は心の中でため息をつくのであった。
結局澪が気を取り戻した後に、山中先生を連れて別荘の方へと僕たちは戻った。
「はぁ……やっと着いた」
「ちゃんと行くって言っていればよかったのに」
別荘に到着した途端、脱力した様子で床に座り込む山中先生に、唯があきれた口調で言い返した。
「だって、バーベキューとか泳いだりとかするだなんて知らなかったんだもん!」
「子供ですか。アナタは!」
山中先生の来る事となった理由に、ツッコんだ。
というより、もうそれらは終わっているんだが。
(あれ、そう言え何か忘れているような………)
ふと、何かを忘れているような気がした。
「そう言えば、律ちゃんは」
「「「「「あ」」」」」
山中先生の問いかけで、ようやく僕はそれが何だったのかに気づいた。
(よりによって律を忘れてた!)
慌てて探しに行こうとしたところで、玄関のドアが開いた。
『きゃああ!?』
突然のことに、みんなが悲鳴を上げた。
「わ、私を……忘れるな!」
大きな声を上げて現れたのは律だった。
「り、律ちゃん」
「ご、ごめんね。さわ子先生が来ていたことで思わず」
息を切らせながら怒る律に、ムギが必死になだめた。
「ま、まあ……いいけど」
「というより、そのこんにゃくはなんだ?」
手に持っていた棒の先にひもでくくりつけられた板こんにゃくに気づいた澪が疑問を投げかけた。
「これか? これは通りかかったやつに、こうやってペタ――っとぉぉ!!?」
「ふん!」
こんにゃくを澪の頬にくっつけた律の頭に、澪の鉄拳が振り下ろされた。
「浩君、どうしたの? そんなに下がって」
「というより、顔怖いわよ」
そんな中、後ずさりをする僕に唯と山中先生が、不思議そうな表情を浮かべながら聞いてきた。
「私、睨まれるようなことした?」
「いや……」
(今ここでいうのはまずい)
彼女は今、律であり、律ではない。
ここで話せばやりやすくなるが、皆を余計に怖がらせることになる。
「こんにゃくという古典的な手法を使って脅かそうとした律に、呆れてただけだから」
「なにをぉ! 古典的とか言うけど、怖がる奴はいるんだからな!」
とっさに誤魔化した僕に、律が力強く主張する。
その視線はそっぽを向いている澪の方に向けられている。
「確かに」
「それはともかく、お風呂に入りたいんだけど。さんざん道に迷ったから汚れちゃって」
頷く僕に、すかさず山中先生がお風呂に入るのを提案した。
「私も、入りたい!」
「それじゃ、私も」
唯が手を上げながら山中先生の提案に賛成をすると、それが次々に広がっていく。
こうして、みんなはお風呂に入ることとなった。
「浩介、覗きは絶対に、絶対、ダメだからな!」
「………前に行ったときしなかっただろ」
澪の強い注意の言葉に、僕はため息交じりにツッコんだ。
(僕は何かしたのかな?)
一度澪に確認をしてみようと思う僕なのであった。
「はぁ……良いお湯」
唯たちがお風呂を上がって30分ほどして、僕はお風呂に入った。
なぜそれほどの時間差があったのかというと、山中先生が上がってこなかったからだ。
よほどお風呂に入りたかったのかなと思っていたが、上がってきたときの山中先生の姿に納得がいった。
山中先生の頭には二つほど大きなたんこぶがあった。
(一体何があったんだろう?)
それは唯たちのみが知ることだ。
僕は人に尋ねるほど特に気にもならなかったので、聞かなかったが。
「にしても、まいったな」
体を洗い終え、浴槽に浸かった僕はため息をつきながらつぶやいた。
悩みの種は律だ。
「お風呂から上がった時、律からは変な感じはしなくなった」
ここに戻ってきたとき、律の体を覆う白い靄のようなものが見えたのだ。
それが霊体であることがわかるまで時間はかからなかった。
その律が、お風呂から上がると彼女を覆っていた白い靄は消えていた。
ここまでならば、いいことのようにも思えるかもしれないが、問題なのはここから。
その白い靄が他の人物を覆っていたのだ。
つまりは、
(乗り移ったということか)
どのような霊なのかはわからないが、かなり力が強い霊であるのは間違いない。
(とにかく、寝静まるまで待とう。そうすれば何らかのアクションを起こすはずだ)
本来であればすぐにやるべきことなのだが、どうしてもそれが憚られた。
幸い、離れて行ったりつの方には、後遺症のようなものは感じられない。
幽霊をさらにひきつけるという事態もないだろう。
「ただ、あいつだけは何とかしないと」
彼女が今後どのような行動をとるのかが、僕にも全く見当がつかない。
「まあ、マーキングはしておいたから、追跡できるはずだけど」
唯たちがお風呂から上がった際に、憑りつかれた人物に、スキンシップを装って触れた時に追跡をするときに必要なマーキングをしたのだ。
そのマーキングはただの魔力である
これは一日もすれば勝手に消えるようになっている。
そもそもただのマーキングなのだから、永続的に残るわけではない。
時間経過とともに、自然と空気に混ざり合うようにして消えていくのだ。
(少しばかりやり方が外道じみてるけど、これもあいつを守るため)
心の中で釈明するが、今度おいしい物でもご馳走しようかなと僕は心の中に決めることにした。
「そう言えば、彼女の好きな食べ物とか全く知らなかったな」
今度聞いておくかと考えながら、僕はお風呂から出るのであった。
「それじゃ、お休み。浩君」
「おやすみなさい、浩介君」
「お休み浩介」
「寝坊すんなよー」
「夜這いはダメだからね」
「おやすみなさいです。浩介先輩」
「はいはい、お休み」
お風呂から上がり、一通り話をした後で唯たちは眠りにつくべくそれぞれが色々な言葉を掛けながら去っていった。
「さて、僕も行きますか」
僕もさっそく行動を起こすことにした。
静かに誰にも見つからないように、別荘を後にした。
「よっと!」
そして軽くジャンプをして別荘の屋根に着地した。
聞こえるのは海のさざ波の音。
そして時より流れる心地よい風の音。
セミの鳴き声だった。
ある種の夏の風物詩ともいえるそれを、楽しむ余裕はなかった。
僕は右手を広げるようなしぐさで目の前にホロウィンドウを展開させる。
その画面は先ほどマーキングした人物の現在地を詳しく表示している物だ。
赤い丸のマークが彼女の現在地となる。
「まだ動きはない。あと1時間ほど待つか」
僕はそうつぶやくと画面を開いたまま屋根の上に立ち上がる。
そして首にかけてある勾玉のネックレスを外すと、それを上空に掲げる。
たったそれだけで、反応した勾玉は光を発すると、僕を包み込んでいく。
光が晴れた時、手には杖状になっているクリエイトがあった。
服装も黒一色のマントへと変わっている。
『その姿ということは、やる気のようですね』
「ああ。今回は久々に全力を出すよ」
僕の服装を見ただけで、僕の気合が伝わったのかクリエイトの言葉に頷いて答えた。
僕はいつも、全力を出すときはこの服装にしている。
いわゆる勝負服というやつだ。
とはいえ、全力を出すのは戦いにおいてのみだが。
『しかし、意外です』
「何が?」
時間までまだ少しある。
クリエイトの話に僕は付き合うことにした。
『マスターが、これまで何も言わないことです』
「………」
『いつものマスターでしたら、空気が悪くなろうとすぐに真実を告げてました。でも、今は雰囲気を悪くさせないことを優先にしています』
「……唯たちはともかく、梓は初めての合宿だ。いい思い出を残しておきたいと思うのは当然のことだと思うけど?」
クリエイトの言葉に、僕は反論するように口にした。
もしあそこで真実を告げれば、唯たちは恐怖のどん底に突き落とされるだろう。
そうなれば明日にもそれは響くかもしれない。
みんながみんな、僕のように強いわけではない。
皆の雰囲気を悪くしないように、なおかつ、雰囲気が悪くならないようにするという相反する方法をとっている僕は、きっと祖国にいたころの自分から見れば”異常”な行動になるのかもしれない。
『ええ。だから、私は思います。”マスターはいい方向に変わられた”と』
「変わった……か」
クリエイトの言葉に、僕はぽつりとつぶやく。
(変わったのか、それとも変えられたのか)
もしかしたら、軽音部という場所は僕にとっては本当の意味での”居場所”なのではないかと思う。
全員が心を一つにして演奏をする。
楽しいことも悲しいこともすべてを共有していく。
そんな場所だからこそ、もしかしたら僕はここまで変わったのかもしれない。
(考えてみれば、家族以外にここまで本音を言えるのは唯たちが初めてかもしれないな)
僕は今、とても充実した毎日を過ごしているのかもしれない。
「っと、もう一時間か。そろそろ頃合いかな」
気が付けば皆が寝てから一時間ほど経過していた。
時刻は頂点を超えるかどうかの時間帯。
「本当はあと二時間待った方がいいのかもしれないんだけど、そんなに待てない」
午前二時は、”草木も眠る丑三つ時”と言われている。
この時間になると、幽霊などの活動が活発になるのは良く知られていること。
その理由は、空気中に満ちる魔力のようなものの量が関係していることが判明している。
僕たち魔法使いは、一日で消費した魔力の3~4割を食事から回復している。
残りが睡眠中だ。
睡眠中は魔力の消費量が大幅に減少して、効率的に魔力の回復ができるからだと言われている。
魔力の回復は空気中に満ちている魔力または魔力残渣を体内に取り込み、それを自身の魔力に変換することで行われる。
それのピークが午前二時頃なのだ。
つまり、二時頃になると空気中に満ちる魔力や残渣の量が大幅に増える。
そのため、魔法使いにとっては夜の方が活発的に動けるのだ。
逆に昼間になるとこれらが少なくなるため、一番消費量が大きくなる。
そして、これは幽霊にも言えること。
幽霊の活動エネルギーの一部に魔力などがあると言われている。
実際に心霊スポットでは魔力の量が他の場所と比べて多いことが判明している。
(魔力を意図的に流しさえすれば、幽霊は午前二時になった時と同様に活発に行動を始める。)
それが僕の作戦だった。
「クリエイト、1万5千ほどの量の魔力をこの別荘に向けて放出するから、サポートを」
『了解です。魔力の放出リミッターを付けます。どうぞ』
クリエイトからOKをもらった僕は、杖の先を屋根にあてて午前二時頃相当の魔力を放出する。
「後は、相手の出方次第か」
僕はウィンドウの方に目を向ける。
数分は何の異変もなかったが、すぐにそれは起こった。
『動き出しましたね』
「ああ。ゆっくりと歩いてるな」
寝ているであろう場所から動き出す彼女の現在地を示すマークが動き出している。
「あ、外に出た」
やがて、別荘からマークが出たのを確認した僕はウィンドウを閉じると、屋根から下の方を覗き見る。
そこにはふらついた足取りで歩く彼女の姿があった。
「では、行きましょうか」
そして僕は行動に移すのであった。
「あずにゃん二号?」
「あれ? 浩介先輩……どうしてこんなところに?」
別荘近くの浜辺をに着地した僕はクリエイト元の勾玉に戻して彼女の姿を探していると、梓の姿を見かけたので声を掛けた。
「僕は散歩だ。そっちは?」
「え? あた……私ですか? 私も散歩です」
僕はその返事を聞いて心の中で確信した。
「というのは嘘だろ?」
「何を言うんですか? 本当ですよ」
「本当は、この海に入るつもりだったんだろ?」
僕は、不思議そうな表情を浮かべる梓に、彼女の本当の目的を指摘した。
「”彼女”を殺すために」
「………」
僕の言葉に、梓は何も答えない。
そんな彼女に、僕は止めを刺すことにした。
「そうだろ? 中野梓の姿をした、亡霊さん」
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