あれから数週間の時が過ぎて、ライブまで残り2週間となったある日のことだった。
「平沢さんたちがおかしい?」
昼休み、僕の切り出した相談事に、慶介は昼食(この日はお弁当)を口にしながら首をかしげた。
「ああ。最近妙にそわそわしたり内緒話をしたりしてて、あれは絶対に何かを隠しているような気がするんだ」
この間は僕の姿を見ただけで、まるで幽霊を見たかのように驚いて飛び跳ねていたし。
「ムムム…………はっ。まさか、浩介の誕生日が近いとか?!」
「残念ながら違います。というか僕の誕生日先月だし」
「それは残念だ」
慶介の名推理(?)は見事に外れた。
「ちなみに、いつだ?」
「1月1日」
父さんが言うにはあと少し早ければ12月31日だったのだとか。
まあ、僕的にはどうでもいいが。
「す、すげえじゃないか!」
「……何が?」
なぜか興奮した様子の慶介に、僕は首をかしげながら尋ねた。
「だって、ほんの一週間でケーキをまた食べることができるんだぞ! プレゼントだってもらえるんだぞ!」
「ところがどっこい。正月にケーキを食べるような家はどこにもないし、プレゼントももらえない。学校だって休みだから明けおめメールはもらえても、誕生日のお祝いのメールはもらえない。どこもいいところなんてないさ」
ちなみに、故郷にはちゃんとお正月という風習があるし、クリスマスという概念もある。
これまで、そう言ったお祝い事をされた覚えは一度もなかった。
「だったら、全世界の人が浩介をお祝いしているって思えばいいじゃないか。それに、来年は俺もお祝いのメールを送ってやるから」
「唯だけでいいからいらない」
「くっ! これが持つ者の余裕かっ!」
意味の分からないことを叫ぶ慶介に、僕は心の中でため息をついた。
「それじゃ、浩介がセクハラまがいのことを――「ほら吹くのも大概にしろよ?」――はい、すみませんでした」
慶介の全く違う答えに、どすを聞かせて止めた。
「もういい。時間が解決するだろうから。放っておく」
「なんという単純明快な解決法」
本来であれば心を読めばいいだけの話だが、あれはあまり使いたくはない。
むやみに使うのはこれまでの関係を壊すことにもなりかねないからだ。
「でも、もしかしたら平沢さんは浮気をしてるのかもしれないぜ?」
「………ん?」
慶介の言葉に、僕の手が止まった。
「ほら、平沢さんってとってもかわいいからさ。言い寄られて……的なことだったらどうす―――」
「その時は、そいつとお話をして決める」
言葉は普通だったが、心の中は尋常ではないほど怒り狂っていた。
「強引に彼女と付き合っていた時は……」
「時は?」
「潰す」
慶介に促される形で、僕はそれだけを告げた。
(まあ、唯にそんな気配は微塵も感じないんだけど)
隠れてやっていたとしても、僕ならばすぐに気づける自信があった。
それを感じないということは、慶介の言ったことはありえないということになる。
(とはいえ、唯のことでここまでむきになるなんて)
平静を保てなくなるというのは、もしかしてやきもちだろうか?
とはいえ、あまり強くすると引かれるので、自重した方がよさそうだ。
「そ、それで、今日は部活じゃないんだ?」
「ああ。ちょっと向こうの方でね」
話題を変えるように口にした慶介の問いかけに、頷きながらおかずである唐揚げを頬張る。
今日、次のライブでの”NEW STARS PROJECT”の選考で選ばれたバンドが説明を聞くために来るのだ。
中山さんたちの話では、5人の女性と1人の男性で形成されたガールズバンドのようなものらしい。
一体どんな人物でバンドなのかを考えると、楽しくて仕方がない。
「大変だよな、浩介も」
「まあね。ライブが終わったら埋め合わせをするつもりだから」
唯とのデートプランもしっかりと練っている。
本人が喜んでくれれば成功と言ってもいいだろう。
「まあ、頑張れよ。絶対に行くから」
「どうも」
慶介のエールに、僕はそう答えるのであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
少しだけ時間をさかのぼること数日前のお昼時の、軽音部部室。
「それじゃ、開くぞ」
「う、うん」
「な、なんだか緊張しますね」
浩介を抜いた部員全員が、律の集合の一声で部室に集まっていた。
彼女たちの視線の先……テーブルの上に置かれているのは封が開けられていない『チェリーレーベルプロダクション』という会社名が記された水色の封筒だった。
封筒には『通知書在中』と明記されていたため、中身が何なのかは容易に想像ができた。
ちなみに、この封筒は律の自宅に届いていたが、全員の前で開封すると決めていた律によって開封されなかったのだ。
尤も、一人で見るのが怖いという理由も無きにしも非ずではあるが。
部長であるため、封筒の封を開けた律は、緊張の面持ちで中に入っていたものを取り出した。
中身は三つ折りにされた、一枚の白地の用紙だけだった。
律は震える手で、紙を開いていく。
「ッ!!!?」
そして中身に目を通した律は、突然声にならない悲鳴を上げた。
「どうしたんですか!?」
「も、もしかして、落選!?」
その様子を見ていた梓達が、慌てて律に声を掛ける。
「と………」
「豆腐?」
「当選したぞっ!!」
震える声から一転、喜びにみちた声を上げた。
「う、うそ!?」
「私も見る!」
「私も」
次々と結果の書かれた紙に目を通す唯たちは、そこに記された”当選”の二文字を目の当たりにした。
「し、信じられないです」
「私も、まさか本当に選考に通ったなんて」
驚いた様子の梓の言葉に賛同するように頷きながら澪が続いた。
「でも、これでまたみんなと一緒に演奏ができるね」
「……そうだな」
「えっと、今後のことについて書いてある」
満面の笑みを浮かべながら口を開いた紬に澪が頷き、律は採用通知の方に目を通した。
「何々……『指定日時と時間帯に事務所に向かい、そこで詳細を確認してください』だって」
「それじゃ、浩介には事務所に行く時にこのことを教えるとするか」
「賛成!」
律の案に、唯は素早く賛成の声を上げた。
「それと、昼休みに浩介抜きで練習して、驚かそうぜ」
「それいいね! 高月君めったなことでは驚かなさそうだから、楽しみかも♪」
「私は音合わせで浩介先輩が対応できなくなると思うんですけど」
圧倒的な賛成に梓は控えめに手をあげると、異論を唱えた。
「それに、あまり隠しておくと怪しまれるんじゃないか」
「そこは大丈夫。根拠はないけど、うまくいくって。だって、浩介だし」
「た、確かに……」
「そうだけど……」
律の反論に、澪たちの反対意見も弱くなる。
二人でさえ納得させられる何かを持っているのが浩介のすごいところでもあり怖いところでもあるのだが。
結局、この後二人は押し切られるような形で浩介に隠れての特訓が始まるのであった。
その反動によって、放課後の練習はほとんど0に近くなったが。
そして、唯たちは指定された日を迎える。
「浩介は?」
「今日は用があるから無理だって」
学校の校門前で携帯電話を片手に唯は首を横に振った。
「驚かせる相手がいないんじゃ意味がないじゃないか!」
「しょうがないですよ、H&Pの活動なんですから」
「だから話しておけばよかったんだ」
律の不満に、梓はため息交じりに相槌を打ち、澪はジト目で隠し続けることを選んだ律を見ながら告げた。
「まあまあ。高月君は明日驚かせばいいんじゃないかな」
「それもそうだな」
紬の出した提案に、頷いた律は指定された場所である『チェリーレーベルプロダクション』へと向かうのであった。
「まるで都会みたいだね!」
「都会みたいと言うか、それだと、あそこが田舎町になるぞ」
目的の駅に到着して早々に唯が口にした言葉に、律がツッコミ口調で相槌を打った。
「ほら、バカやってないで早く行くぞ」
「「はーい」」
いつの間にか澪が引率する形で駅を後にしていた。
「唯先輩、もう少ししゃきっとしてください」
「しゃきっ!」
項垂れるように歩く唯に注意をする梓は言葉と共に姿勢を戻す唯を見て何とも言えない表情を浮かべた。
「それにしても、浩介ってライブでも控えてるのか?」
「そうみたいだぞ。2月の中旬に大きなライブをやるらしいから」
律の疑問に澪は即答で答えた。
「どうして、澪ちゃんが浩君のスケジュールを知ってるの?」
「うぇっ!?」
そんな澪に、唯は怒りに染まった目で澪をにらみつけながら問いただした。
「ゆ、唯先輩落ち着いてください。浩介先輩は自分のホームページを持っていてそこで活動について書いてあるんです」
「あ、本当だ」
そんな唯の様子に慌てながらも梓は唯にそのホームページが表示された携帯画面を見せながら説明した。
それは、H&Pの活動予定や、出演情報などが記されたサイトであり、自己紹介はもちろん、Q&Aコーナーなどと充実したコンテンツになっている。
それを知った唯から、怒りの感情は消えいつもの雰囲気に戻っていた。
「ふぅ……」
「それにしても、浩介先輩に関することだとあそこまで豹変するんですね」
「浩介も似たようなもんだけどな」
緊張の糸が切れたのか、そっと息を吐き出す澪を見て梓は意外だとばかりにつぶやく言葉に相槌を打つようにつぶやかれた律の言葉はある意味的を得ていた。
そんなひと騒動がありつつも、唯たちはついに目的地である『チェリーレーベルプロダクション』がある5階建てのビル前へと到着した。
「ここが、事務所」
「意外と大きくないね」
「…………それ、中で言ったらひどい目に合うから言わない方がいいぞ、唯」
事務所を前にした唯の怖いもの知らずの暴言に、律は冷や汗をかきながら注意した。
「とにかく、中に入りましょう」
そんな梓の言葉で、律たちはビルの階段を上っていく。
そして事務所のある3階にたどり着いた彼女たちの前に無機質なドアが立ちはだかる。
ドアの窓ガラスには『チェリーレーベルプロダクション』という文字があり、間違っていないことを唯たちは知ることができた。
律は緊張の面持ちでドアをノックした。
「どうぞ」
「し、失礼します!」
中から帰ってきた男の声に、律は声を上ずらせながら応じるとドアを開けた。
「ようこそ、チェリーレーベルプロダクションへ。『放課後ティータイム』の皆さんで相違はないかね?」
彼女たちを出迎えたのは茶色の背広を身に纏った、ちょび髭の生やした男性であった。
髪は短髪で、整った顔立ちのその姿から醸し出される雰囲気は、ダンディーとも言えなくない。
「は、はい!」
「君たちのことは彼からよく聞いている。今バンドメンバーは外に出ているんだ。時期に戻ってくると思うから、奥のソファーの方に腰掛けて待ってもらってもいいかな?」
男性は、人当たりのいい表情で唯たちに尋ねた。
「は、はい」
「それじゃ、案内しよう」
そう言って、男性は奥の方へと唯たちを案内した。
「どうぞ」
「あ、すみません」
全員が腰かけたところで、男性は人数分のお茶を律たちの席の前に置いた。
「おっと、紹介が遅れたね。私は|荻原 昌宏《おぎわら まさひろ》。ここの社長だ」
「あ、私は―――「君は田井中 律君だったね?」――え? は、はい。そうですけど」
律の自己紹介の言葉を遮るようにして、彼女の名前を呼ぶ昌宏に、律は戸惑いを隠せなかった。
「で、君が中野梓君で、その横が秋山澪君。そして琴吹紬君に平沢唯君だったね」
「あ、あの。私たちどこかでお会いしましたか?」
次々と名前を口にしていく昌宏に、梓は怪訝そうな表情を浮かべながら訪ねた。
「いいえ。ただ、貴女たちのことは”彼”から詳しく聞いていたから」
「彼?」
昌宏の口から出た”彼”という単語に、律は首をかしげながらつぶやく。
「ん? もしかして、彼は君たちに話して―――「ただ今戻りました」―――っと、どうやら戻ってきたようだね」
昌宏の言葉を遮るようにして、ドアが開かれる音と共に聞こえた男の声に昌宏は話を中断させるとドア側から見える位置に移動した。
「なあ、今よく知った声が聞こえなかったか?」
「き、気のせいだよ。きっと」
先ほど聞こえた声に聴き覚えがあった律の問いかけに、澪は冷や汗を浮かべながら答えた。
だが、彼女たちは薄々気づきかけていた。
それを必死に追い出そうとしていたのだ。
その大部分は、信じたくないという理由がほとんどだったが。
「当選者はもう?」
「ええ。こちらに」
さらに聞こえた女性の声に答える昌宏。
「大変失礼した。ちょっとした用事………で」
「え?」
声の主が彼女たちに姿を現せたところで、固まった。
それは唯たちも同じようで、目を瞬かせていた。
「ど、どうして浩介(君)がここにいるの(んだ)!!?」
事務所内がちょっとした騒ぎに包まれるまで、それほど時間はかからなかった。
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