すべてのきっかけは本当に何気ないことだった。
そうそれは、数日前のことだった。
「やっぱり、どこかで見たことがあるんだよな。この人」
部室に初めて一番乗り(自分で言っていてむなしくなるが)した僕は、少し前に見つけたあの卒業アルバムを見て唸っていた。
理由としては一度疑問に思うと、それを解決せずにはいられなくなったからだ。
それが僕の悪い癖だった。
しかもわかりかけているものに関しては特にだ。
そして知らなきゃいいことを知ってしまい、のちに大騒動になってしまうというのがいつものことであるのだが。
閑話休題。
「ムムム……」
「あれ、浩君。それって卒業アルバム?」
必死に記憶をたどりながら唸っている僕に声をかけてきたのは唯だった。
どうやら、部室に来て卒業アルバムを開いてからかなりの時間が経っていたようだ。
「ああ。実はこの写真の人をどこかで見たことがあるんだけど、それが誰かを思い出せなくてな。さっきからずっと思い出してるんだよ」
「ねーねー浩君。私この人見たことがあるよ」
お手上げだと背もたれに寄り掛かった僕に、唯は衝撃的なことを告げてきた。
「だ、誰?」
「ちょっとこっち来て」
「うわ! ちょっと!?」
唯に腕を引かれるまま、僕は部室を後にする。
連れてこられたのは、職員室前だった。
正確には僕たちは、階段の踊り場から隠れるようにして職員室側のほうを見ているのだが。
「ほら、あの人」
「あの先生か?」
唯が示している先にいたのは、数人の学生と話をしている栗色の髪をしてメガネをかけた女性教師だった。
その女性教師は、軽音部の部室を聞いた人だった。
(まさか……確かに野蛮そうなオーラは感じたが……いや、でも)
今までの自分の勘から、あの写真に写っている人物は数人の学生と何かの話をしているであろう女性教師で間違いないと告げていた。
「ね、ね、似てるでしょ?」
「ああ、確かに」
すこしばかり興奮気味の唯の問いかけに、僕は頷いた。
こうして、僕の疑問は解決するのであった。
それがいつものように、のちに大きな騒動へと発展するであろうことを知らずに。
部として認められるために必要な顧問を探すということで、生徒会室を後にした僕たちだったが、
「誰がいいだろう」
「………」
現在の状況は、顧問として頼める教師の見当がつかないという絶望的な状態だった。
場所は軽音部の部室(部として認知されていないため部室という表現は間違いではあるが)。
そこで僕たちは、部として認められるために必要な顧問探しの作戦会議を開いていた。
まあ、それも最初から躓いているわけだが。
「顧問をお願いするとすれば、どういう先生がいいのかしら?」
「そりゃ、面倒見がよくて」
「楽器のことにも多少は詳しくて」
「優しい先生がいいと思うのですよ」
ムギの口にした疑問に答える律に続いて僕と唯も答えていく。
ちなみに念のために言うが『優しい先生』と答えたのは唯なのであしからず。
「でも、ほとんどの先生はすでにほかの部活の顧問だったりするから無理だと思うんだけど」
「確かに」
この学校のほとんどの教師はすでに何らかの部活の顧問を務めている。
つまりは、教師に顧問の掛け持ちをしてもらわなければいけないのだ。
果たして、向こうがそれを受け入れるか……。
「あ、ねえねえ。あの人はどうかな?」
「あの人? もしかして何か心当たりがあるのか?!」
唯の提案に、律が待ってましたとばかりに食いついた。
それどころかムギに澪も続く。
(もしかしなくても、”あの人”だよな)
唯の”あの人”というフレーズに、数日前に判明したあの女性教師の姿が浮かび上がってしまった。
「うん、山中先生!」
「山中先生って、確か音楽の先生だったっけ」
やはり、僕の予想は当たっていたようだ。
「でも、どうするんだ? 確か、山中先生って吹奏楽部の顧問だったはずだけど」
やはり、山中先生も顧問を務めているようだ。
「ふふふ、この私にいい考えがあります」
「………」
その唯の言葉を聞いたこの時この瞬間、僕はこの後に何が起ころうとしているのかを悟った。
それは山中先生にある意味同情したくなるようなものであった。
そんな僕の心境など知る由もなく、山中先生を”強引”に顧問にする作戦が幕を開けるのであった。
「軽音部の顧問になってください!」
部室を後にして山中先生を探し始めてすぐ、運よく山中先生を廊下で見つけることができた律は、先生を呼び止めるや否やさっそく本題を切り出す。
「まだ、顧問いなかったんだ」
その律の言葉に、山中先生は顧問がいないことに苦笑していた。
「先生しか、頼める人がいないんです」
「……ごめんなさい。なってあげたいのは山々なんだけど私、吹奏楽部の顧問をしているから、掛け持ちはちょっと……」
やはり、返ってきた答えはNoだった。
まあ、それが当然なんだが。
「…………」
「……」
唯が律に送る視線に、律が静かに頷いた。
それは作戦決行の合図だった。
「そういえば先生は確か、ここの卒業生でしたよね?」
「え、ええ」
気乗りしなかったが、これも部のため。
僕は心の中で先生に謝罪の言葉を贈りながら、切り出した。
「実は、つい先日古いアルバムを見つけたのでそれを見ていたんですが」
「ぅっ……」
僕の言葉を聞いた山中先生が顔を青ざめさせた。
「アルバムはどこにあるの?」
「ふぇ? 部室ですけど」
背を向けた山中先生の問いかけに、唯が答えた。
「そう……」
唯の答えに山中先生はそうつぶやき数歩歩くと、次の瞬間いきなり駆けだした。
「はやっ!?」
その速さに、思わず叫んでしまった。
「大成功!」
「何だか、悪い気がするけど。早く部室に行こう」
喜ぶ律と唯をしり目に、僕たちは部室に向かうのであった。
部室にたどり着くと、部室のドアは豪快にあけられており、その中には机の前……ちょうど例のアルバムが置かれていた場所に立つ山中先生の姿があった。
「やっぱり先生だったんですね」
おそらく、先生の望むものは手に入らなかったはずだ。
なぜならば、先生が一番隠したい物は、すでに律の手元にあるのだから。
その写真とは、『DEATH DEVIL』時代の山中先生を写したものだった。
「っく!」
そして、その写真を目の当たりにした瞬間、山中先生は観念したのか口を開いた。
「よくわかったわね。そうよ、私は軽音部にいたの」
やはり、山中先生が『DEATH DEVIL』のメンバーだったようだ。
「それじゃ、これも」
そういって唯が流したのは、合宿で聞いたカセットだった。
そして流れるのは、この世の恨みを込めたかのようなどす黒い声。
「お願いやめて! 恥ずかし~!」
(恥ずかしいのなら、やらなければよかったのに)
これが若さゆえの過ちというものなのだろうか?
耳を押さえてうずくまる山中先生を見て、思わずそう考えてしまった。
本人が聞いたら起こるであろう単語のために決して口にはしなかったが。
「聞こえない、聞こえない」
同じく耳を押さえてうずくまる一人の少女に対しては、いまだに引きずっているのかと思ってしまう。
まあ、あのテープの音声は呪怨レベルにまで達しそうなレベルではあるが。
「それじゃ、もしかしてギターも」
「あ、そっか。弾いて弾いて」
思いついたようにつぶやかれたムギの言葉に、唯は自分のギターを手にするとそれを山中先生に半ば強引に渡した
その瞬間、山中先生はうつむいた。
(あ、この感じあの人に似てる)
荻原さんことRKも、ベースを手にすると人が変わったようになることがあるのを思い出した。
それが前のライブでの打ち合わせをしていない状況でのアンコール演奏だったりするわけだが。
「しゃーねえな」
「「「「目つき変わった!?」」」」
立ち上がちながら眼鏡を外したその姿は、生徒の中ではおそらくはまだ僕たち以外に知る人はいないのではないかという雰囲気を放っていた。
その雰囲気は、本当にRKにも通ずるものがあったが、あまりの豹変ぶりに驚きを隠せないでいた。
そして始まったのは、山中先生による壮絶な演奏だった。
複数のコード進行をしながらそれを高速に弾いていく速弾きや、指板上の弦を叩きつけたり横に移動させる奏法でもあるタッピングや、さらには歯ギターと言ったテクを披露した。
それは、あのテープの曲を軽音部時代に山中先生が演奏していたことを改めて実感させられるものであった。
そんな壮絶なテクを見せられた澪たちは驚きのあまり固まっていた。
「あぁ、私のギター……」
歯ギターのテクを披露した瞬間、ある人物は悲しげな声を上げた。
まあ、気持ちはわからなくもない。
歯ギターは確かにすごいが、実際にするとなると少々抵抗がある。
それゆえに僕も歯ギターをしていなかったりするのだが。
もししてほしいとせがまれても、僕は絶対に断るだろう。
「おめぇら! 音楽室を好きに使いすぎるんだよっ!!」
「ひっ!?」
「「「「すみません!!!」」」
そんな演奏で、何かが吹っ切れたのだろうか、”教師の山中先生”ではなく、”軽音部OGの山中先生”となった山中先生は、大きな声で叫びながら僕たちにピックを突き付ける。
その山中先生の勢いに、唯たちは土下座して謝罪をして、僕は反射的に天井に逃げた。
我ながら臆病だと思うが、女性から発せられる修羅の気ほど恐ろしいものはない。
昔から怯えた時に天井に張り付くことで逃げる癖はなかなか治らない。
というよりは、今まで治らないのだからこれ以降も治ることはないだろう。
「大体な! ――――」
そこまで言いかけて、ようやく正気に戻ったのだろうか山中先生はぴたりと声を止めた。
部室内に漂うのは、非常に重たい沈黙だった。
「今の、見た?」
「………」
その問いかけに、みんなは示し合わせたように頷いて答えた。
「あぁ……先生の時はおしとやかキャラで通すって決めたのに……」
(やっぱりキャラだったんだ)
最初にあった時から、偽りの仮面であることはわかっていたので、それほど驚きはしなかったが。
「先生――」
「そう、あれは8年前のことよ」
「いきなり語りだした!?」
なぜだか語りだした山中先生の話を聞きながら、僕は静かに彼女たちからは死角となる場所に着地した。
いくらなんでも天井にしがみついている光景を見られるのはまずい。
そして、山中先生の話を聞くのであった。
それは、彼女の壮絶な学生時代の話。
好きな人の好みの女性になろうと努力したという過去だった。
とはいえ、努力の加減がまずかったのだろうか、恋は結局終わりを告げた。
(しかし、好みの女性になろうとするために、そこまでしようとする行動力はすごい)
そんな勝手な感想を抱いていると、落ち込んでいるであろう山中先生の肩に、律は優しく手を置いた。
「先生、顔を上げてください」
「律ちゃん」
優しい声色の言葉に、山中先生が彼女のほうに振り向いた瞬間、もう片方の肩に手が置かれた。
「ばらされたくなかったら顧問をやってください」
「えげつな!?」
律の脅迫にも似たその言葉に、僕は思わず叫んでしまった。
尤も、最初の計画通りに進めば同じ結末になってしまうことと、それの片棒を担いだために僕も同じではあるが。
(すみません、山中先生。軽音楽部存続のために許してください)
僕は心の中で、いまだに呆然としている山中先生に謝るのであった。
こうして、軽音部の存続の危機は、山中先生の犠牲によって去るのであった。
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