―――孤独とは何か?
そのような問いかけをされて、すぐに返すことはできるだろうか?
僕の場合は全く想像ができない。
”一人でいること”
それがきっと僕が出す答えのような気がする。
孤独とは、森の中より町の中にも存在するとまで言われているが、僕はもしかしたらそれに該当するのかもしれない。
(何で僕が孤独を感じるんだ?)
無視をされているわけでも、話に加わっていないわけでもない。
それでも、もし疎外感が孤独だと思っている原因だとしたらどうだろうか?
自分と軽音部の皆との見えない距離感が、僕に孤独だと思わせている要因だとしたら。
(馬鹿馬鹿しい)
僕は自分の考えを一蹴する。
それには確信があったからだ。
(いい演奏をするには、お互いの信頼関係が必要)
お互いが信頼し合い、楽しんで演奏をすることこそがいい演奏をするための条件の一つだ。
音合わせをしたのは4月以降ないが、疎外感を感じていたのでは決してできない演奏だったはず。
だからこそ、ありえないのだ。
「きっと、遅めの五月病だろう」
そう言うのは普通は新入社員や入学生などがかかりそうな印象があるが、僕ならば十分にあり得る。
(家に戻ったら五月病克服の方法でも調べるか)
僕はそんなことを考えながら屋上を後にする。
戻る際も周囲に目を配る。
誰も見ていたりする人がいないのを確認した僕は、屋上から出ると元通り鍵をかけておくことにした。
「あ、浩君!」
「早くしないと、お菓子食っちまうぞ~」
「なっ!? それはいくら何でも横暴だ!」
部室に戻った僕はいつものように話に加わっていく。
この時に気が付いておくべきだった。
目に見えないひびが、徐々に徐々に広がっていることに。
「………」
異変に気付いたのは、それから数日後のことだった。
僕は自室で一人練習に励んでいた。
いや、励もうとして”いた”と言ったほうが正しいかもしれない。
「どうして?」
僕はポツリと疑問の声を口にした。
当然、この部屋には僕しかいないので答えが返ってくることはない。
「どうしてだよ」
それでも問いかけずにはいられなかった。
「どうして、弾けないんだっ!」
僕は大きな声で叫んだ。
いつものように練習をしようとした僕はアンプにつながずに軽く演奏をすることにした。
だが、ピックを持つ右手は、まるで石のように動かないのだ。
右手を動かしてみるが普通に動く。
そのままピックを持ってストロークをしようとすると動かなくなるのだ。
「どうしたんだ、一体」
自分の体の変化に、僕は戸惑っていた。
これまでスランプになった時期があった。
今後どうやっていくべきか悩んだ時もあった。
その時でも、ギターが弾けなくなるということは、これまで一度もなかった。
「ここは落ち着いて、深呼吸」
気が焦る中、僕は冷静さを取り戻させるべく深呼吸を数回繰り返した。
「よしっ」
僕は気合を入れてもう一度ギターを弾くべく右手をストロークさせた。
すると、今度はちゃんと動き、開放弦の音色が響き渡った。
(良かった)
しっかりと動いている右手に、胸をなでおろしながら僕は練習をしていくのであった。
(でも一体なんだったんだろう?)
そんな疑問を残して。
そして、翌日のこと。
「おっす、浩介!」
「お前、いつも馬鹿みたいにテンションが高いよな」
早く教室に来ていた僕に、いつもと同じくハイテンションであいさつをする慶介に、僕は呆れながら返した。
「テンションが高ければ、今日も一日ハッピーデー★」
「……………あんた、そのバカげた内容の話を僕とすることにどんな意味があるんだ?」
しょうもない内容の話ばかりしている慶介に、僕はそう尋ねずにはいられなかった。
一日に3,4回は言っているような気がする。
「特に意味はない!」
「威張るな」
あまりにも堂々と応える慶介に、僕は頭を抱えたくなった。
「まあ、浩介と話をすること自体が、俺にとっては意味があるけどな」
「……? それはいったいどういう―――」
慶介の引っかかる言い回しに、詳しいことを聞こうとしたところに、予鈴が鳴り響いた。
「おっと、席に着かないと」
「…………」
そう言いながら自分の席に向かっていく慶介を、僕はただ黙って見送るだけだった。
結局、言葉の真意を知ることはできなかった。
「よぉし、今日は練習するぞ~!」
「「おー!」」
この日はようやくまともな練習をすることとなった。
「当分の間、唯はリードのままであずにゃんはリズム、僕はバッキングの方でどう?」
「私はいいよー」
「私もです」
僕の提案に、二人は頷いた。
とりあえず様子を見ながら演奏をしていき、大丈夫そうならばあずにゃんと僕のパートを演奏途中で入れ替えたりなどの遊びを入れてみるのもいいかもしれない。
「それじゃ、まずはふわふわからな。1,2!」
律のリズムコールで演奏が始まる。
最初は唯のギターパートから始まり続いて僕たちのパートも演奏を始める。
冒頭はあずにゃんと同じリズムギターパートなので、それほど変化はないがボーカルに合わせたバッキングという点では大きく変化している。
いかにほかのパートやボーカルをつぶさないように演奏をするか。
それが僕のパートには求められる。
簡単そうに見えて難しいのがバッキングなのだ。
それはともかく、僕は弦を弾こうと右手をストロークさせようと力を込めた。
『それに、浩介先輩の演奏の方法がDKさんと同じなんです』
(ッ!?)
ふと頭の中に、梓の声が響いた。
その声は僕の身体をまるで石のように固める。
それは、先日感じたあの感覚だった。
そんな僕の醜態に、演奏が中断された。
「どうしたんだ?」
「え? あ、ごめん。ちょっとボーっとしてただけだから」
澪の問いかけに、僕は謝りながら応えた。
「ボーっとしているって、なんだか浩介らしくないよな」
――――――チク
律の苦笑交じりの言葉に、再び胸が痛む。
「そうだよね。浩君はいつも”ずっしり”としているのにね」
―――チク
「それを言うなら、”びしっと”だろ」
「はっ!? それだ!」
唯のボケに、澪がツッコむ。
「よし、もう一回初めから行くか」
その律の掛け声で、もう一度最初から演奏することになった。
唯が弦を弾いて軽快な音を奏で、それに続いて僕と梓ギターの音色が加わる。
『それに、浩介先輩の演奏の方法がDKさんと同じなんです』
(っく!)
再び頭の中に響き渡る梓の声。
僕はそれを無視しながら弦を弾いていく。
今度は歌い出しまで演奏することができた。
だが、頭の中では梓の声が雑音のことく響き渡り続ける。
それはまるで呪縛のようにも感じられた。
(うるさい、うるさい、うるさいっ!!)
頭を振って声を追い出そうとするが、追い出すどころかさらにボリュームを増していく。
(僕の頭の中から、出て行けよ)
「出て行ってくれぇぇッ!!」
ついに力の限りに叫び声をあげるのと同時にストロークさせている右手の力加減を誤り、弦自体をすべて切ってしまった。
「のわっ!?」
「み、耳が?!」
そのせいで、凄まじい爆音が部室中に響き渡り、全員が耳をふさぐ。
「はぁ……はぁ」
「こ、浩介先輩!?」
「だ、大丈夫か?」
体中の力が抜け地面に座り込む僕に、梓と澪が駆け寄ってくる。
それに少し遅れるように、ムギと唯に律も歩み寄ってくる。
「どうしたんだよ。本当に大丈夫なのか?」
「ご、ごめん。大丈夫……だから」
謝りながら立ち上がろうとするが、腰が抜けたように力が入らない。
「いつもの浩介らしくないぜ」
「……っ」
律のその言葉がきっかけだった。
徐々にひびが入っていったそれは、ついに大きな音を立てて崩れた。
「ほら、捕まって浩介君」
「は、はは……」
出てきたのは、笑い声だった。
「浩介?」
「あはははは……」
突然笑い出した僕に、怪訝そうな表情を浮かべる律をしり目に、先ほどまで力が入らなかったのがまるで嘘のように立ち上がった。
「いつものってなんだよ」
「はい?」
笑い声の後に出てきたのは、自分でも驚くほど感情のこもらない声だった。
「いつもの僕っていったい何? お前は僕の何を知ってるんだよ?」
「こ、浩介先輩?」
律の下にふらふらと歩み寄りながら、問いかける僕に梓が怯えた声を上げる。
「ねえ、いつもの僕って一体何だよ?」
「え、そ、それは……」
後輩を怯えさせるのは最低な行為だと分かっていても、溢れ出す感情は止めることができない。
「誰も知るわけないじゃない。皆はどうせ、他人なんだからッ!!!」
「ま、待って!?」
「浩君~!」
力の限り叫んだ僕は荷物を持たず部室を飛び出した。
そしてただただ走り続けた。
それから先の記憶はない。
「ここは………」
正気を取り戻すと、僕は自分の家のリビングの床に座り込んでいた。
「いつッ!」
体を動かそうとするが、痛みが走った。
(もしかしなくても、筋肉痛?)
今の自分の状態が把握できた僕は、ため息を漏らす。
「全速力で走ったのっていつ以来だっけ?」
思い出そうとするが、10年以上前だったような気がする。
「まさかリミッター付きで全速力を出して走るなんて……」
窓を見ると、薄暗くなりつつあるので、かなりの時間走り続けていたのは間違いなさそうだった。
「はぁ……やってしまった」
そしてこみあげてきたのは深い自責の念。
自分のしたことはちゃんと覚えている。
感情に任せて叫ぶだけ叫んで部室を飛び出したのだ。
「どうしよう……」
天井を見上げながら、僕は問いかけた。
だが、当然答えなど返ってこない。
「とりあえず、夕食とお風呂に入ろう」
僕はそう思い立つと、夕食の支度を始めるのであった。
だが、結局食欲がわかず食パン1枚で済ませた。
お風呂も気が付けば上がっていた。
(何だか、やる気すら出ない)
いつもならば、色々とやるべきことに取り組む気力があったが、今はその気さえ湧いてこない。
一番ショックだったのはギターを弾きたくならなかったことだ。
ギターを見ただけで体が拒絶反応を起こすのだ。
「………これは末期だな。完全に」
完全にH&Pの活動の方にも支障をきたしてしまっている状況に、苦笑するしかなかった。
「……………相談しよ」
事はH&Pの活動にまで及んでいるため、それが僕が思いつく中では最善の策だった。
『どうした?』
「すみません。最悪の事態になりました」
携帯で数コール鳴らしたところで出た田中さんに、僕は用件を告げた。
電話口からため息が聞こえた。
『どんな状態だ?』
「ギターが弾けなくなりました。弾こうとすると手が震えてしまって」
田中さんの声色は感情を殺した様子だった。
きっと罵声の一つでも浴びせたいのかもしれない。
『そうか』
田中さんは、ただ一言つぶやいた。
『俺が言いたいこと、わかるよな?』
「………はい。十分」
田中さんの言いたいこと。
それは、”軽音部をやめる”こと。
桜高祭のライブが終わって数日ほど経った頃に言われていた。
”もし、俺たちの活動に支障をきたすようであれば、お前、軽音部をやめろ”
そして、その通りのことがこうして起こってしまった。
『もし、続けるのであれば俺から課題を出す。それをクリアすれば認めよう。そうでなければ明日にも退部届か何かは知らないが提出しろ。それから病院に行ったりリハビリを行っていく』
田中さんの口にした”課題”が何なのかが、とても気になった。
だが、田中さんのことだ。
かなり難しいものを出すはずだ。
『できれば今すぐ決めろ。時間が経てばライブに影響する』
次のライブは来月7月の中旬に開かれる。
それまでに諸問題を解決させなければならない。
「すみません、少しだけ時間を下さい。それと、課題の方を教えてください」
僕の答えは、時間の引き延ばしだった。
『……………いいだろう。課題を言う』
僕の答えに、田中さんはしばし沈黙したものの、時間を引き延ばしてもらうことを認めてくれた。
『お前の課題は―――』
そして田中さんから課題が告げられた。
それは、僕の予想していたものよりも、はるかに簡単そうで、難しい物であった。
「書いちゃった」
あれから数分後、僕の前には先ほど書き終えたばかりの”退部届け”が置かれていた。
僕はそれを茶封筒に入れるとカバンの中に入れた。
僕はまだ、退部するかどうかを決めていない。
退部届けの用紙に記入をしたのも、自分の答えが決まった時にすぐにでも行動ができるようにするための前準備に過ぎない。
(タイムリミットはあと7日)
僕は決して悔いが残らないように、自分の納得する答えを導こうと心の中で決心するのであった。
こうして、すべての終わりの時は、静かに始まりを告げるのであった。
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