健康の意識 忍者ブログ

黄昏の部屋(別館)

こちらでは、某投稿サイトで投稿していた小説を中心に扱っております。

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第42話 兆し

僕の前には長椅子に座っている唯と梓と澪の三人、そしてその後ろに立つ律とムギ。

「それじゃ……行くよ」

僕のその言葉に、唯と律にムギは興味津々に僕がこれからしようとすることを見守る。
そして澪と梓は緊張の面持ちで僕を見ていた。
そんな視線を受けながら、僕は肩に掛けてあるギターの弦を弾いた。
それが演奏を始める合図だった。










すべての切っ掛けは、ある日の放課後のこと。

「あ、私はリンゴタルト~」
「それじゃ、モンブラン!」
「なっ!? それは私が狙っていたのに!!」
「へっへ~ん、こういうのは早い者勝ちなのだよ。澪ちゅわ~ん」
「「…………」」

目の前で繰り広げれる醜い争いに、僕と対面の席に座る梓は言葉を失っていた。

「あれ、あずにゃんと浩君は食べないの?」
「い、いえ。それじゃ、バナナ味を」
「僕はチーズ味を」

お菓子程度で争う二人の姿に呆れていたとも言えず、僕たちは各自好きなケーキを取っていく。
今日のお菓子は、多種多様なケーキだった。

(まあ、チーズケーキを誰かが取ったら、僕もあんな風になるんだろうな)

僕にはチーズケーキ一つを巡って戦争をする自信があった。
それほど食べ物とは恐ろしい魔物なのだ。
梓の一件からしばらく経った。
二つの机を生徒会から許可をもらって、部室に運んだのはつい最近のこと。

『梓はどこに座る?』
『えっと、それじゃ……』

新たに二つほど机が増えたことで、梓にどこの席がいいかを尋ねる。
そして梓が選んだのは物置部屋側の壁とは反対の席……僕の対面の席だった。
ちなみに、山中先生の席は僕が座っていた物置部屋側の机の横の部分だった。
そんなこんなで、今日も今日とて雑談に花を咲かせる唯たち。

「どうしたの浩君?」
「いや、よくそんなに話す内容があるなと思って」

何も言わない僕を不審に思ったのか、首をかしげながら尋ねてくる唯に、僕は苦笑しながら答えた。
先ほどから、話声が尽きることが全くない。
いくら五人の人がいる(とはいえ、話をしているのは主に四人だが)からと言って、ここまで続くのはある意味すごいことだった。

「だって、毎日楽しいんだもん♪」

満面の笑みで応える唯。

「そうそう、ネタはいろいろあるだぜ。例えば澪の面白恥ずかしい過去とか」
「なっ!? それだけは絶対にダメっ!!」

律の言葉に必死に阻止しようと声を上げる澪。

「え~、私澪ちゃんのこと聞きたいなー」
「私も」

律の言葉に興味を持った唯とムギの二人が律の援護射撃に入る。

「だ、ダメと言ったらダメっ!!」
「あー、はいはい。冗談だから」

今にも掴み掛らんとする勢いの澪を止めるように両手を上げて宥めた。

「ちぇ~」
「聞いてみたかったのに」

そんな律に、不服そうな顔で頬を膨らませる唯と残念そうに言葉を漏らすムギ。

「だったら、浩介の恥ずかしい過去でも聞けばいいんじゃね?」
「あ、そうだね~♪」

そんな二人にかけられた、小悪魔のような笑みを浮かべた律の言葉に期限を治した唯が僕の方に向き直った。

「ということで、話してよ浩君」
「うん分かった。あれはそうだな今から……って誰が言うかっ!」

危ない、危うく本当に話すところだった。

「ぶーぶー」
「だったら自分の恥ずかしい過去でも話せばいいじゃないか」

再び頬を膨らませて膨れる唯に、僕はため息交じりにそう告げた。

「そうだね! それじゃあね………あ、そうだ。あれは―――「って、本当に話すな!」―――もう、浩君はわがままさんだね~」

適当に言ったことを真に受けて本当に話そうとする唯を止めた僕は、わがままなこと言う認識をされた。
……何だか無性に腹が立つのはどうしてだろう。

「それじゃあ、あずにゃんの恥ずかしい過去でも―――」
「絶対に嫌ですっ!」

即答で拒否をする梓も、すっかり軽音部に慣れてきたようだった。

「梓にとっての恥ずかしい過去って、ねこ耳を付けた時のような気がするのは僕の気のせいか?」
「だったら、今つければいいんだよ!」

そう言う言う唯の手にはどこから取り出したのか、ねこ耳があった。

「それは絶対に嫌です! 後、浩介先輩も蒸し返さないでください!」
「これは失礼」

梓から怒られた僕は、軽く謝った。
今日も軽音部は通常運航だった。

――――チク

「……?」

楽しげに談笑する唯たちを見ていた僕は、ふと胸の痛みを感じた。
それは体の問題ではないような気がした。
言うなれば、心の方だ。

「どうしたの、浩君?」
「いや、なんでもないよ」

再び唯から聞かれた僕は、そう答える。さっきのはただの気のせいだと結論付けて。
それはもしかしたら、兆しだったのかもしれない。










数日後の昼休み、僕と慶介は机をくっつけて向かい合うようにして昼食をとっていた。
ちなみに、これがいつもの昼休みの光景でもあった。
特に用がない限り、慶介と食べることが多いような気がする。
非常に不本意だが。

「今日はお弁当か~」
「文句でもあるのか?」

お弁当を広げて黙々と食べている僕は、慶介の言葉に睨みつけながら問いかける。

「いや、文句なんてないって。ただ、お恵みがほしいだけだから」

(完全にたかってるじゃないか)

何の惜しげもなく言える慶介の精神に、呆れを隠せなかった。

「別にいいぞ。今から頬るから、口でキャッチしろ」
「お、大道芸だなっ! 良いぜ、受けて立ってやる!」

僕の無茶な指示に、慶介はテンション高めに応じた。

「これを成功させれば女の子にもてるぞ~!」
「…………」

欲望ダダ漏れの慶介をしり目に、僕はから揚げを一つ箸でつかむ。

「ほれっ」
「よし来たぁ!!」

放り投げられた唐揚げは飛んでいく。
……対角線上に

「って、無茶だぁっ!!!」

対角線上に飛んでいく唐揚げを口でキャッチするには、斜めに飛んでいかなければいけないが、普通の人にその芸当は不可能。
他の手段としては、机の合間を縫って行くしかない。
とはいえ、全力で走りながら唐揚げの落下点を予測しなければいけないので、とてつもない難易度になるが。
さて、全速力で教室内を走る慶介。

「ずべしっ!?」

だが、何かに引っかかったのか盛大にこけた。

(ま、無理だとは思ってたけどね)

僕は心の中でつぶやきながらお弁当箱のふたを手にする。
そして椅子の上に立ち上がった僕は、そのまま対角線上にとんだ。
空中で一回転をしながら現在落下中の唐揚げを蓋の中に入れた僕は、そのまま何もない場所に着地した。

『おぉ~』

僕の芸当によってか、それとも慶介の惨めな行いによってかは知らないが注目を集めていたようでクラス中から拍手が送られた。

「すっご~い。サーカスみたいだったわ」
「うんうん。思わず見惚れちゃったよ~」
「ど、どうも」

次々と浴びせられる歓声に、僕は恥ずかしさのあまり視線を逸らした。

「結局、うまい思いをするのはお前か」

盛大にこけた慶介から恨めしそうな声を掛けられた。





「それにしても、浩介の親って料理上手だよな」
「いきなりなんだ?」

先ほど放り投げた唐揚げを頬張りながら慶介はそんなことを言ってきた。

「この唐揚げとてもうまいぜ!」
「残念だが、それは僕の自作だ」

称賛の声を上げる慶介に、僕は本当のことを告げる。

「は? なんで自分で作ってるんだよ?」
「そんなの、家に親がいないからに決まってるだろ」

信じられないとばかりに訊いてくる慶介に、呆れながらウインナーを口にする。

「あ……悪い」
「勘違いするな。親はちゃんといるぞ。別居してるけど」

そんな僕の言葉に勘違いしたのか、罰が悪そうに謝る慶介に、口の中の食べ物を飲み込んでから口にした。

「は? どうして別居なんかしてるんだよ」
「ちょっとしたことで家出をしたから」
「家出って……それじゃ、生活費とかはどうしてるんだよ?」

僕の口にした理由(当然嘘だが)に信じられないと言わんばかりに下世話なことを聞いてくる慶介。

「親から仕送りでもらってる。数か月に一回の間隔で実家に帰ることを条件にだけど」

僕は嘘の説明をしながら海苔ごはんを口に入れる。
実際はすべて僕のポケットマネーで生活している。

「へぇ~、いろいろ大変なんだな」
「それはお互い様だ」

慶介も明るくするために、演技をしていたりするのだから。
まあ、本心が4割というのがかなり気にはなるが。

「だな」

そして僕たちは黙々と昼食を食べていく。
この時はあの時に感じた胸の痛みはなかった。










「あの、浩介先輩」
「ん? どうかしたか、あずにゃん?」

放課後、部室でいつものように話に花を咲かせていると、梓が突然何かを思い出した様子で話しかけてきた。

「前から聞こうと思ってることがあるんですけど。その、間違っていたらごめんなさい」
「な、何かな梓? 改まって」

梓の様子から、僕は呼び方を元に戻して先を促した。
気づけば、他の皆も話をやめて梓の答えを待っていた。

「その、浩介先輩って……」

そこまで言うと、言いづらそうに視線をさまよわせたが、すぐに僕の方を見つめてきた。

「DKさん………ですか?」
「……っ」

梓の言葉に、表情を変えないように気分を落ち着かせる。

「で、DKって……」
「H&Pのメインボーカル兼リードギターの人です」

澪が目を見開かせて声を漏らすと、分からないと思ったのか梓が説明をした。

「藪から棒に、何を言ってるんだ梓?」
「すみません。この間DKさんとお話しする機会があったんです」
「な、何ぃーッ!?」

梓の言葉に一番の衝撃を受けていたのは澪だった。
それはもう椅子を吹き飛ばすような勢いで立ち上がるほどに。

「ど、どうしたんですか澪先輩?」
「あー、澪はDKのファンみたいでな」

突然の澪の変化に、驚きを隠せない梓の問いかけに律は苦笑しながら答えた。

「う、うらやましい。私だって一回も話したことがないのに」

(しょっちゅう話していることを知ったら、どうなるんだろう)

ぶつぶつとつぶやく澪に、僕は心の中でつぶやいた。
どうやら僕にはまだ余裕があるようだ。

「は、話を戻しますね。その時に、DKさんが言ってたんです。『さすがは親の影響で小4からギターをやっているだけある』と」
「別に普通だと思うけど? ねえ、律ちゃん隊員」

梓の言葉を聞いていた唯がいつになくまじめな様子で律に同意を求める。
そんな律も頷いて答えた。

「でも、私が親の影響で小4からギターをやっていることは、軽音部の皆さんにしか言ってないんです」
「それって、手紙で書いたとかじゃないのか?」

考え込んでいた澪が梓に問いかける。

(手紙に書いてあったっけ?)

僕は心の中で思い起こしてみるが、そのような文面に心当たりはなかった。

「探してみたんですけど、全く書いてませんでした」
「それは確かに、おかしいわね」

顎に手を当てて思案顔のムギが呟いた。

(というより、よくとっておいたよね)

梓の場合は数年前からファンレターが来ている。
その数は優に100を超えているはずだ。
それを取っておく彼女の執念がすごかった。

(それにしても、かなりまずいことになった)

あの時は手紙に書いておいたということに解釈するだろうとたかを括っていてさほど気にも留めていなかったが、まさかここにきて裏目に出るとは。

「それに、浩介先輩の演奏の方法がDKさんと同じなんです」

そして、演奏面からも指摘が入った。

「浩介先輩。先輩がDKさん、なんですか?」
「それは……」

もはや万事休す。
何を言っても誤魔化せないと悟った僕は、覚悟を決めた。

「実はな、梓」

そんな中、助け舟を出したのは意外にも律だった。

「浩介ってDKの知り合いらしくてな、よくギターを教えてもらっているんだってさ」
「そ、そうなんですか?」

律が言ったのは前に僕が説明した内容と同じものだった。

「そうだよ」

梓に僕は、渋々頷く演技をしながら答えた。

「ごめんね、つい練習の合間の雑談で梓のことを話しちゃったから、言いだしづらくて」
「そうだったんですか」

取ってつけたような理由に、梓はすんなりと納得してくれた。

「本当に申し訳なかった」
「そ、そんな謝るほどのことでもないです。まあ、ちょっとうらやましかったりしますけど」

席を立って謝る僕に、慌てながら話す梓だったが、最後の方のは絶対に本音だと思う。

「というより、律知ってたんなら言ってよ」
「あはは、ごめんごめん。追い詰められていく浩介の表情が面白くてつい♪」

僕の非難の声に、律は笑いながら相槌を打った。

「まったく、律はしょうがないんだから」
「そう言ってる澪も知ってたよな?」
「うっ!?」

ため息交じり呆れた様子で言った澪に律はにやりとほくそ笑みながら指摘した。

(どっちもどっちだ)

僕は心の中でそうつぶやいた。

「でも、DKさんにギターのコーチをしてもらえるなんて羨ましいです」
「だったら、浩介にでも頼んでもらうようにお願いしたらどうだ?」
「そうだね! ついでに私も教えてもらっちゃおう~」

梓の言葉に、律と唯が相槌を打つ。

――――――チク

(……まただ)

二人の会話を聞いていると、再びあの痛みが走った。

「あれ、どうかしたの?」
「ちょっとお手洗いに」

席を立った僕にムギが尋ねてきたので、僕はあたりさわりのない理由を告げて部室を後にした。

「……オープラ」

部室を出た突き当りのドアに手をかけ、周囲に誰もいないのを確認してから魔法で鍵を開けた。
そこは屋上に続くドアだった。
外に出た瞬間に、心地よい風が僕を包み込んだ。
僕はゆっくりと前に足を進める。

(慶介とのやり取りと、軽音部でのやり取りの時の違いって……なんだ?)

屋上から望める景色にも目を止めずに、僕は心の中で問いかける。
そして思い出してみた。
慶介の時にあって、軽音部の時にはない物を。

「……………あぁ、そうか」

考えてみれば簡単に見つかった。
慶介の時にあって軽音部の時にはない物。
軽音部の時にあって、慶介の時にはない物の正体。

「僕って……」

それはきっと

「孤独だったんだ」

一種の疎外感のようなものなのかもしれない。

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『けいおん!~軽音部と月の加護を受けし者~』最新話を掲載

こんばんは、TRcrantです。

本日、『けいおん!~軽音部と月の加護を受けし者~』の最新話を掲載しました。
今回は、ある人物のファンから石を投げられそうな気がしてなりません(汗)
それはともかく、次話から落ち次なるの話となります。
どのような話になるのかはその時までのお楽しみということで。


それでは、これにて失礼します。

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第41話 答え

ライブハウスでの一件から数日が経った。

(困ったな)

僕はあることに頭を悩ませていた。

「はぁ」
「おいおい、何ため息なんかついてテンション下げてんだよ!」

思わずため息をついていると、慶介から激が飛んだ。

「そう言うお前は馬鹿みたいにテンションが高いな。そんなにいいことでもあるのか?」
「今日は体育だぞ! 女子のキャッきゃうふふを見れるチャンスだ―――ぐばぁ!?」

とりあえずバカなことを言う慶介の顔面を蹴る飛ばすことで黙らせた。
どうせ、すぐに

「痛ってえな。最近力つけてないか?」

このように回復するのだから。

「うるさい。能天気なお前には想像もできない悩みがあるんだよ」
「その悩みって、この間言っていた新入部員の子がらみか?」

言葉を吐き捨てて、ジャージに着替えるべく男子トイレに向かおうとその場を後にしようとする僕の背中に、真剣な声色の慶介の言葉が掛けられた。
ちなみに、男子の更衣室は今現在も設けられていないため、増設された男子トイレが臨時の更衣室と化している。
これが、元女子高の現実だ。
僕は慶介の問いかけに、頷いて答える。

「辞めるのか?」
「いや、分からない。今はその可能性が高いことくらいしか」

慶介の問いかけに、僕は首を横に振りながら現状の考えを告げた。

「そうやって、何でもかんでも諦めるのは良くないと思うけどな。信じれば救われるっていうじゃないか」

慶介からの指摘に、僕は何も答えられなかった。

「俺のようなバカだって、受かってるって信じて受かってたわけだし」
「確かにそうかもな。出なければお前がここにいることなどありえないしな」
「あの、自分で言っておいてあれだけど、頷かれると地味にきついっす」

慶介の言葉に説得力を感じた僕が頷くと、慶介から落ち込んだ様子の声が返ってきた。

「ありがと。慶介の意見、参考にさせてもらうよ」
「そうか? それならよかった」

僕は慶介に”後で”と告げると、今度こそ教室を後にする。

(それでも、このままで放置するのは非常によろしくないな)

僕は心の中でつぶやくと、進行方向を変えた。
場所は、梓のクラスの教室だ。










梓のクラスの教室前まで来た僕は、教室内から死角になる場所で教室から出てくる生徒が来るのを待った。

「あれ、浩介さん?」
「ん?」

そんな僕によく知る人物から声が掛けられた。
見れば、そこには憂の姿があった。

「こんなところで会うとは奇遇だね」
「あれ? お姉ちゃんから聞いていませんか? 私、ここのクラスなんです」

そう言って指で指示したのは、僕が立っている教室だった。

「そうだったんだ。まったく知らなかった」

最近は唯たちの話を聞き流している状態だったため、もしかしたら聞き逃していたのかもしれない。

「あの、何か用ですか?」
「ああ、実は僕の名前を伏せて梓を呼んでもらいたいんだ」

運よく憂に会えたため、僕は梓を呼び出してもらうように頼んだ。

「別にかまいませんけど、どうして浩介さんの名前を隠すんですか?」
「ちょっと部活関係でいろいろあってね。名前を言うと逃げられそうだから」

我ながら、もっとましなことを言えないのかと思うが、これ以外の言い方は僕は持ち合わせていなかった。

「わかりました。ちょっと待っていてくださいね」

(詳しい事情を聴かずに引き受けてくれるなんて、本当にできた妹だ)

軽くお辞儀をしながら中に入っていく憂に僕は、そんな感想を抱いていた。
それから待つこと数十秒。
ターゲットでもある梓が教室から姿を現した。

「あずにゃん」
「っ!?」

呼び出した人物を見つけるためか、僕に背を向けてあたりをきょろきょろと見回しているところに声を掛けると、その体が大きく震えた。

「その様子だと、病気ではないようだな」
「え?」

僕の言葉が意外だったのか、梓はこっちの方に振り返った。

「ここ数日部室に来なかったから、病気でもしたのかと思ったが、元気そうで安心した」
「べ、別に病気なんかじゃ」

ばつが悪そうに僕と視線を合わせようとしない梓の様子に、僕は苦笑しながらも言葉を続けた。

「どうして来なくなったのか、その理由は聞かないし、そのことで怒るつもりもない」
「それじゃ、何をしにここへ?」

梓から視線を外しながら言うと、尤もな疑問を投げかけられたため僕は再び視線を彼女に戻した。

「ちょっとしたアドバイスをね」

そう言って、僕は言葉を区切った。

「あずにゃんは軽音部をやめるのか? それとも続けるのか?」
「………」

僕の問いかけに、梓は何も答えなかった。

「急がなくてもいいから、しっかりと考えて自分自身で答えを決めること。決めたらいつでもいいから部室に来い。そこで梓の答えを聞かせてもらう」
「でも……」

僕の提案に、梓は難色を示した。
梓の気持ちもわからなくはない。
先輩たちの前で退部をすることを告げるというのは、僕が想像するよりも過酷なことなのかもしれない。
それでも、けじめというのは何事も必要なのだ。

「もちろん、無理やり引き止めさせたり罵声などを浴びさせないよう努力をすることを約束しよう。当然だが、その後偶然顔を合わせた時も自然と接することができるようにすることもね」

こればかりは他人の心なので、難しいが唯たちは根はいい人だ。
きっと僕の頼みを聞き入れてくれるはずだ。

「ただし、自分の口にした答えには責任を持つこと。一度自分で決めたことを撤回することも他者のせいには許さない。おそらく僕が罵声の一つでも浴びせるだろうけど」
「…………」

僕の言葉に、梓は真剣な面持ちで聞いていた。

「僕はどちらを選んでもらっても構わない。まあ、本音を言えばやめてほしくはないけどね。ようやく訪れた待望の新入部員という理由もあるけど、中野梓という存在は、軽音部のメンバーにとっていい意味で刺激を与える可能性があるからね」
「そうでしょうか?」

即答にも近い形で聞きかえされた僕は、思わず苦笑してしまった。

「まあ、梓にはこのまま続ける自由もありし、辞める自由もある。存分にどちらかの権利を使うといい。それじゃ」

僕は言うことだけ言ってそのままその場を後にした。

「え、あの? 浩介先輩?」

後ろで困惑した様子で声を掛けてくる梓に、僕は片手を上げて応じる。
僕は後ろを振り向くことはなかった。





その日の放課後、僕はいつものように部室へと向かう。

「あら、高月君」
「ん? 真鍋さん」

階段を上がろうとしたところで、誰かに呼び止められた僕が振り返るとそこには数枚程度の紙を手にした真鍋さんが立っていた。

「これから部活?」
「まあ、そんなところ」

真鍋さんの問いかけに、僕は頷きながら答える。

「それで、どうなの?」
「何が?」
「新入部員よ。続けていけそう?」

真鍋さんの言葉の意味するところが分からずに首をかしげている僕に、真鍋さんは分かりやすく説明してくれた。
だが、まず出てきたのは素朴な疑問だった。

「どうして、貴女が知ってる?」
「唯が言ってたのよ。『あずにゃんが部室に来ない』ってね」

疑問に答えた真鍋さんに、僕は軽く驚いた。
尤も、その驚きは”あずにゃん”と何の躊躇もなく口にしたことだったが。

「無理だろうな。おそらく、次に来るときは”退部届”を持参してくると思う」
「そう」

僕の推測に、真鍋さんは一言だけ呟いた。

「高月君は、彼女に続けてほしいと思っていないの?」
「そりゃ、もちろん思っているに決まってる。だが、辞めたいと言っている人に無理に居続けてもらうというのはお互いの為にならない」

だからこそ、梓にはどちらを選んでも構わないと言っているのだ。

「あなた、色々と損するタイプって言われるでしょ?」
「はは、正解。でもまあ、それでいい方向に向かうのであれば、構わないんだけど」

真鍋さんの鋭い指摘に、苦笑しながら相槌を打つと階段を上りきった。
そこは部室と生徒会室の分かれ道だった。

「それじゃ、また」
「会えたらね」

真鍋さんと別れの挨拶をした僕はさらに階段をのぼり部室へと向かうのであった。

(信じた者は救われる……ねえ)

慶介に言われた言葉がふと頭をよぎった。

(世の中には、信じただけではどうしようもないことだってあるんだよ)

ここにはいないやつに、僕は心の中で反論するのであった。










僕が梓に軽くアドバイスをしてからさらに数日が経った放課後のこと。

「あずにゃん、最近来ないね」
「来ないのかもしれないな」

ここ最近珍しく(かなり失礼だけど)毎日練習をしていた僕たちだったが、唯の口にした一言で、全員が手を止めてしまった。

「いや、来るんじゃない?」
「そうかな?」

僕の口にした予想の言葉に、唯は浮かない表情で聞いてきた。

(その時に『退部届』と書かれた封筒を持っているかもしれないけれど)

あまりにも酷いのでその予想だけは口にはできなかった。
そんな時、部室のドアが開く音が聞こえた。
ドアの方に視線を向けると、そこには梓の姿があった。

(やっぱり、そういうことか)

背中に自身の相棒でもあるギターケースがないのを見た僕は、梓の答えが何なのかを知ってしまった。

「最近どうして来なかったんだよ、梓? 毎日練習していたんだぞ」
「あずにゃーん!」

来なかった理由を問いただす律をしり目に、唯が梓に抱きついた。
だが、当の本人の表情は暗いままだった。

「どうした?」
「ま、まさか辞める……とか?」

表情がすぐれない梓に気づいた澪が尋ね、律が不安に満ちた表情で梓に問いかけた。

「そ、それだけは勘弁して下せえ」
「分からなくなって」

唯の言葉に、梓が体を震わせながらポツリポツリと口を開いた。

「どうして新歓ライブで、ヒック……皆さんの演奏で感動したのか、グス……しばらく一緒にやっていれば、グス……分かると思って……ヒック、でも全然わからなくて」
「あずにゃん……」

嗚咽交じりに紡がれたのは、梓の心からの叫びだった。
だが、言われてみれば、入部動機は”新歓ライブの演奏を聴いて感動したから”という類のものだった。
梓が、二か月も続けてきた本当の理由。
そんなもの、考えればすぐにでも思いついたはずだ。

(そんなことにも気付けなかったなんて……その結果こうして後輩を泣かせている………僕の方がどうしようもないバカだったんだ)

梓のその姿に、僕は気づかずに何もすることのできない自分に対して罪悪感に駆られていた。
そんな中、僕の方に視線を感じた。
見れば、唯たちが僕の方を見ていた。
その視線は”何か言ってやって”と告げているようにも思えた。

(……)

僕は無言で頷いて梓の方に向き合った。

『あなた、色々と損するタイプって言われるでしょ?』

真鍋さんに言われた言葉を思い出した。
確かに僕は損をするタイプだ。
だって、今だって非難されるようなことを言おうとしているのだから。

(でも、それでいいんだ)

それが、僕の役目なのだから。

「あんた、馬鹿じゃないの?」
「ッ!」
「浩介!」

僕の冷たい一言に、梓の肩が大きく震え、澪から罵声が浴びせられた。

「音楽の感じ方……受け取り方は、十人の人がいれば十通りある。だから、音楽の解釈に”答え”など存在しない」

尤も、作曲者が解釈について話しているのならば、それが答えになるが。

「僕たちは”中野梓”ではない。だから、その理由について答えを導くことは不可能だ。答えを導き出すのはあくまでも”中野梓”自信なのだから」
「何もそんな言い方をしなくても――「ただし」――」

律の非難の声を遮るように、僕はうつむかせている梓に言葉を続けた。

「梓が答えに導く助け程度のことなら、僕たちにでもできる……いや、僕たちにしかできない。そうでしょ? 部長」
「え? ………そうだな」

突然話を振られた律はしばらく沈黙すると、僕の言わんとすることを察したのか頷いた。

「それじゃ、梓のために演奏をするか。その時の気持ちの理由が分かるようにするためにさ」

律の呼びかけに、全員が応じた。
それぞれの楽器を構えると、律のフィルから始まった。
その曲名は『私の恋はホッチキス』。
先ほど完成したバッキングパート(僕が命名)入りのものだった。
でも、僕は演奏には加わらない。

(自分でまいた種は自分で回収しないとね)

要は自分に対してのフォローのようなものだ。

「梓、君はこの前どうして外バンをしないのかと僕たちに訊いたよね?」
「は、はい」

なるべく演奏を聴く梓の邪魔にならないように声のボリュームを落として問いかける。

「あの時の理由もあるけど、一番多いのは”皆と演奏をしていることが、とても楽しいから”なのかもしれない」
「え?」

僕の答えが意外だったのか、梓は無言で先を促してくる。

「それはもしかしたら他の皆もそうなのかもしれない……たぶん」
「たぶんじゃなくてそうなんだよ。私もみんなと演奏をすることが好きだからだだと思う」
「ッ!?」

断言することができずに、しりすぼみになっている僕の言葉に続くように話してくれたのは澪だった。
その言葉に、梓の目が大きく見開かれた。
まるで、何かを思い出したかのように。
気づけば、演奏は終わっていた。

「さあ、一緒に演奏しよう。梓」

澪と共に僕も自分のポジションに移動して、梓の答えを待った。

「………はい! 私、やっぱり先輩方と一緒に演奏がしたいですっ!」

それは、僕が心の中で望んでいた答えだった。

「良かったぁ~!」
「まあ、これからもお茶を飲んだり話をしたりとかをすると思うけど。それも軽音部には必要な時間なんだと思う」

梓が軽音部を続けることに対する喜びのあまりに、梓に再び抱き着く唯を見ながら言葉を続けた。
きっとその表情は苦笑に満ちているかもしれない。

「納得しているところ悪いけど、あの様子で説得力はあると思う?」
「え?」

僕の言葉に、視線を僕が指し示している方向に向けた澪が固まった。
そこには……

「燃え尽きた」
「もう当分演奏はしたくない」

長椅子に突っ伏すように座る唯と律の姿だった。

「本当ですか?」
「……たぶん」

その光景を見た梓も不安になったのか、澪に問いかけるが返ってきたのは説得力皆無の言葉だった。
結局、その後はいつも通りの軽音部の姿となった。
だが、梓の表情は前のように曇ることはなかった。

(いい方向に流れてくれてよかった)

僕は昔からすべてを破滅に導く存在だと言われてきた。
簡単に言えば、僕が行動を起こせば、そのすべてが逆効果になってしまうのだ。

「浩介君、お茶が入りましたよ」
「あ、うん。今行く!」

でも、今回だけはそうならなかったようで、僕はほっと胸をなでおろしながら、ムギの呼びかけに応じるとテーブルの方に向かのであった。

(生徒会に机の追加を頼まないとね)

今まで二の次にしていた机の数を増やすことを頼むと心の中で決めながら。
だが、僕はまだ気づいていなかった。
それから日も経たないうちに、僕が軽音部を空中分解させかねない出来事の、台風の目になるということを。

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『けいおん!~軽音部と月の加護を受けし者~』最新話を掲載

こんばんは、TRcrantです。

大変お待たせしました。
本日、『けいおん!~軽音部と月の加護を受けし者~』の最新話を掲載しました。
今回はH&Pが何気に登場していたりします。
次話で新入部員の話は終わりとなり、次々話からはオリジナルの話になります。


それでは、これにて失礼します。

拍手[0回]

第40話 練習と外バン

「皆っ! 私たちは軽音部なのを忘れたらダメだぞ!」
「いや、忘れてないし」

澪の勢いに押されるようにして、次の日の今日にようやく練習をすることになった。

「今日は練習をするぞー!」
「おー!」

律が腕を天井の方に挙げるのに倣って皆も腕を上げた。
こうして、ようやく練習が幕を開けた。

「ギターが三人になったけど、どうするんだ?」
「それについては、僕の方に考えがある」
「それでは、聞かせてもらおうか!」

僕の提案に腕を組んでふんぞり返る律にツッコみたいのをこらえて、僕はこれまで考えた案を口にする。

「現状を考えても、新たに独立したラインを作成するのは非常に手間がかかり、すぐにはできない。だとすれば残される方法は既存のパートで工夫をするしかない」
「なるほど」

感心したように頷く律をしり目に、僕はその方法を告げる。

「そこで出てくる案は二つ。一つは二人で一つのパートを担当する方法。もう一つはバッキングを利用した新規ラインの作成」
「ねえねえ、”ばっきんぐ”って何?」

二つの案を告げたところで、唯からそんな問いかけの言葉がかけられた。

「バッキングというのは、伴奏のことです」
「ばんそう?」

梓が僕の代わりに答えてくれたが、どうやらそこもわからない様子だった。

「主旋律を強調する演奏のこと……と言ってもわからないよね」
「うんっ! まったく」
「胸を張るとこじゃないぞ」

僕の予想通りの答えを胸を張ってする唯に、律がツッコんだ。

「音楽の授業で先生がピアノを弾いていたりするでしょ? それのこと」
「おー、なるほど」

その説明だけで理解できたようで右手にくるぶしを作るとそれを左手とポンッと合わせた。

「でも、さっき浩介”ライン作成は手間がかかるからできない”って言ってなかった?」
「それは、新規にパートのラインを作成するという話。バッキング用の譜面作成はそんなに難しくはないから比較的に早くできるんだ」

唯が納得したところで、澪が首をかしげながら聞いてきたので僕は頷きながら答えた。
バッキング用の譜面作成は、色々なタイプがあるが僕はシンプルにボーカルに合わせた物を考えている。
つまりは、ボーカルが一言言うのに合わせてストロークさせる感じだ。
この方がシンプルで作りやすい。

「それじゃ、多数決。新規ラインを作成することに賛成の人」

律の呼びかけに、手を挙げる人はいなかった。

「それじゃ、バッキング用の譜面を新たに作成する方法に賛成の人」

その呼びかけに、今度は全員が手を上げた。

「それじゃ後者の方法をとるとしてとなると、誰がリードをやるかだけど」
「それなら、先輩が―――」
「はいはい、私がやる!」

律の言葉に、梓が遠慮した様子で唯の方に視線を向けたところで、唯は大きく腕を上げながら自信に満ちた表情を浮かべて立候補した。

(一体その自信はどこから出てくるんだ?)

思わず唯にそう問いかけたくなる僕なのであった。

「とりあえず、それぞれの演奏を聴いてから判断しよう。最初はどっちがやる」
「……そ、それじゃ私から」

唯の無言のプレッシャーに圧されるように、梓は手を上げてそう告げると自信の相棒のギターの弦を弾き始めた。
今度は速弾きではないがメリハリのある音色と、基礎がしっかりと出来ていないと弾けないようなコードを織り交ぜたメロディーを弾いて見せた。

(やっぱりうまい)

僕はそんな梓の演奏に心の中で称賛の声を送る。
それは澪たちも同じだったようで、口々にうまいと声を上げていた。

「それじゃ、次は唯の番―――」
「ぎ、ぎっくり腰が……」

律が唯の方に顔を向けながら演奏するように促そうとしたところで声が途切れた。
見てみれば、腰に手を当てて仮病にも似たようなことを言っている唯の姿があった。

「いい加減にしろよ、おい」
「お願いです、ギター教えてください!!」
「寝返り、早えな!?」

かと思えば、クイックターンで梓の元まで駆け寄ると、梓にしがみついて懇願する唯に、律がツッコみを入れた。
そんなこんなで、練習は始まった。










今唯が弾いているのは比較的簡単なコードの音色だった。
それを一定のリズムで弾かなければいけない。
だが、唯が奏でている音色はメリハリがなく、どこか間抜けなものとなっている。
それはまるで、異なる二色の色が複雑に混ざり合っているような感じだった。

「あ、そこはミュートをした方が。それにビブラートも効かせるといいかも」
「みゅーと? びぶらーと? なにそれ」

僕と同じことを感じていたのか、そのことを指摘する梓に唯は爆弾発言をした。

「え!?」
「これでも、一年間やってきたんだ」

さすがの梓も驚きを隠せなかった様子だった。
そんな僕たちをしり目に、唯は再び先ほどと同じフレーズを弾きはじめた。
だが、今度は音色にメリハリがつき音自体が引き締まっていた。
完全にミュートができていたのだ。

「今のが”みゅーと”っていうんだね」
「「………」」

(知らずに使えるようになるっていったい)

唯の言葉に、僕は心の中でつぶやいた。
ちなみに、ミュートというのは弦に意図的に触れることで音が出ないようにする演奏技術だ。
ストロークをする際に余計な音が鳴ってノイズになるのを防いだり、音自体にメリハリをつけさせる効果がある。

「唯はゲームを買っても説明書を読まないでやるタイプなんだ」
「納得です」

二か月しか一緒にいない人物に納得されてしまった。

(要するに、体で覚えていくということか……そう言えば僕もそんな方法で唯にギターを教えていたっけ)

半年ほど前まで、僕も同じ手法でギターを教えていたのを思い出した。
絶対音感だから耳で覚えさせた方が早いとは考えていたが、それがすべてに適用できることまでは知らなかった。

「ねぇ、そろそろロイヤルミルクティーを入れてくれない?」

僕たちの練習の様子を見ていた山中先生が、背伸びをしながらムギに声を掛けた。

「あの、今日は練習をしますから!」
「いやだ~いやだ~」

山中先生の要求をきっぱりと断ったムギに、山中先生はしがみつくと涙ながらに猛抗議した。

(もはや教師の威厳ゼロ)

そんな山中先生の醜態に、僕は深いため息を漏らす。

「少し休憩にするか」

僕と同じ思いだったのか、律はため息交じりに休憩にすることにしたのだが……

「「ほげ~~~」」
「「練習は!?」」

ムギの入れたお茶を口にした瞬間に、気が抜けたように長椅子にもたれかかる三人に、僕と澪はほぼ同時に問いかけた。

「明日やるよ~」

ゆるみきった様子で応える律の様子は、全く信憑性がなかった。

(こうなると練習は当分なしか)

僕は何もかもをあきらめた。

「ほら、あずにゃんも~」
「え、私は別に……」

いつの間に用意したのかお菓子のケーキを一口サイズフォークに刺すと、それを梓の口元に持っていく。
最初は断っていた梓だったが、唯に促されるようにケーキを口にした。
その瞬間、梓の表情は幸せいっぱいな表情になった。

「はい。これ梓ちゃん専用のマグカップ」

ムギが満面の笑みを浮かべて梓に手渡したのは、ピンク色でネコの顔が描かれたかわいらしいカップだった。
それを受け取った梓は自然な動作で中に入っている液体を口にする。
結局この日の練習時間は1時間未満だった。










「この曲のこの箇所は、このコードで行くか」

いつもより早めに解散となったため、僕は自宅でバッキング用の譜面作成に勤しんでいた。
バッキングは、作成にあたってさまざまな条件がある。
それを簡単にまとめると、他の音より目立ってはいけないという一つに尽きる。
リードギターやボーカルを埋もれさせるようなバッキングはNG。
だからと言って目立ちすぎないのも良くない。
要するにバランスの問題だ。
なので、バッキング用の譜面作成はかなり神経を使うのだ。

(よし、これで半分)

現在は『私の恋はホッチキス』のバッキング譜面を作成しているが、ようやくそれも半分程度完成したところで、僕は腕を軽く回した。

「あ、そう言えば今日ライブをやるんだった」

今日は、夜にライブハウスでゲリラライブを行うのだ。
これは社長から前に言われていたことで、何でもライブハウスの方で記念すべき日だとかで贔屓にしている観客にサプライズプレゼントがしたいという意向らしい。
そこで白羽の矢が立ったのが、僕たちだった。

『曲目は任せるので2曲程度、弾いてもらいたい』

それが社長を通して告げられた、ライブハウスからの依頼内容だった。
その依頼の後すぐに、演奏する曲目を決め各自で練習をすることとなったのだ。

「にしても、これはね」

僕はそうつぶやきながら決められた曲目のリストを目にする。

―――

1:Hell the World
2:Maddy Candy

―――

「完全にDEATH DEVIL祭りになってる」

ちなみに、これは荻原さんのチョイスだ。

(軽音部OGの曲、下手な演奏はできないよね)

色々と軽音部関係で問題を抱えているが、今この時だけそのことを頭の片隅に追いやる。
考えるのは、このライブを成功させることのみだ。

「さて、着替えるか」

今日は中山さんが運転する車でライブハウスに向かうことになっている。
その約束の時間までに、僕は素早く黒づくめの服に、サングラスをかけて準備を済ませた。
それと同じタイミングで来訪者を告げるチャイムが鳴り響いた。
それは中山さんが到着した合図であった。
僕は相棒のGibsonが入ったギターケースを手にすると、玄関の方に向かう。

「うん、ちゃんと準備はできてるようね」
「ええ。もちろん」

満足げに頷くMRに僕も頷きかえした。

「さあ、乗りな」
「それでは」

MRに促されるように車に乗り込んだ僕はシートベルトを締める。
そして車はゆっくりと動き出した。
ライブハウス『Koto』に向かって。


★ ★ ★ ★ ★ ★


ライブハウス『koto』にギターケースを手にした黒髪の少女が最前列でライブを見ていた。

「……」

少女……梓はそのライブを目に涙を浮かべながら見ていた。

(どうして)

梓は心の中でつぶやく。

(どのバンドも軽音部よりもうまいのに)

梓はまじめに練習をしない軽音部での活動を諦め、外バンをしようとしていたのだ。
ここに来たのも、良いバンドを見つけるためのものだった。
だが、梓の気を引くようなバンドはなかった。
演奏の腕は軽音部のメンバーよりも上だったのに、何も感じない理由がわからず梓はただただ見ていることしかできなかったのだ。
梓の脳裏によぎるのは、新歓ライブで演奏しきった時に見せた唯たちの達成感に満ちた表情だった。
その光景はあるバンドとだぶらせた。

(どうして、軽音部の皆さんの演奏するのを見て、H&Pのライブを思い出したの?)

それは梓にとっては憧れでもあるH&Pというバンドだった。
軽音部に入部したのも、その理由を知るためであったのだ。

(もう、帰ろう)

ちょうど最後のバンドの演奏も終わり、照明が薄暗くなったのを見計らって、梓はライブハウスを後にしようとステージに背を向けた。
その時だった。

「お前らが来るのを、待っていた―っ!!」

突如として、この世の恨みを込めたかのようなどす黒い声がライブハウス中に響き渡った。

「え? な、なに?」

突然のことに混乱する梓だったが、それはその場にいたほかの観客も同じだったようで、ざわめき始めた。
それと同時に曲が流れ始めた。
デスメタに近いその曲は薄暗い会場内と相まって不気味さを増させた。

(あれ、この歌声って)

そんな中に響き始めた女性の歌声に、梓は頭をかしげる。
スローテンポでサビの箇所を歌い終えると、甘く軽快な音色がライブハウス内を包み込む。
それと同時に、ステージの照明が再び明るく灯す。
その照明の下で演奏をしていたのは、H&Pだった。
帰路に着こうとしていた観客たちも再び戻り始めた。
その曲は地獄の世界を現したような曲で、スローだったり速いテンポだったりとテンポの変動が激しい曲だ。
テンポが速くなったと思えば一気にテンポが遅くなる。
そこにMRの歌声が合わさり曲に刺激が加わる。
MRが歌い切るのと同時に、DKのスクラッチが入り、曲調が変わる。
そこから始まるのはギターソロだ。

「MR!」

DKの呼び声に呼応したMRが前方に歩み寄り、艶めかしい動きをしながら速弾きでギターを弾いていき、観客を魅了する。

「DK!」

MRの呼びかけで簡単なコードをリフで弾いていたDKが前方に歩み寄るとギターを縦構えにした。
そしてMRと同じコード進行で速弾きしていく。
そのテクに会場中が熱気に包まれた。

(す、すごい。やっぱりDKさんもMRさんもすごくいい演奏をしてる)

それを見ていた梓は、すっかりH&Pの熱気にとらわれていた。
そして一気に再び駆け巡るように演奏をしていき、最後はドラムのフィルで閉めた。
それと同時に観客から大きな拍手が送られた。

「どうも! 皆、楽しんでるか?」
『おー!』

DKのMCに会場が一体となって返事を返した。

「今日はこのライブハウスがオープンした記念の日なのを、お前ら知ってるかー!」

DKの問いかけに、誰も応えない。

「でも、記念品は出ないが今日はオープン記念日ということで、H&Pがここにいる皆に曲と言うプレゼントを届けに来た!」

観客たちが歓声を上げた。

(そ、そうだったんだ)

梓は心の中で運よくライブを見ることができたことをかみしめていた。
この時は、自分の問題のことをすっかり忘れていたのだ。

「でも、次の曲で最後なんだ」
『ブ―っ!』

DKの残念なお知らせに、会場中からブーイングがでる。

「そう言うな。その分、皆に満足をしてもらう曲を届けよう。さあ、速いが最後の曲だ。準備はいいか!!」
『おー!』

DKの呼びかけに、観客たちは腕を上に振り上げて答えた。

「それじゃ、最後の曲。DEATH DEVILの『Maddy Candy』!」
「1,2!」

YJのリズムコールと共にフィルから入りギターの音色がそれに乗る。
疾走感のある曲調で始まった。

(この曲はDKさんがボーカルなんだ!)

MCの時とは違うクールな声色に、梓は全身を使ってリズムに乗る。
ロックな曲調で進行するこの曲は、ギターソロが一番注目される箇所。
甘く、それでいてどこか刺激のある曲風に、観客たちは飲み込まれていく。
そして、ギターのソロに入った。
DKの速弾きによって甘い音色が会場を包み込む。
ビブラートやチョーキングを効かせながら素早くコード進行していく。
そしてコード進行がいったん途切れ、音を伸ばすところでギターのヘッドを持つとそれを垂直に立てた。
ギターを縦に構え先ほどよりも比較的にコード進行の激しいパートを弾いていく。
再び出た縦構えの奏法に観客から歓声が沸き起こる。

(あれ、これって……)

そんな中、梓の脳裏にふと疑問がよぎる。
梓はその演奏法を知っていた。

(これって、浩介先輩のと同じ)

だが、梓の思考はそこで途切れることになる。
MRとDKで交互にギターを弾いていくギターソロで、MRが歯ギターを披露したのだ。
そして縦構えのままDKの凄まじい速度での速弾きでギター走路を終えると、ROのキーボードとRKのベースの音色に乗せてDKが歌声を奏でる。
さらにそこにMRのギターの音色が加わり、最後にYOとDKが音色を奏でる。
最後はバンドメンバー全員で歌声を上げ、そのままギターを弾いていきドラムの音で曲を終えた。

「サンキュー!」

そしてDKのその一声で
再びステージの照明は薄暗くなった。
それは完全な終了を意味していた。

「ッ!」

梓は何かを思い立ち、急いでその場を後にすると、裏側へと回り込んだ。
裏側にはスタッフ専用の出入り口があり、そこから出てくるH&Pの姿があった

「あのっ!」
「ん?」

そして彼らの元まで駆け寄ると、その場を後にしようとするH&Pのメンバーに梓は声を掛けた。
それに反応したのはYOだった。

「私をH&Pのバンドメンバーに加えてください!!」

梓は崖から飛び降りる覚悟でそう告げると、体をほぼ直角に折り曲げた。

「……………君、名前は?」
「あ、な、中野梓です」

ROの問いかけに、梓は慌てた様子で名前を述べた。

「中野か……」

YOはそうつぶやくとほかのメンバーに視線を向ける。
向けられたメンバーは、YOの言いたいことを察し、頷くことで答えた。

「よし、中に入って待ってろ」
「は、はい!」

門前払いされなかったことに梓は嬉しさをかみしめながら返事を返すと素早く来た道を戻っていった。

「俺は、ここのオーナーと話をつけてくる」
「それじゃ、僕たちも行くか」

YOはそう告げて再びライブハウス内に入っていき、DKたちも中に戻っていく。





「ぎたーはあるな……よし、それじゃこれから君には好きなフレーズを実際に弾いてもらう。準備を始めてくれ」
「は、はいっ!」

しばらくして、ライブハウスのオーナーに、少しばかりスタジオを借りる許可をもらい戻ってきたYOは梓にそう告げると、梓は震える手で演奏をする準備をしていく。
ギターを取り出しアンプにリードを接続する。

「YO」
「何だ? DK」

梓が準備をする中、DKはYOに声を掛ける。

「私は評価を色を付けたりするのは嫌いだから公正にする。だから――」
「俺も公正に評価をすればいいんだろ?」

DKの言いたいことを察したYOがDKの言葉を遮るように口を開いた。
それにDKは無言で頷いた。

「安心しろ。俺はいついかなる時もお世辞は言わない」
「だったな。YOはそういうやつだよな」

YOの言葉にDKは口元に微笑を浮かべるとYOと拳どうしを合わせた。
それはお互いの信頼の暁でもあった。

「じ、準備ができました」
「そうか。では、どうぞ」

YOは準備ができたことを告げる梓に演奏するように促した。
緊張した様子ではあったが、梓は落ち着かせるように深呼吸をすると右手に持っていたピックをストロークさせた。
演奏されたのは梓が軽音部で最初に弾いて見せた物と同じフレーズだった。
軽快で、それでいて刺激的な音色に、さりげなく入れられたビブラートがまた音に膨らみを加えていく。

「ど、どうですか?」
「そうだな。とてもうまい演奏だと思う。お前らはどうだ?」

フレーズを弾き終えた梓の問いかけに、YOは感想を述べると後ろで聞いていたメンバーに話を振る。

「僕もYOと同意見だよ」
「私もです」
「私もだね」
「右に同じく」

RO、RK、MR、DKと続いて感想を述べる。

「あ、ありがとうございますっ!」

満場一致の称賛の声に、梓は明るい表情で頭を下げるとお礼を述べる。

「だが、俺はお前のメンバー入りに反対だ」
「え?」

YOから告げられた衝撃の言葉に、梓の表情が固まった。
助けを求めるように後ろのメンバーの方に視線を向けるが、誰一人YOの言葉に異を唱える者はいなかった。

「ど、どうしてですか?」
「それについてはリードのDKが説明しろ」
「ここで私か」

人使いが荒いなとつぶやきながら、DKがYOの前に出た。

「君の演奏は確かにうまい。さすがは親の影響で小4からギターをやっているだけある」

(あれ、どうしてDKさんはギターを始めたきっかけや時期を知ってるの?)

DKのコメントにふと疑問が湧き上がるが、それはDKの『ただし』とつづけた言葉で頭の片隅に追いやられた。

「君の演奏には人を楽しませる要素はない。うまい演奏も重要だが、それ以上に見て楽しませることもプロには求められる」
「………」

梓に告げられた厳しい言葉に、梓は真摯に受け止めていく。

「でも、それは今後の成長次第でどうにでもなる。YOもそうなのかは知らないが、私が一番問題にしているのは」
「な、なんですか?」

梓は緊張の面持ちでDKの次の言葉を待つ。

「君が、”本気でメンバーの一員になる気がない”ということだ」
「っ!?」

DKのその言葉に、梓は一番大きな衝撃を受ける。

「君の演奏を聴いていて一番大きかった印象は、”迷い”と”哀愁”の弾いてもらったフレーズの曲調と合わない二つ」

(私は、迷ってるの?)

自分でも気づかない心の声に、梓は自問自答する。
そんな彼女に、DKは言葉を続ける。

「おそらく、君はどこかでバンド活動もしくはそれに準じたことをしているが、何らかの理由でここで掛け持ち、もしくは現在加わっているバンドをやめて活動を行おうと考えている。……違うか?」

DKの問いかけに、梓は首を横に振ることで考察を正しいと認めた。

(あまり当たってほしくなかったな。そこは)

DKは心の中でつぶやいた。

「ならば、認められない。少なくとも、そのバンドとの未練を完全に断ち切らない限りは」
「………」

DKの言葉に、梓はうつむくだけで何も反応を示さなかった。

「未練を断ち切ることができたのであれば、その時は手紙でもいいし直接でもいいから連絡をよこすように。分かったか?」
「はい。ありがとうございました」

先ほどとは打って変わって肩を落としながら梓は去っていった。

「…………」
「いくぞ。DK」

その後ろ姿を見るDKに、YOはそう呼びかけるとYOの後に続いて歩き出す。

(これは僕の罪……なのかな?)

そう心の中でつぶやきながらDK……浩介は帰路につくのであった。

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