夜、九条家内で僕は厨房へと向かっていた。
それは次の日に前にした約束を果たすためだった。
「あれ、浩介君?」
「リアさん」
そんな僕に声をかけてきたのは、リアさんだった。
「何をしてるの?」
「ちょっと用がありまして。内容に関しては聞かないで頂けると幸いです」
「分かった。聞かないでおくね」
リアさんの追究にお願いすると、リアさんはすんなりと退いてくれた。
とてもありがたかった。
「あ、そうでした。リアさんは生徒会のクリキントンさんの連絡先って知っていますか?」
「く、クリキントン?!」
僕の問いにリアさんが目を丸くして驚きに満ちた声を上げる。
「えっと……確か名前はみ……が最初に来る人なんですけど」
「もしかして聖沙ちゃんのこと?」
「はい。そうです」
リアさんの告げた名前に、僕は頷いて答えた。
「えっと、聖沙ちゃんの名前はクリキントンじゃなくて、クリステレスだからね」
苦笑を浮かべながら指摘するリアさんに、僕は失礼と頭を軽く下げる。
「連絡先なら知ってるけど、どうして?」
「えっと。『明日大丈夫なので、話した場所で待っています』という伝言を頼みたいんです」
僕は理由と伝言の内容を簡潔に説明した。
「聖沙ちゃんに今のを伝えればいいんだね。分かったよ。お姉ちゃんに任してね」
「えっと、お願いします」
エヘンと胸を張るリアさんに、僕はもう一度頭を下げて頼むとその場を後にした。
(さて、バランスのいい昼食を作りますか)
僕は昼食のメニューを考えながら、厨房へと向かうのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
その頃、クリステレス家。
多忙な両親がいない中、聖沙は一人で自室で勉強をしていた。
「あれ、誰から………っ!?!?」
電話の着信を告げるメロディーに勉強を中断すると、その相手を見て聖沙は声にもならない悲鳴を上げた。
(お、お姉さまが私に電話してくださるなんて!)
憧れでもあるリアからの電話に胸を躍らせる聖沙は、通話ボタンを押すと受話口を耳にあてた。
「は、はいっ! クリステレスですッ!」
若干声が上ずっているが、聖沙はそのことに気付いていない。
『えっと、この間生徒会に差し入れをしてきてくれた大森 浩介君って、知ってる?』
「え? え、ええ。知ってます」
突然リアから告げられた名前に、聖沙は一瞬驚くがすぐに答える。
『その浩介君からね、伝言を預かってるの』
「伝言ですか?」
(もしかして)
聖沙はリアの口から出た”伝言”の意味が分かった。
『うん。えっとね、「明日は大丈夫だから、話した場所で待っている」って言うのが伝言だよ』
「伝言、確かに聞きました。ありがとうございます。お姉さま」
『ううん。気にしないで。それじゃ、お休みなさい聖沙ちゃん』
「は、はい! おやすみなさい、お姉さま」
電話を切り、携帯電話を机に置いた聖沙は今まで座っていた椅子から立ち上がると、閉めていたカーテンを少し開けて窓から空を見る。
夜空には依然流れ星が流れている。
(変な人)
聖沙は心の中で浩介の事をそう思っていた。
強引に昼食をごちそうするというのは、いい意味でも悪い意味でも変わった人だというのは当然だった。
(でも、なんだか不思議な気持ち)
聖沙は自分が抱いている気持が理解できなかった。
それは、浩介に対する憐みなのか、それとも別の感情なのか。
「はぁ……勉強しよ」
聖沙はため息を付くと、カーテンを閉めて机の方へと足を進める。
(一体どんなものを作る気なのかしら?)
そんな事を気にしながら。
★ ★ ★ ★ ★ ★
11月7日
この日、は何時ものように時間が流れて行く。
プリエでは相変わらずパスタの乱暴な言葉遣いが原因でのいさかいが起こっている。
そのたびに謝罪に回っている僕の身にもなってほしい。
……本当に。
そして10時30分を迎えた頃、
「大森君」
主任が声をかけてきた。
「休憩に入っても良いよ」
「それじゃ、失礼します」
僕は主任に一礼すると、厨房着から私服(とは言っても九条家内で着るスーツだが)に着替えるために更衣室へと向かう。
「これでよし」
手早く私服(とはいえ九条家にいる時に着る執事服だが)に着替え、ロッカーに入れておいた風呂敷を手にすると更衣室を後にした。
生徒会室に到着して、ソファーに腰かけて待つこと2時間。
「ほ、本当にいたわ」
「……」
生徒会室のドアを開けて恐る恐るといった様子で姿を現したクントリさん。
「本当に作ってきたの?」
「当然。僕は一度した約束は守る男だからな」
クリスさんの問いかけに、僕は胸を張ってこたえる。
「それ、人として当然だと思うわよ」
「確かに。でも、ちゃんと実現できる人は少ないと思うが?」
クリアさんの返しに僕が続けるように聞くと、確かにといった様子で頷いていた。
……身近にそういう人でもいるのか?
「それは置いといて、これがそのバランスのとれた昼食だ」
「……」
クリステレンサさんはこの世の終わりのような表情で、お弁当の中身を見つめていた。
「食事でのダイエットで重要なのは制限をしすぎないこと。適度な野菜や肉類を食べることが健康的なダイエットをする秘訣」
そんな彼女に、僕は静かに説明を始める。
ちなみにこれは母さんからの受け売りだ。
「無理なダイエットをして痩せると襲ってくる悪魔がリバウンド。痩せたと思って安心していたらまた太り、また痩せたらまた太るの繰り返し」
「………」
僕の説明に、クリステンサさんはうんうんと頷いていた。
「これを繰り返していると体にもよくない。よってリバウンドが怒りにくい減量法をすればいい。例えば毎日同じ寮の食事でご飯を抜く。これだけでもかなりの効果がある」
「なるほど………」
ついに言葉に出して頷いた。
「それをもとに作ったのがこのお弁当。ご飯の量を標準より半分減らし、ハンバーグに見えるそれはひき肉ではなく豆腐を使用。これでカロリーは従来の9分の1カット。更に野菜では緑葉野菜などをバランスよく取り入れカロリーが高くなる原因にもつながるドレッシングはなし。これでざっと200カロリー以下。どう? これでは多いかな」
「ち、ちっとも……ほ、本当にこのおかずで200以下なの?」
信じられないのか不安の色を隠そうとせずに、お弁当を見ているクリンスさんに僕は自信満々に告げる。
「大丈夫。30回ほど計算して明日数字だから」
「そ、そう」
若干引き気味に答える彼女に、僕は少し強引だと思いつつも促すことにした。
「さあ、早く食べちゃわないと、昼休みも終わるよ」
「わ、分かってるわよ………ごくり」
鬱陶しそうに答えながらも目の前にあるお弁当を見て喉を鳴らすクリステンサさんに、僕は苦笑しそうになったのを必死に堪える。
彼女の中には僕には計り知れないほどの葛藤が起こっているのだから。
「いっ、いただきます」
そして彼女は料理に口を付け始めた。
一口食べれば、後は次から次へと進んでいく。、
「………♪」
僕の向かいの席でご機嫌そうにお弁当(豆腐ハンバーグ)に舌鼓を打つクントさん。
美味しいという感想はなかったが、彼女の表情からその料理の評価は手に取るように分かった。
「………♡」
(それにしても、本当に幸せそうな表情をしてるな)
自分が作った料理で人が嬉しそうな表情を浮かべているのを見ていると、何故か自分まで嬉しくなってくる。
(これが
あの人が言っていた料理を作る人としての喜びなのか)
そう思いながらふと時間が気になった僕は、主任から借りていた時計を見る。
(げっ!? あと5分しかない)
休憩の終わりは、13時30分。
今の時間は25分だ。
ここからプリエまで、走っても2,3分は掛かる。
そして向かい側の彼女を見る。
「………♪」
幸せそうな表情でお弁当の料理に舌鼓を打っていた。
量もあと少しだが、待つ時間はもう0に等しい
だからと言って早く食べるように急かすという手段はない。
それをやったら、僕は人としては最低の部類に入るだろう。
(だったら、僕がやることは)
僕はすぐさま近くにあった紙に素早く文字を書くと静かに、されど素早く生徒会室を後にした。
その後は全力疾走でプリエへと向かった。
ちなみにその結果は……
「すみません、すみません、すみません、すみません」
「いや、もういいから。1分遅れたくらいで私は怒らないから」
ものの見事に遅れ、僕は謝りとおすことになった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「……ごっくん♪」
浩介が去って数分後。
「ふぅ~。………ご馳走様でした」
浩介の用意したお弁当の料理をすべて平らげた聖沙は幸せそうな表情で息を吐き出すと、そう口を開いた。
「……あら?」
そこで聖沙はようやく浩介の姿がないことに気付き、辺りを見回す。
「これは、メモかしら?」
浩介が据わっていたであろう席に置かれた一枚の紙を手にすると、そこに走り書きされた文面に目を通す。
『クリスファンさんへ。
休憩終了時間間近なので、声を掛けずに先に失礼します。
お弁当箱はリアさんに、渡しておいてください。
事情を知られるのが嫌な場合はお手数ですが、プリエの方までお越しください
追伸:リクエスト等があればまた何か作ります。
大森』
「どこの誰よ! クリスファンって!」
目を通した聖沙がツッコむように声を上げる。
「………」
どこか目が据わったような表情を浮かべながら一度頷くと、聖沙は弁当箱を片づけるとそのまま生徒会室を後にした。
放課後、聖沙はプリエにやって来ていた。
「お前にゃんか、水で十分にゃ」
中に入った瞬間、パスタの暴言が耳に入るがその後何が待ち受けているかを知っている聖沙は、それを横目に厨房の方へと向かった。
「あら、どうかしたのかい?」
「あの、厨房の大森さんはいますか?」
聖沙の接近に気付いた厨房の従業員の一人が尋ねると、聖沙が尋ねた。
「ああいるよ。呼んでくるからちょっと待っててね」
そういうと、従業員は奥の方へと移動する。
聖沙の目は自然とその先へと向けられる。
その視線の先には、慌ただしい様子で料理を調理する浩介の姿があった。
従業員に声を掛けられ、聖沙の方を見た浩介は自ずと聖沙の方へと向かってきた。
「はいこれ」
「っと、明日かと思っていたんだが、速いな。まあ、ありがたいことには変わりはないが」
複雑そうな表情で付きだされたお弁当箱を受け取る。
「その…………あ、ありがとう」
「…………どういたしまして。お気に召していただけたか?」
若干照れた様子でお礼を言う聖沙に、浩介が尋ねた。
「ええ。とってもおいしかったわ」
聖沙の答えに浩介は”そうか”と、ほっと胸をなでおろしながら答えた。
「……で」
次の瞬間、聖沙の表情からどこか殺気めいたものがにじみ出始めた。
それを悟った浩介は、突然の変化に目を見開かせて驚く。
「クリスファンって、どこの誰よ!」
「……………」
「私は聖沙・B・クリステレス! クリスファンではないわ!!」
聖沙の問いにじっと見つめることで答える浩介に、聖沙は畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「悪い。どうも僕は横文字の名前が苦手なんだ。特にファミリーネームは高確率で間違えるほどに」
「なによ、その都合のいい欠点は」
浩介の答えに、聖沙はため息交じりに言葉を返す。
「分かったわ。お弁当のお礼に、名前で呼んでも良いわよ」
「それは光栄の極みだね、聖沙さん」
聖沙の言葉に、浩介はどこかおどけるように口を開く。
「い、良いこと。お礼だからね! あくまでもお礼で許してるんだからね!」
「はいはい。分かってますよ」
何も言っていない浩介に、言い聞かせるように言う聖沙に、浩介はやれやれといった様子で応じる。
「っと。僕は厨房の方に戻るけど?」
「あ、ごめんなさい。……まあ、頑張るのね。コックさん」
浩介の言葉の意図を読み取った聖沙は謝ると、まるで仕返しとばかりに皮肉を込めて応援の言葉を贈る聖沙に、浩介は苦笑しながら厨房の方へと戻って行った。
(………戻りましょう)
聖沙は、浩介の姿を見ていて湧き上がる自分の感情に気付かぬまま、プリエを後にするのであった。
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