あれから俺は、ベッドで横になっていることが出来ず、上着を着て部屋を後にしフィリアンノ城を歩いていた。
「はぁ……」
周りの景色はとてもよく清々しささえ感じさせるほどだった。
だが、そんな中で俺は思わずため息をついてしまった。
俺らしくもない。
ユキカゼの告白、そしてブリオッシュのキス……他にも色々と考えなければいけないことがあるはずなのに、さっきからこの二つの事が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
それはまるで呪いの言葉のように、俺に付きまとう。
(一体全体、俺はどうしてしまったんだ)
「はぁ……」
「何ため息をついてるんだ? 渉」
再度ため息をつくと、聞きなれた女性の声が聞こえてきた。
その声の方を見ると、そこには呆れたような目をして腕を組む親衛隊長のエクレールの姿があった。
「何だ、エクレール――かぁ!?」
俺の言葉を遮るようにして、エクレールに軽く頭を叩かれた。
「何だとは何だッ!」
「すみません」
エクレールの怒りように、俺は素直に謝ることにした。
「……怪我の方はいいのか?」
「ああ。おかげさまで何とか」
謝ったことでエクレールはため息をつきながら、心配そうに聞いてきた。
「そうか。ダルキアン卿やユッキーがとても心配しておられた。あまり無茶はするな」
「御忠告どうも」
俺のお礼に、エクレールは「ふんッ!」とそっぽを向いてしまった。
「そう言えば先ほどダルキアン卿が顔を赤くして走って行ったが、何かよからぬことをしたのではあるまいな?」
「ッ!?」
エクレールの問いかけに、俺は息をのんだ。
確かに何かがあった。
尤も、その何かを”した”のではなく”された”のだが。
それはともかく、俺の反応を見たエクレールの視線がさらに鋭くなった。
「渉、貴様まさか本当にダルキアン卿に―――――」
エクレールの声が、意識が一瞬遠くなった。
まるで双眼鏡で景色を見て外した時のように。
「――――かッ! 渉ッ!」
意識が戻ると、俺は地面にうずくまっており、体を揺すりながら心配そうに声をかけているエクレールの声が聞こえた。
「悪い、ちょっとした立ちくらみだ」
「そ、そうか」
俺はふらつきながらも立ち上がり、大丈夫だと告げる。
エクレールは渋々ではあるが納得してくれたようだ。
「渉、今日は大事を取って大浴場で汗を流し、安静にしていろ」
「そうする」
エクレールの言葉に、俺は素直に頷くことにした。
このまま動き回っていたらまた誰かに迷惑をかけるかもしれない。
「一応言っておくが、今は男の入浴時間だがあまり長湯をしていると女性の入浴時間になる。気を付けろ」
「り、了解」
頭の中に、エクレールに追い掛け回される自分の姿を想像し、頷いた。
取りあえずそれだけは防がなくては。
そして俺は大浴場へと向かった。
「ふぅ……久しぶりにゆっくりできる」
それもどうだとは思うが、俺はのんびりとお湯につかっていた。
念のために言うが、俺は体を一通り洗い終えている。
(やっぱり”世界”からは逃れられないか)
俺は自分の手を見つめながら心の中でそう呟いた。
俺の今回の一連の症状、それは世界と契約をしているがために起こったものだ。
”物質化抵抗現象”と同じだが、このままでは大変なことになる。
「それだけは防がないと」
「それとは、何でござる?」
「それはだな…………」
俺の呟きに自然に答える少女の声に、普通に答えようとして俺は固まった。
そしてゆっくりと横を見てみた。
「うわぁ!?」
「ひゃっ! い、いきなり大きな声を出してどうしたんでござる?」
俺の横には同じようにしてユキカゼがお湯につかっていたのだ。
「どうしてッ! なんで、ユキカゼがここにいるんだよッ!?」
「先回りしてエクレ達を驚かそうと思ったからでござるよ」
俺の半ば叫びながらの問いかけに、ユキカゼは屈託のない笑顔で答えた。
「にしたって、まだ男の入浴時間中に……」
「大丈夫でござる。この時間帯に入るのは渉殿ぐらいでござるから」
ユキカゼの言葉に、俺はあたりを見回してみた。
確かに、人の姿はまったくと言っていいほど見当たらない。
「それで、何を悩んでいるのでござる? 拙者で良ければ話を聞くでござるよ」
「……」
ユキカゼの言葉がきっかけとなったのか、俺は今まで心の中にとどめていた疑問を静かに口にする。
「どうしてユキカゼ達は、俺なんかにそこまで気を許すんだ? 俺に生きる価値なんてないのに、どうして――――」
「それ以上言ったら、さすがの拙者も怒るでござるよ」
俺の疑問を遮ったのは、怒気を含んだユキカゼの言葉だった。
「渉殿は拙者たちを、二回も身を挺して助けてくれたでござる。拙者やお館さまは渉殿の優しい心に引かれたのでござる。だから拙者は渉殿の事が好きになったのでござる」
「でも――」
「だから、渉殿。自分の事を『生きる価値がない』などと言わないでほしいでござる。もっと自分に自信を持ってほしいでござる」
ユキカゼの答えに、反論をしようとした俺の言葉を遮り、ユキカゼはすがるような声色で言ってきた。
「…………善処する」
それに俺が言えたのは、たったそれだけだった。
本当はお礼を言うべきなのに、俺は出来なかった。
自分の愚かさに、俺は悲しくなってきた。
「ところで、渉殿。できれば、その……拙者のこ、こ告白の返事を聞きたいでござるな……」
「………」
どもりながらも、ユキカゼは答えを促してきた。
きっとそういう流れだったのだろう。
聞かれたら応えなければいけない。
だからこそ、俺は答えた。
「ごめん」
それが、答えだった。
「そうでござるか」
その真意を悟ったユキカゼは穏やかな声色でつぶやく。
「もしかして、ほかに好きな人でもいるのでござるか?」
「それは……」
ユキカゼの問いかけに、俺の脳裏には一瞬一人の女性の姿が浮かんだ。
いつもはきりっとした武士のような女性で、時より見せる気が抜けた雰囲気の差が少し激しい女性の姿を。
「わ、悪かったでござる。これは聞いてはいけなかったでござるな」
応えようともしない俺に、ユキカゼは黙秘ととったのか謝ってきた。
「……そろそろ俺は上がるとする。聞いてくれてありがとう」
「また明日でござるよ。渉殿」
ゆっくりと湯銭から上がり大浴場を後にする俺の背中に、ユキカゼはいつもと変わらない声色で言ってきた。
そんなユキカゼに、俺は片手をあげて答えるのであった。
(俺も、覚悟を決めるか)
今、ひとつの問題が解決を迎えた。
だが、また新たな問題が出てきてしまったのだ。
しかもまだ、他の問題が解決はしていない状態だ。
だからこそ、俺は彼女から逃げてはいけない。
そう思ったからこそ、俺は決心をした。
ちゃんと自分と向き合おうという決意を。
そして俺は服を着ると、そのまま自室へと足を向けるのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「はぁ……フラれた、でござる」
渉が去っていき、一人になった大浴場の浴場でユキカゼは深いため息を漏らしながらつぶやいた。
「………」
つぶやいたユキカゼは自分の内心に負の感情が渦巻くのを感じた。
―どうして自分がフラれるのか―
―どうして自分ではないのか―
それを振り払うように、ユキカゼは顔を振る。
「はは、まさか拙者がこんな感情を抱くとは」
軽く言うユキカゼだが、その目はうるんでいた。
「おかしいでござるな。どうして拙者は泣いてるでござる?」
首をかしげながらも、頬を伝うものは止まらない。
「あ、そうか……」
そしてユキカゼは悟った。
「拙者は悲しいんでござるのか」
それは至極もっともな結果だった。
「う……うぅ……うあああああ!!」
そして、大浴場に彼女の嗚咽が響き渡るのであった。
それは、フラれたことに対するしがらみをすべて振り払うものなのか、それとも別の何かなのか。
それは定かではない
全てを知るのは当人のみだ。
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